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マツコさんのこどもを産みたいと思った話

社会人一年目、
電車通勤片道一時間半を終えて帰ってきたとき、

もっぱら
わたしは録画したマツコさんをみていた。

“知らない世界”、“怒り新党”、“夜ふかし”、“徘徊する”、“マツコ会議”、このあたりを癒しに、23時の夜ごはんを食べていた。

きっぱりした物言いや、
たまに人生の指針になるような、
名言めいた発言をなさる。

それは彼女が彼女の人生で得た経験を、
みているテレビの向こう側のわたしたちへと、
ほんの少しおすそわけしているように感じた。

ときを経て、
わたしは結婚した。

すぐにこどもを授かって、

出身である関東の親元を離れ、

未知な北海道の土地で
新生児を育てることになった。

赤ちゃんはとても可愛く、

全身全霊をかけて守り、

かよわさに怖くなり、

いちにち、いちにち、
祈るような気持ちで

早く大きくなれ、と過ごしていた。

そのときのわたしも、
授乳しながらマツコさんをみていた。

すると彼女は
「最近こどもが可愛くて仕方がない」
というではないか。

「私は子どもを産むことができない。」
そして、子猫が可愛くて飼いたいでも飼えないんだ、というような話に移り変わっていった。

そのあと何日か経って、

赤ちゃんの吐き戻しのついたシーツを
洗濯してベランダに干しているとき、

「わたしがマツコさんのこどもを産んであげればいいのでは?」と思いついた。

わたしは
機能的にはじゅうぶん役目を果たせるようだし、
彼女を孤独にさせる要因のひとつを、とりのぞけるように思えた。

彼女は納得しないかもしれないけれど。

わたしの母に電話をしてるときに、ふと言ってみた。
最近、マツコさんのこどもを産んであげたいって思うんだよね。

「やめなさい」

すごくショックだったけれど、
だいいち、面識もない女が、
仮に出会えたとして、
「あなたのこどもを代わりに産んであげたいんです」
と言ってきたらめちゃくちゃ怖い。サイコパス。

しかし、そんなことを半ば本気で考えてしまうくらい、彼女は身近に感じられる存在で、わたしを励ましてくれて、わたしも彼女の助けになりたいと思ったのだ。

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