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20年目のともだちと電話

私にはともだちがいる。
数年に一度しか、いや何年も連絡しないともだちがいる。

かのじょは同年齢で、いまは40代、出会った頃は20代だった。

とても文学が好きな人で、詩歌や小説に造詣の深い人だ。20代のころ、ほんの2年だけ同じ学校に通っていた。

その頃は私はもう小説をあまり読まなくなっていた。そんななかかのじょと仲良くなったのは、文学者の講義を一緒に受けたことがきっかけだったと思う。

夕方の6時半からはじまる講義。文学大全集が所狭しと置かれた研究室で、6人くらいが授業を受けていた。授業は8時までが定時で、先生は興に乗ると時間を大幅に超えて、帰りが9時過ぎになることもあった。数人は居眠りをしていたが、なぜかいつも先生の隣に座ることになった私は眠ることもできずにうなずくの仕事だった。そんなわけで、私は先生に媚びているとみられていて、受講生からは評判が悪かった。

そのなかで、かのじょは普通に接してくれるひとのひとりだった。かのじょは文学部出身で日本文学や民俗学を専門にしていた。それで文学者の講義でわりと発言が多い私のことを気にかけてくれたらしい。何度か授業があって、日中の講義の合間などに、少し話すようになって、そのうち短歌や現代詩、小説の話をするようになった。

もちろん、私は高級な話などできなから、かのじょは私のレベルを選んでくれたのだろう。そのときに彼女が勧めてくれたのが、宮本輝著『錦繡』と連城三紀彦著『恋文』だった。

ふたつとも恋愛小説で、私はまったく読んだことがなかった。大衆小説だと、父の本棚にあった司馬遼太郎の『尻喰らえ孫市』やショートショートの阿刀田高の作品集なんかが好きでたくさん読んだが、文学では恋愛というより、中島敦の『山月記・李陵』(とくに「悟浄嘆異」)みたいな自分に問いかける作品をくり返し読むくらいだった。

二つの作品はその時の私にとってとても新鮮なものだった。
とくに『恋文』は好きで何度か読んだし、好きな女の子にもあげたこともある。そのころは「ピエロ」というタイトルの短編が好きだった。

「ピエロ」は美容師の妻とその夫の関係を描いた作品だ。おもに妻からの視点から物語は進む。夫の口癖「おれはいいよ」ってのが好きだった。妻のいうことはなんでも肯定、応援する。でもそれが悲しい妻という構図。20代の自分は好きな子には「おれはいいよ」って若者だった。いや、いまもわりと忠犬ハチ公みたいに好きなひとを待っているようなところがある。

この『恋文』を先日十年ぶりくらいに読んだ。読み始めたのははっきりといえないが、「愛」はわかってきた気がするけれど、忘れてしまった、いやそもそもあまり感じることなかった「恋」に直面したからだろう。10年ぶりの『恋文』は、私の今の感情にぴったりで、いろいろな感情をごちゃごちゃとさせて、それでいてそのごちゃごちゃをそのままでいいと肯定してくれた。

なかでも今の私には「私の叔父さん」が響いた。叔父と姪の秘められた恋心、姪の娘の思いをくみ取る非論理的感情。話自体は荒唐無稽化なのは承知だけれど、それでもやりきれなさ、気持ちの重さがずしんと胸にのしかかってきた。誰でもいいから話を聞いてほしい。そう思った。それは別に私の恋の話ではない。どうしてひとはこんな気持ちになるのかというもう少し抽象的な話だ。

そのときにやはりさきのともだちのことを思い出した。

20代のかのじょは、『恋文』を薦めてくれたとき、年齢を経て読み直すときっと感じ方が変わるから何度も読みたい作品だと言っていたが、そのとおりになったからだ。

かのじょはときとぎ話をしたくなるともだちのひとりだけれど、これまたいろいろな理由があって、なかなかつながらない。

それでも今回は気軽に電話ができた。

つながった。

とりとめのない話がはじまった。

そのうち、かのじょに「『恋文』を読み直したら、君の言うとおりだった」と伝えた。かのじょは「わたしはそんな生意気ことを言っていたのか」と笑いながら答えた。故郷に帰ったかのじょは、イントネーションがお国訛りとなっているけれど、20代のころの繊細でいて、それで包容力のある話し方をした。

とても楽しい夜だった。

そして、かのじょから新しいお題もいただいた。今度はその本が20年後のテーマになるかな。今の私はそんなことを期待している。



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