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「言葉の力」を信じる爆笑問題・太田光、祈りのような書き下ろしエンターテインメント 『笑って人類!』 #4

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機体に“PEACE LAND”と書かれた政府専用機が暗い空に浮かんでいる。

桜春夫(さくらはるお)は、シートに深く体を沈め、高いびきをかいていた。開いた口から流れた唾液が座席の頭の部分に丸い染みを作っている。

ガクンと機体が大きく沈んだ。

桜が目を覚ます。クルッと周りを見まわす瞳はどこか人を小馬鹿にし、ふざけているような印象だった。

ガクガクと上下に機体が揺れている。

やけに揺れるな。桜は多少焦っているようだったが、人に比べて少し上の位置に付いてる眉毛のせいか、元々どこか呑気な雰囲気がある。

機長からアナウンスが入る。

「現在当機はハンプティダンプティ島上空におりますが、ハリケーンの影響で着陸不可能な状況にあります。空港からの許可が出るまでしばらく旋回いたします。多少揺れますが航行に影響はありません」

「まいったな……」桜は地図を広げた。海の上に卵形の陸地が二つ並んで描かれている。それぞれ独立しているように見えるが、実はひょうたんのように真ん中で繋がっているのがハンプティダンプティ島だ。本来なら眼下には一面鮮やかな青い海が広がり、この島が見えているはずだ。それにしても、と桜は思う。ピースランド国際空港を離陸してから18時間はたっている。その間一度も起きなかったとは我ながら太い神経だ。

隣から轟音が聞こえてくる。地響きのような音だ。

派手ないびきで熟睡しているのは、五代拓造(ごだいたくぞう)。肥満体の彼のいびきは鼻腔が狭いせいか音も物凄く時々脳溢血ではないかと周りが心配になるほどだ。機体の揺れは更に激しくなった。

この状態でよく寝てられるもんだと、自分を棚に上げ桜は呆れた。「おい、五代君……おい!」

五代は一向に起きる気配がないどころかますますいびきは大きくなった。

桜春夫52歳、首相政務秘書・首席秘書。

五代拓造57歳、首相第二秘書・事務担当。

五代は警視庁出身。柔道七段。性格は真っ直ぐで実直であったが、何かと如才がない桜は年上だが不器用な五代を少しバカにしているようなところがあった。

桜は五代の鼻をつまむ。いびきがやみ、しばらく静かになる。みるみる五代の顔が赤く染まり膨らんでいく。

かっかっかっ、と息を詰まらせると、五代は桜の手を払いのけガバッと跳ね起きた。

「ああああっ! ……はぁっ……母ちゃん!」

「誰が母ちゃんだ。俺だよ」

「……あ? ……桜君?」

「ははは、寝ぼけるな。そろそろ到着するからしっかり目を覚ましてくれ」

「到着? まさかハンプティダンプティ島か?」

「そうだよ、だがまだ嵐で着陸出来ない状態だ」

「嵐? ……そうか、だからこんなに揺れてるのか」

五代はその時初めて機体の揺れに気づいたようだった。桜は呆れる。

「まさか、離陸してから一回も目を覚まさなかったのか? 18時間もたってるんだぞ」

「……ああ、時差ぼけかな」

「まだ早いよ。それより総理の様子を見てきてくれ。着いたらすぐマスターズ会議だ、寝ぼけたまま参加して世界中に恥をさらされても困るからな」

「おう、全くだ。今回ばっかりはしっかりしてもらわないと……」

他人のことを言えた立場かと思いながら、座席を立ちヨロヨロと機体後方の総理の個室へ向かう五代を見送る。

専用機は、まだ着陸の許可は出ないようで、旋回を続けている。桜は時計を見、片方の眉毛を上げると呟いた。

「……あまり遅れたくないな」

今回のマスターズ会議参加に寄せるピースランド政府の思いは特別なものだった。彼が仕える富士見幸太郎(ふじみこうたろう)ピースランド国首相にとってマスターズは一世一代の大舞台となるはずだ。

就任以来、「無能」「史上最低」と揶揄され続けた富士見幸太郎と桜の付き合いは、富士見が35歳で初当選した時からだから、もう20年になる。政治家としての資質も押し出しの強さもカリスマ性も特に感じたことがなく、この人に一生ついていこうなどと一度たりとも思ったことがなかった富士見と、ここまで長い付き合いになるとは、桜自身考えてもみなかった。これは浮き草のような桜の性格のせいもあるが、何の取り柄もなく頼りない、およそ政治家には向いていない富士見幸太郎という人間の持つ謎の引力に引き寄せられた部分も大きいと、桜は感じていた。

器が小さく小心者。妻には全く頭が上がらないくせに秘書には短気に当たり散らす。それでも桜はなぜか富士見を憎めなかった。時々ハッとするほど無垢な一面が垣間見える時がある。幼稚と言えば幼稚で今の世の中、特に政界にはおよそ不向きな性質であったが、桜にはそれが面白かった。そんな自分もまた物好きで酔狂で、やはり現代にそぐわないタイプだろうと自覚していた。ま、それならそれで構わない、どこに転がっていくか予想もつかない富士見にしばらく身を任せてみるのも面白い。楽天家の桜はそう思ってここまできた。

テロ国家共同体ティグロ代表のブルタウ将軍と安全な球連合主要国のリーダー達との和平会議は、富士見が初めて熱心に取り組んだ仕事だった。相変わらず国際会議で存在感を示すことも発言の機会も少なかったが、富士見は発案者であるフロンティア合衆国ホワイト大統領の言葉を熱心に聞き、メモを取った。何でも秘書任せだった首相がこの件に関しては資料を読み込み、古い書物まで調べているようだった。桜は、そのうち飽きるだろうとたかをくくっていたが、足かけ7年にわたるロードマップは一つの到達点に達し、今日にも成果を出そうとしていた。

「桜君……」

耳元で声がして見ると、五代が困った顔で立っていた。

「どうした?」

「総理がいないんだよ」

「いない? どういうことだ?」

「総理の個室にはいないんだ」

「おい五代君、飛行機だぞ、どっかにいるだろ」

「操縦席とか?」

「そんなとこにいられたらたまんないよ!」

「そりゃそうだけど……」

「トイレは?」

「あ! そうか!」

前方へ走っていく五代を見送り、桜はため息をつく。

「総理! ……総理! ……そこにいらっしゃいますか?」

“使用中”と表示されたドアを叩く五代の額から汗がにじみ出ている。

「……大丈夫ですか総理?」更にドアを叩く。

「どうかされましたか?」

……コン、コン……と内側から小さなノック。

「総理!?」

「……今出ます……」水を流す音がしてドアが開いた。五代は目を見開く。

「す、末松(すえまつ)?」

出てきたのは第三秘書の末松幹治(かんじ)52歳だった。

「君だったのか……?」

末松は申し訳なさそうに「……いやぁ、なんだかお腹の具合がずっと悪くて……」となぜか照れ笑いをし、顔を赤らめ、黒縁の眼鏡を取るとハンカチで拭きながら席へ戻ろうとした。

「ちょっと待て!」

「へ?」

「総理は?」

「……総理?」

「総理だよ! 富士見総理!」

「……さぁ? へへへ、何しろ私ずっとここにこもってたもんですから……」

「え? 18時間だぞ、ずっとここにいたのか?」

「ええ、どうにも腹が……」

「どんだけ調子が悪いとそうなるんだ?」

「へへ、すいません、どうも飛行機が苦手で……あ、使いますか?」

自分も18時間眠りっぱなしだったことを思い出した五代は猛烈な尿意に襲われた。「ああ……ん? そうじゃない! ちょっと待て!」五代の額から更に汗が噴き出し顔色が変わる。「総理は!? 富士見総理は!?」末松の両肩を摑み壁に押し付ける。「おい末松、誰か来なかったか? おい! 18時間誰もここに来なかったのか!?」

五代のあまりの勢いに恐怖を感じながら、末松は記憶をたどる。「あ、そういえば……」

「何だ!? どうした!? 誰が来た!?」

「一度だけノックされて……早く出てくれって……うん……あれは確かに総理の声だったような……」

「それでどうした?」

「お断りしました」

「バカ!」

「ええ、確か総理にもそう怒鳴られて、もういい! 別のトイレに行く、と……」

「別のトイレ?」五代は生唾を飲み込む。「それ、いつの話だ?」

「ええ、あれは確か離陸する少し前で……」

五代の顔から一気に血の気が引き足が小刻みに震えた。

「……離陸の前……?」

「ええ、10分ぐらい前でしょうか……あ、そうだ。総理は、空港のトイレに行ってくるから待ってろとおっしゃったような……」

窓の外から光が射す。夜が明けようとしていた。下を見るとさっきまでの嵐が去り、雲が晴れ、緑に光る島が徐々に近づいてきていた。「空港からの許可が出ました。当機はこれより着陸態勢に入ります。ご着席してシートベルトをお締めください」機長のアナウンスが流れると、五代は泣きそうな顔で呟いた。

「……こりゃあ、大変だぞ」

◇  ◇  ◇

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