見出し画像

底辺vol.2 誰でもできる仕事とは?


今回は、【底辺】と見くだされる最大の理由である、


 誰でもできる難易度の低い仕事


について考えたい。


どんな仕事でも、純粋に【労働時間】という意味での1日や2日なら、

    誰でもできる仕事


は成立する。


けれども、仕事というものは、その業務を一通りおぼえたうえで、ある程度は続けて、はじめて


   『その仕事をした』


ということがいえるのである。


たとえば「俺は柔道をやっていた」という人に、「どのくらいやっていたのですか?」とたずねて、「2日間」と胸を張って答えられたら、誰でも内心「え?」となるようなものだ。


すると、やはり、仕事においては試用期間とされる3カ月は当然として、少なくとも【1年】が最低ラインではないか。


ある人が、高層ビルの窓ふきの仕事に就いた。ところが、実際、業務に入ると地上15階建てのビル。あまりの高さに、足は震え、恐怖で生きた心地もしない。1日で辞めた。

確かに【1日】は間違いなく働いた。しかし、やはり、この場合、この人にとって【高層ビルの窓ふき】は、


  つとまらなかったのである。


また、電気工事会社を定年退職したある男性は、電気工事現場に配置される警備員を見るたびに「こっちは汗水たらして身体動かしているっていうのに、あいつら、ただ、立ってるだけで金もらえていいなぁ」と思っていたという。「でも、今、定年退職して、実際にこうして警備をやってみると、見るとやるとは大違い!地獄だよ…」と顔をゆがませた。

直立不動の立哨は、徹底的に腰にくる。膝にくる。人間の身体は動いていたほうが楽なのだ。この人のように身体を動かしていないとダメな人にとって長時間の直立不動は拷問に近いようだ。彼も、すでに退職しており、やはり、


  つとまらなかったのである。


この2つの例のように、業務そのものは習得できたとしても、【それに付随するさまざまな理由】で、最低ラインの「1年間」さえ、つとまらない、という事態も多々ある。

こうしたことも視野に入れると「誰でもできる仕事」というものは、そう簡単にはみつからないのだ。

それだけではない。なにより、【業務】それ自体への


   【向き不向き】もある。


例えば、あの《ウサギと亀》の話は、

 

 【俊敏なウサギ】 VS 【ノロマな亀】


という設定であるが、それは、あくまでも【陸上競走】という一側面のみを基準にしているからに過ぎない。

もし、【水泳競走】という設定であったならば、立場は逆転し、ウサギなどは亀の足元にも及ばない物語になっていた。

あるいは、【長寿ランキング】であってもウサギは亀の相手にもならない物語になっていたのだ。

このように、【向き不向き】という視点は【優劣】だけの視点よりも《多面的》に物事を認識できる。


要は、何を価値とするかによって優劣上下など変わってしまうという点からみても、《職業差別》をする人というのは、どうしても、物事を多面的に見れない【視野の狭さ】が見え隠れしてしまう。


世の事象は、実はほとんど「ウサギと亀」ではなかろうか?


我が国で千年以上の歴史と伝統を誇るとされる左官職人ーー。

ある人が、左官職人になりたくて弟子入りし、一生懸命努力を重ねたがモノにならず、「あいつにゃ~この仕事はムリだなぁ…」と職人達から、さじを投げられ、本人も「ああ、俺は使えないダメな人間だ…」と絶望した。だが意外と勉強は得意で一念発起して、後に弁護士になったということもある。その逆もしかり。

学歴はなくとも商才と奮闘があれば、財を成す人がいる。だが、経済学の博士に商売をやらせたら成功するかといえば話は別だろう。

それは、小学校を4年で中退しながらも、《経営の神様》と仰がれる存在になった、あの松下幸之助氏を例に出すまでもない。

まさに、「ウサギと亀」結局は、


「業務の向き不向き」や「業務以外の諸事情」を視野に入れると、本当の意味で【誰でもできる仕事】など現実には、ほとんどない、という見方ができる。


つまり、職業というものは、せいぜい、さもしい虚栄心を満足させるくらいしか役に立たないちたなな世界に【優劣】という概念を持ち込もうとするのだろう?なんのメリットがあるのだろう?

なぜなのだろう?

推測するに、それは、やはり、外側から見たイメージで安易に決めつけているからではないだろうか?

私自身、若い頃に、底辺と揶揄される職種を実際、ほとんど経験した。どの仕事も、はたから見てイメージしていたものとは、まったく違っていた。

たとえば【運送業】には、重機を運ぶトレーラー、生コン車、土砂やガラを運ぶダンプ、引っ越し用トラック、宅配便にいたるまで、さまざまある。

私は、4tトラックで、コンビニに新聞を運搬する仕事をした。

まず、朝イチで集配所に行き、新聞を地域ごとに分別し、午前の14店舗分をトラックに積み込む。自分の分が終わっても他の人の分も手伝う決まりだ。結構なスピードと機転と体力を要求される。


 運転して新聞を運ぶラクな仕事


というイメージで選んだ私は、初日の、この朝の1時間で「こんなキツイ作業を毎日やるのはムリ!」と早々に辞意を固めた。

とにかく、1日分のエネルギーの1/3はこの時点でなくなる。

積み終わると、午前中の3時間で14店舗に順番通りに運搬せねばならない。1時間に約5店舗。店舗から店舗へ12分以内の移動時間しかない。道は常に混んでいる。《焦り》は事故の元だが、遅れるわけにはいかない。《焦り》や《イライラ》と戦いながら、冷静さを失わずに急ぎ、《一切無事故》での完了という強いストレスのかかる運搬作業。

同じ《運転》でも、自家用車で遠出するのとはワケが違う。普段の運転の10倍くらい神経が疲れる。

午前の14店舗が終わるとすでに1日分のエネルギーの4/5を使い果たす。

しかし、その足で、再び集配所へ行き、午後の14店舗の分の仕分けと積み込みを約1時間行う。

そしておにぎりを赤信号のたびに口に放り込みながら、午後の一店舗目にトラックを走らせる。

計28店舗の配送が終わるのは、16:30。その足で会社にトラックを戻しに行き、日報を書いて、翌日の打合せをし、18:00前後に退社。たった1日で、身体と神経がヘトヘトになる。

これを毎日、そして、何年も続けるのだ!


こんなに、ツラい大変な仕事だとは!


やると見るとは大違いだった。


また、ある時期には、【建設作業員】として働いた。

といってもバイトなので、《手元》という手伝いにすぎない。腰を据えてこの世界でやっていこうと思ったら大変だ。

なぜなら、【建設作業員】と一口にいっても、鳶職人、左官職人、塗装職人、解体職人、電気工事職人、内装職人、測量、墨出し、型枠大工職人、などをはじめ、実に【40種類】近くに分かれる【技術職】なのだ。

技術を身につけ、いっぱしの《職人》になるまでには、それぞれ、長い年月の鍛練を経なければならない。非常に厳しく、また奥の深い世界である。

上記のうち、何種類かの職人さんの手元で働いたが、働けば、働くほど、その《職人の技》の見事さ、奥深さに、畏敬の念を抱かざるを得なかった。


 体力と根性さえあればできる仕事


というイメージを持っていたことを心から恥ずかしいと思った。


 絶対に誰でもできる仕事ではない。


こうした体験から思うに、実際に働いてみれば、その仕事なりの苦労がわかり、薄っぺらい先入観などは打ち砕かれ、そして、尊敬の念がわき起こる。


その他、【販売】【介護】【清掃】なども経験したが、一つ言えることは、


デキる人間は、どのような作業であってもバカにせず、目の前の仕事を深く掘り下げ、研究し、学び、試行錯誤し、創意工夫し、価値を創造する。


デキない者ほど『こんな底辺の仕事!』などと言って『仕事』のせいにする。そんな姿を私は少なからず目の当たりにしてきた。

そもそも、《誰でもできる仕事》とはなんなのか?

【歌う】こと、【絵】を描くこと、【文】を書くこと、《誰でもできる》ではないか?

でも【歌手】【画家】【作家】として、《食べていく》となると難しい。

同様に、【清掃】や【運転】だって《誰でもできる》しかし、【清掃業】や【運送業】として《食べていく》となると厳しいのだ。

それが、

  《仕事》=金銭が発生する


ことの厳しさであり、そこには「なにか」が必要になる。では、その「なにか」とはなんであろうか?

以下の二つのエピソードがそれを明らかにしていると私は考える。


伝説の俳優、松田優作は、自らの進む道に自信を失くし、「カメラマンなんて、つまらない仕事ですよ」と卑下する若いカメラマンに
 

「つまらない仕事なんて絶対に口にするな。この世はそんなものはない。どんな些細なことでも真面目にしろ。」


と語った。(渡邉俊夫談)

これが決して【キレイごと】でもなければ【適当な励まし】でもないことは、松田優作の《仕事への姿勢》(=生きざま)を垣間見るだけでわかる。


松田優作は、俳優デビュー前、


早朝の牛乳配達から、皿洗い、建設作業員にいたるまで、実にさまざまな仕事を体験してきている。


俳優デビューしてからも彼は、スタッフの1人が、少しあくびをしただけで


「○さんがあくびした。今日は、もう、仕事にならない!やめだ!」


と言った。どれだけの緊張感と真剣さを持って撮影現場にのぞんでいたかが、うかがい知れるエピソードだ。

また、彼の仕事への熱情は凄まじく、24時間仕事のことを考え、突き詰め、掘り下げ、監督との意見の違いにも絶対に妥協せず、激しく衝突していたようだ。

自分より背丈の低い役柄を受けた際には、両足を切断し、足の骨を短くする手術を真剣に考えたという。

なにより、松田優作の生涯最後となる出演作品「ブラック・レイン」(米国1989年/監督リドリー・スコット/出演マイケル・ダグラス、高倉健、松田優作)に末期ガンの激痛と苦しみに耐え、苛烈なまでのハードなアクションを最後までやりきったというのであるから、もはや《凄絶》という以外にない。


松田優作は、若いカメラマンに、


この世につまらない《仕事》はない。ただ、つまらない《仕事への姿勢》があるだけだ!


そう、言いたかったに違いない。


また、「大学は、大学に行けなかった人々に尽くす人材を育成するためにこそある」との理念のもと大学を創立した、ある民衆指導者は社会に雄飛する青年たちに以下のエピソードを紹介した。


“帝国ホテル元社長の犬丸徹三氏は現一橋大学を卒業後、ホテルに就職し、ボーイ、コックなどの仕事についた。

当時は職業への偏見が根強く、先輩からは“君の仕事は光輝ある母校の名を汚すもの”と詰め寄られたことも。

しかし氏は意に介さず、コックの腕を磨こうと英国に渡った。

そんな氏に与えられた仕事は窓拭き。毎日同じことの繰り返しが続く。

思わず初老の同僚に不満を漏らした。

すると同僚は汚れたガラスと拭き終えたガラスを指さす。そして


“きれいになれば限りない満足を覚える。生涯の仕事に選んだことを少しも悔いていない”


と。

その誇り高さに氏は衝撃を受けた。


以後、どんな仕事も誠実に取り組み、一流のホテルマンになった。(『私の履歴書』第12集 日本経済新聞社)


どんな仕事でも心を込め、立派に仕上げれば、人間が磨かれ、信用もついてくる。


一流と言われる会社にいる人が、一流なのではない。『一流の人間』が働いている会社こそ、どこであれ、何であれ、一流なのである。” と。

まとまりもなく書いてしまったが、とどのつまり、


人生に対し、自らの仕事に対し、真剣かつ誠実に向き合って生きている人は、特定の職業を【底辺】などと見下すことは決してしないだろう。


また、

警備であろうと清掃であろうと、誇りを持って日々、真面目に仕事に取り組んでいる人を【底辺】などと見下す者は、誰がみても誰が聞いても、もはや、《人格》を疑われるといってよい。

それが、この「底辺 vol.2」の結論である。

Vol.3へつづく…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?