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異形者達の備忘録-23

悪巧み

私は中学生、駅ビルのお蕎麦屋さんでアルバイトして、もう2年になる、帰りは夜の10時を回ってしまう事もあり、それもすっかり慣れてしまった。

先日、人を傷付けて逃げたストーカー野郎に、自転車をぶん投げて、逮捕に協力したことから、私の居る離れの方に、母家に住むおばさんと一緒に警察官が来た。警察官は、表彰のことで来たのですが、おばさんはそうはいきません、暴力的とか、夜遅くに、外をふらついているとか、もう大変な怒り様で、こんな子供預かるんじゃ無かったと大後悔、もう手に負えないと泣き崩れてしまい、週末にでも一族を集めて話し合うと言われた。泣きながら掴みかかって来るのを、警察官が必死に止めてくれた。暴れる叔母さんを母屋に送り、戻って来た警察官が、良い擁護施設を探してみようか?と心配する始末です。叔母さんはヒステリーを発症している。どうしてアンタは迷惑ばかりかけるのよー!と、髪を逆立てて、大声で叫ぶその姿には、恐怖しかなかった。

翌日、カツ丼を食べたお客さんが、「あれからどうなったの?」って聞くから、誰?と思ってよくみたら、私服だけど、昨日の警察官だった。混んでいたので、閉店頃来るよってお店を出て行った。

その夜、警察官のおじさんの提案で、駅前の24時間営業のファミレスに、警察官、仲良しの和菓子屋さんご夫婦、お蕎麦屋さんご夫婦と私の6人が集まって話した。

警察官が事のあらましを話し、あの様子ではこの子に暴力だって振るいかねないと判断しました。良い擁護施設が沢山あるし、場合によっては、親戚の話し合いに参加したいと思っているそうです。和菓子屋さんの奥さんが、ユカリちゃん、お世話になっている叔母さんとはどういった関係なの? わかる範囲で教えてくれないかしら、と言って来た。私は少し考えてから、自分で調べた事や、考えを聞いてもらった。

分からないけど、私は叔母さんと本当に親戚なのか、それを調べたかったの、だからどうしても、おばさんと私のDNA鑑定がしたかったので、叔母さんに、頭に虫が付いてるよって、嘘ついて髪を数本もらって、貯めているお金を使いました。結果、混乱してしまいました。だって、鑑定では親子の確率が90%だって、

叔母さんには言っていません。叔父さんは20年も前に亡くなっているから、黙っています。言ってはいけないと考えています。

お蕎麦屋さんが2人で「うちの子になりな!」なんて言うので、大学生の子供が2人もいてヒーヒー言っているのに、何いってんの!と笑った。でも嬉しくて、ちょっと泣いた。和菓子屋さんが「じゃあ決まり!ユリちゃん、うちの養子になりなさい! 特別養子縁組!これしかない、勿論ユリちゃん次第だけど、どう?」こう言われて、もう、泣いてしまった。住む場所があるだけでも嬉しいのに、ウンウンと頷いて、涙が止まらなくなってしまった。叔母さんには「ホームレス上等」なんて口答えしたけど、嘘です! 怖かった。

警察官が、アハハ俺の出番は無しか、でも、話し合いには参加させてもらいましょう。喧嘩上等の。サプライズで! 二組の夫婦は、力強く頷き合った。

叔母さん家の大広間では、親戚が30人近く集まっていた。私は叔母さんの横、離れた場所に座らされて、沢山の視線に晒されていた。でも平気なんだ。後ろには、開始間もなく、無理矢理押しかけた私の親衛隊が5人も居たから、

簡単な挨拶の後、叔母さんが話し始めた。

本日は、引き取り育てていた、このユリのことでお集まり頂きました。ユリの事については、皆様の間で色々取り沙汰されているのは存じております。その事も含めて、お話しいたします。ユリの母親は、岡本幸子です。

親戚たちは騒めきました。1人が「何をいっているんだ。幸子は16歳で亡くなっているんだぞ」と叱責しました。叔母さんはさらに大きな声で続けます。

だからこそ、皆さんには言えなかったのです。お腹が目立たなかった様で、相談に来た時にはもう、産むしか無かったのです。母子家庭で母親を無くしたばかりで、世話になっているお家に迷惑をかけたくないと、大変悩んで、悲しい選択をしてしまいました。仕方なくユリをサポートし、10歳になってからは、離れを建ててまで、面倒を見て来ました。ですが、暴力事件は起こすわ、深夜に徘徊はするわで、もう、限界です。考えてみれば、幸子の母親の恭子も身持ちの悪いシングルマザーでした。娘の幸子も、この始末です。ユリだけはと、育てて参りましたが、限界です。 ここで、親戚の方達何人かが立ち上がり、「嘘をつくな! 恭子は結婚してすぐ、事故で亭主を亡くし、一生懸命に働いて幸子を育てていたんだ、幸子だってそんな娘じゃ無いぞ!」と怒鳴った。 そうだ!嘘だ、私も立ち上がろうとしたら、前の方から強い衝撃を受けて、後ろに転げた。

驚いて前を見ると、そこには私の背中があった。目の前の私が、大声をあげる、「由紀子叔母さん、死人に口無しですかぁ、母まで悪者にして、悪巧みは、させないからな!」叔母さんは、悲鳴をあげて色々投げて来る。私は意識が飛んでしまった。気付くと知らない場所で、和菓子屋さんの叔母さんに寄りかかって泣いていた。背中を摩る手が気持ちよく、叔父さんの低い声が「大丈夫、大丈夫」と言うのを聞きながら、また意識が遠のいて行った。

その部屋は、和菓子屋さんが私のために用意してくれた、私の部屋だった。可愛いベッド、勉強机、離れの部屋からも全部持って来てくれたのだ。後日、私は特別養子縁組をした。中学卒業まではアルバイトも続けます。人手が足りないお蕎麦屋さんの役に立ちたいからね、

ある日、久々に自転車飛ばして、叔母さんの家を見に行ったら、伊上由紀子の表札の横に、男女の名前があった、ああ息子さん夫婦と同居したんだと思った。

帰りに神社に立ち寄ると、子供達の歌が聞こえて来た。

いちもんめの いすけさん いつのじがきらいで、
いちまんいっせんいっぴゃくごく いっといっといっとまの
おくらにおさめて にもんめにわーたした。

今日から私も、にもんめです。もう戻らない

おしまい


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