#1 「子ども、売ります」…大人も泣ける山田悠介作品!
愛する息子・優を病気で亡くした泰史と冬美は、ある会社を訪れる。そこで行われているのは、子どものレンタルと売買。二人はリストの中に優そっくりの子どもを見つけ、迷わず購入を決めるが……。100万部を超えるベストセラー『リアル鬼ごっこ』をはじめ、若者から圧倒的な支持を受けている山田悠介作品。本書『レンタル・チルドレン』は、「大人も泣ける!」と評価の高いホラー小説です。その冒頭を特別に公開します。
* * *
プロローグ
八月三十日。火曜日。午後二時四十分。
神奈川県渋野市。
乗客四十一人を乗せたバスは、国道から峠道に入った。左右に生い茂る木々が、太陽の光を遮断する。葉の揺れを眺めているだけで、涼しい気分になる。セミの鳴き声が、都会での生活を忘れさせてくれる。こんなにも気分が落ち着くのは何年ぶりだろう。俊太と一緒に来ることができて本当によかった。
見通しの悪い緩やかな坂道を、バスは一定の速度で進んでいく。くの字カーブでは、更にスピードが落ちる。
乗客の話し声が絶えない車内。窓からの景色を眺めていた熊本新太郎は、隣に座る俊太に微笑んだ。
「暑くないか?」
しかし俊太は、前の座席に視線を向けたままだ。
熊本は、胸元がよれよれになっている俊太の白いTシャツを直してやった。そして、おかっぱ頭に手を置いた。艶のあるストレートヘアだ。
「お父さんは嬉しいよ。俊太と一緒にいられて本当に幸せだ」
三十四年間生きてきて、一番の幸せを感じている。
だが、俊太の反応はない。パッチリと見開かれている目は、微動だにしない。まるで人形のようだ。それでも熊本には何の不満もなかった。あくまで、そばにいてくれるだけで……。再び日差しが戻ると、渋野市の町が眼下に広がった。建物の一つひとつが小さく見える。車の動きも辛うじて確認できる程度だ。
熊本は俊太の肩を叩き、住宅の屋根を指す。
「あそこは赤だ。青も緑もある。ほら、黄色い屋根があるのも分かるか?」
俊太の首が、指差されたほうに微かに動く。熊本だけが笑っている。遠くから、飛行機の音が聞こえてきた。熊本が眺めている景色を、白い翼が横切った。
「ほら俊太。大きいなー」
その時だ。坂道を猛スピードで下ってくる赤いスポーツカーが熊本の目に飛び込んできた。
熊本は思わず叫んでいた。こちらのバスが見えないのか、スポーツカーは大きく車線を外れた。
もう駄目だと目をつぶった時には、正面衝突していた。激しい揺れに襲われ、女性客の悲鳴が上がる。突然の事態に混乱し、運転手はハンドルをガードレール側に切ったようだ。危険を感じた熊本は俊太を抱き寄せる。
バスは、白いガードレールを突き破り、崖から転げ落ちた。
大勢の叫び声。座席から飛ばされた熊本は、天井で背中を強く打った。それでも必死に俊太を守ろうと、両手に更に力をこめる。
四十一の身体と荷物が、あちこちに飛び交う。窓ガラスが割れ、外に放り出される乗客もいた。
大丈夫……大丈夫。
上下左右に激しく転がりながら、俊太の耳元でそう言い聞かせた。しかしその矢先だった。手すりに頭を強打し、意識が遠のいた。抱きかかえていた俊太の身体が離れていく。その直後、バスが地面に叩きつけられ、動きがぴたりと止まった。凄まじい音が、周囲に響き渡った……。
間もなく、バスから上がった黒煙が空を染め始めた。車内からは、呻き声すら洩れてこない。潰れた車体。飛び散ったガラスの破片。ポタポタと垂れるガソリンやオイル。遠くに転がっているタイヤ。窓についた血の跡……。
真上を向いた入り口のドアが突然開いた。そこから、血がつきボロボロになった服を身にまとった子供が一人出てきた。
何事もなかったかのように、その子供はバスから飛び降りる。そして、振り返りもせず、また、顔についた血を拭いもせず、表情一つ変えずに、ゆっくりと歩きだした……。
山梨第一施設の待合室のソファには、タバコを吸いながら腕時計を見つめる相田伸がいた。
「まだかよ、おい」
既に三十分も経つ。いい加減待ちくたびれてしまった。それでも勤務時間が長くなれば、その分、金が多く入ってくるのだから別にいいのだった。
大学を卒業して、就職もせずにフラフラしている頃にこの仕事を見つけた。内容の割にはかなり給料がいい。楽して金が稼げるのだから最高だ。ただ、スーツを着なければならないというのが不満だが。
相田は肩まで伸びている髪の毛を両手でいじる。
最近、うざい暑さだ。そろそろ切りに行こうか。服だって買いに行かなければ。彼女にブランドのバッグをプレゼントする約束もしてるんだっけ……。
「早くしろよな」
愚痴を洩らすと同時に扉が開いた。相田は貧乏ゆすりをやめた。表情を引きしめ、立ち上がる。
メガネをかけた白衣の男の後ろには、男の子二人、女の子二人、計四人の子供が立っていた。全員五歳くらいだろうか。皆、こちらを見据えている。気味が悪いほど表情がない。
彼らを見るたびに思う。
コイツらがねえ。
「相田君」
白衣の男が口を開いた。
「はい」
「今回はこの四人を連れていってくれ」
相田は軽く頭を下げる。
「分かりました」
白衣の男は四人に向かってこう言った。
「じゃあこのお兄ちゃんについていって」
子供たちは声を揃えて、
「はーい」
と返事した。
「頼むよ」
「はい」
相田は待合室を出て、外に向かった。そして車のドアを開け、一人を助手席に、残りの三人を後部座席に座らせる。
「じゃあ行くぞ」
反応はない。
相田はシートベルトもせずに、アクセルを強く踏み込んだ。
「痛い」
後部座席に座っている男の子が前の座席に頭をぶつけたらしく、そう呟いた。相田は謝りもせず、車を飛ばした。
俺はコイツらを本社に連れていくだけ。
巷では、この子供たちのことをこう呼んでいる。
レンタル・チルドレンと……。
1
三人でいつもの道を歩いていると、五歳になったばかりの優が手を繋いできた。優は、妻の冬美の手もしっかりと握っている。私たちは腕を大きく振りながら、公園へ向かった。
「今日もまたブランコに乗るのか?」
優にそう尋ねると、
「うん!」
と元気な声が返ってきた。私は、冬美と顔を見合わせて微笑んだ。
優は、ブランコが大好きだ。公園にはジャングルジムや滑り台、シーソーや鉄棒など、いろいろあるのに、初めに乗るのがブランコで、帰るまで降りようとしない時もある。よく飽きないな、と呆れるほどだ。
「パパ!」
優が腕を引っ張ってきた。
「うん?」
「今日もいっぱい押してね!」
「よし! 優こそ怖がるなよ」
私は張りきって答えた。
「全然平気だよ!」
「お、言ったな~」
隣で冬美が、クスクスと笑った。
「怪我しないようにね」
冬美の言葉に、優は余裕の表情を見せた。
「大丈夫だよ」
「そんなこと言って。この前降りる時にバランス崩して、足すりむいたじゃないの」
「あれはただ失敗しただけ。それにちょっと血が出ただけだもん」
子供ながらに必死に言い訳をしているのが可愛かった。
「もう。今日は気をつけなさいよ」
自宅からいつもの公園まで三分だ。ブランコが見えてくると、優は私たちの手を離し、駆けだしていった。
「やれやれ」
私はそう呟き、冬美と一緒に優を追いかけた。公園に入ると既に、優はブランコに座って自分の力で揺らしていた。まだ立って乗るのが怖いらしく、小さく小さくこいでいる。
「パパ、早く押してよ!」
座りながらだと上手く揺らせないのだろう。すぐに呼び出しがかかる。
「はいはい」
私は優の後ろに回り、軽く背中を押してやった。それでは不満らしく、文句が飛んできた。
「もっと強く!」
「分かったよ」
私は右手に力を入れる。
「あなた、ほどほどにね」
私は冬美に頷き、
「しっかり掴まってろよ! それ!」
と優の背中を前に押し出した。
「いえーい!」
優は足をブラブラさせながら歓喜の声を上げた。
「もっともっと!」
「優! ほどほどにしなさい」
冬美の注意など聞く耳を持たない。
「パパ! もっと揺らしてよ」
私もこれ以上は危険だと思い、力を加えるのはやめ、真後ろで見守った。
「パパ! 押してよ!」
その時、突然、強い風が吹き、砂埃が舞った。砂が目に入るのを避けようと、顔を下に向けた。そして、視線を元の位置に戻した。すると、ブランコに乗っていたはずの優が消えている。まるで、風で吹き消されてしまったかのように……。
ただブランコだけが揺れていた。呆然としている冬美と目を見合わせる。
「優? 優? どこだ?」
私と冬美は慌てて探したが、優の姿は見当たらない。ほんの一瞬で、どこかに隠れられるわけがなかった。
「優! 出てきなさい! 優!」
いくら叫んでも、息子は出てきてはくれなかった。
「優? どこなの?」
冬美の声も、大空に虚しく散る。私は公園内を走り回って、名前を呼び続けた。
「優! 優! 優!」
その時だ。パパ! ママ! と優の声がした。私と冬美はハッとして、公園から道路に出た。
遠くのほうに、優の後ろ姿が見える。
しかし、少しずつ離れていく。
「優!」
追いかけても、振り向いてはくれない。距離は広がるばかりだ。
「待って! 優!」
「止まるんだ! 優!」
聞こえていないようだった。その後ろ姿は、霧に包まれ次第に消えていった。
「優!」
私はその場にくずおれてしまった……。