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ショート 孤独な煙

俺の職場は総合ビルの14階で、眼下には大きな公園が広がっている。地方都市なので、公園と言うには緑も深く、森に近い、整備された遊歩道と比較的多く配置されたベンチが公園らしい趣を出している。職場ビルの下に地下鉄の駅があったが、俺はいつも公園をゆっくり歩いて、一つ先の駅を利用していた。俺がこの公園を気に入っている理由が、喫煙所だ。職場のあるビルは勿論、周辺のカフェにさえ、もはや喫煙所は無いのだ。職場の誰にも言った事がないが、俺は愛煙家なんだ。たぶんそのせいで無口になったし、友達も少ない、在宅ワークにするか、ずーっと決めかねていた頃だ。ぼんやりと疎らに明かりが灯った公園を見下ろしていて、見つけてしまったのです。遊歩道からは少し離れた小さな空間を、遠目ではあるが、あれは多分、喫煙所? 早速帰り支度をして職場を出た。遊歩道を外れて少し歩くと、喫煙所方面から来る老人と出会った。軽く会釈して、お互いニヤリと笑っただけで、俺たちは通じ合った気がして、少し嬉しくなっていた。あった、あったよ!喫煙所、ちゃんと赤い小さな看板まであるし、懐かしい縦型の灰皿も設置されている。古い木製のベンチと小さなテーブル、鉄の灰皿、あたりは暗くなってしまったが、一服させていただいた。火の始末だけは、しっかりして帰路に着いた。

翌日の昼、12時ピッタリにオフィスを飛び出し、サンドイッチとコーヒーを買い、喫煙所へ向かう、会えるかなと期待していたが、あの御老人には会えなかった。誰も居ない、何だかとてもがっかりして、1人で昼食を済ませ、タバコを楽しんでいると、落ち葉の積もったベンチの隅に、忘れ物らしい本があった。積もった落ち葉を払って手に取るとずっしりと重い、角背の上製本である。3分の1程度のところに、栞が挟んである。上野霄里(うえのしょうり)著作の単細胞的思考と言う立派な本、俺はすぐにこれはあの老人の物だと確信した。午前中に来られたのだろうか、俺は手持ちのルーズリーフを広げ、そっと覆い、小石を四隅に置いて、「お忘れ物が汚れないように、勝手に包ませていただきました」と走り書きをして、名刺を本の下に置いて戻りました。

その日の午後の仕事は大変忙しく、やっと終わった時は、もう9時にもなっていた。見下ろす公園は、灯も落ちて真っ暗だ。ビル下の駅から地下鉄に乗っても良いのだが、俺は引き出し下の小型懐中電灯を持ち、ブラブラと公園からの帰路を選んでいた。あの後、老人が来たかどうか、それだけ確認したかったのだ。遊歩道を外れると、真っ暗な森だ。懐中電灯を点けると、こりゃあまるで心霊探訪のようだ。灯りの先に、喫煙所の立て札を見て、ほっとして、思わず、ヘヘヘッと笑ってしまう。ルーズリーフは綺麗に折り畳まれていて、ありがとう、と端正な叢書で書かれていた。(煙爺い)と署名してあった。何か嬉しくなって、寿司を買って帰り、古酒を開けて、読書と喫煙の夜を楽しんだ。

以来、足繁く通いましたが、あのご老人にも、他の人にも会えませんでした。俺はタバコを吸いながら、まるで片想いする少年のように、短冊を作り、会ってお話ししませんか、煙爺い様へ!なんてメッセージを残し、それを毎回入れ替えたりして、3ヶ月ほど過ぎて、公園はすっかり雪景色だ。例の流行病は治まる様子もなく、会社は在宅勤務を進めてくる。俺も来月からは在宅勤務となった。色々な荷物運びや手続きで、二日ぶりにやって来た、俺の小さな喫煙所、雪を払い落とし、ちょっと片付けて、あれ! 3日前に置いていた、俺のメッセージ短冊が無い!しまった、来たのか、短冊には(おい!煙爺い、生きてるか!出て来いやぁ)なんて書いちゃったし、これは、是非会って謝らなければと、オロオロと見回すと、小さなテーブルの下、厳重にビニールに包まれて何かある。手に取ると、ずっしりと重い、それを机の上に広げた。中身はあの時の本と、ウイスキー知多(THE CHITA)そして手紙が入っていた。手紙には、勝手ながら、拾っていただいたこの本と、お酒を少し、用意させていただきました。もらって頂けると幸いです。高木さん(俺)に出会った時、貴方が本当に嬉しそうに笑っていたから、一度お会いして、本のお礼もしたかったのですが、流行病に罹患してしまい、緊急搬送&入院となってしまいました。煙爺いは、もう88歳なので、流行病は回復したものの、その他の内臓はかなり悪く、余命は4ヶ月だそうです。秘書と看護師さんに無理を言って、この喫煙所に来ました。遠方の施設にラスト入院です。貴方の名刺と書き付けのあるルーズリーフは、今生の思い出に頂いて参りますね、煙人間のやさしい出逢いに乾杯! では さようなら。

ビニール袋にメモが付いていて、それには。 追伸!煙爺いは、まだ生きています。煙も吐いているよ。高木くん、元気で暮らせよ。

あれから、俺は自宅に帰った。もう父も母も居ないので、1人暮らしだ。規則正しく仕事をして、夜には上野著の本を開き、知多と、シメサバでタバコを燻らす、でも何でだろうな、本の栞はずーっと初めのページのままだ。煙爺い様、この本変だよ、知多を飲むほど文字が滲んで、ぼやけて先へ進めないよ

おしまい

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