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前回のつづき。

今回はいろいろと捉えずらい非認知能力を育むために教員ができることを,こちらの書籍から学んだことをもとにまとめてみたいと思います。



まずは見方を変えてみてはどうでしょう?

従来の教育観でのみ教育をしては,これからの社会を生きぬくのは難しい面が出てきたので,「非認知能力」や「資質・能力」のような見直した見方,考え方が出てきているわけです。
つまり,従来の教育観はアップデートしなきゃいけないってことですよね。

でも,場合によっては,「不易なものがある。」「理想はわかるが実態が伴っていない。」というような,正しいような発言でごまかして,何も変化していないというようなことも起きがちです。

ここら辺のマインドセットのことをうんぬんかんぬん書くと長くなってしまうので,(古舘先生の書籍やVoicyなど聞くといろいろ参考になります。)そこは置いておいて,みんなでもっとどっしりゆったり構えようという見方に変えるだけで,少し気は楽になるのではないでしょうか?

「授業中に指示のないことをしてはならない。」
「学級は静かに落ち着いていないといけない。」
「挨拶はマナーなのだから明るく元気よく。」

などなど,教員はまわりからの目が気になることから,自分の学級が何かの標的にならないようにふるまってしまうことがありませんか?

私は,そこら辺を気を付けたいと思いながらも,誰かにそこはつかれたくないな。今はその子が葛藤中だからそっとしておいてあげてほしいな。なんて思うことが結構あります。

ゆるゆるにしていいとかではなく,どっしりゆったり構えてみませんか?

きっとここら辺の匙加減や線引きが難しいのでしょうけども。


QUを見てみると。

ひとつ,見方を変える面白いものとして,QUの見方があげられます。
満足型,緩み型…など,よくある見方の中に一つ,満足群にいる子たちに注目した見方があります。

ここでは図解しませんが,すべての質問にかなり肯定的な回答をすると,かなり右上にいきますよね。

その子たちが抱える問題はありませんか?
という視点です。

ざっくりいうと,「大人のいうことを気にしすぎる子」「自分発信ではなく,他者評価が自分の中心にある子」「いい子であり続けようとする子」そんな子たちは非認知能力の観点からいうと,「自律性が欠けている」と言えないか?ということが考えられます。

自分を律するということは,ただ我慢するということではなく,自律性を手に入れる過程の中に「自ら学ぶ力」と「主体的に学び続ける力」を手に入れることで,自律が自立へとつながっていくと考えられます。

もしかすると,満足群の子たちにはそのようの自律性が身についていない可能性があります。

これだけ知っているだけで,ちょっと子どもたちの見方が変わりませんか?

また,そのように考えると,なんとなくそれぞれの群の端まではいかないけどもみたいなお子さんは,しっかり葛藤しながら成長中なのかもしれません。

詳しい表は,ぜひ本書をお読みください。
※もちろん,一般的に支援が必要なエリアにいるお子さんにも支援は必要ですよ。


変えるべきは環境なのでは?

社会の形が変わっている今,教育も変わらなければなりません。
ここに反対する人は少ないのではないでしょうか?

もちろん,教科や1時間の授業を磨き続けた先に,大きな変化があるという考え方もあるのでしょうが,担任が変えられる範囲の環境,システムから変えていくことが,今目のまえの子たちに最も早くアプローチできることなのではないでしょうか?

個人の技量は,向上するのに時間がかかると思います。
まねをすることも難しいです。

ですが,優れた仕組みや環境整備は,汎用性が高く取り入れやすい可能性があります。

最近話題なのは,「自由進度学習」「総合的な学習の時間」などがあげられますよね。

ここを上手に取り入れるといい方向に行くのではないでしょうか?
次回は,この取り入れるという部分をもう少し考えていきたいと思います。


今回もお読みいただきありがとうございました。
誰かの「よりどころ」となりますように。


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