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【人生最期の食事を求めて】下町天丼の物静かな気概と伝承の諸問題。

2024年1月26日(金)
天重(東京都墨田区太平)

JR錦糸町駅に降りた。
少し風が強いものの、1月にしては生暖かく過ぎ去っていく余韻に肌寒さの微塵もなかった。
錦糸町自体不慣れな街だった。
敢えて言えば、私は若い頃から下町と言われる東を苦手としていた。

私が首都圏の西側の片隅に住んでいた頃、敢えて東側をあえて避けていた。
それは、第二次世界大戦後の米ソ2大国を軸として東西を分断した東西冷戦の構造とは全く非たるものなのだが、どことなく江戸子気質と下町風情が色濃く残っていた空気への厭世感のような苦手意識のようなものかも知れない。
当然にしてそのエリアでの知人も少ない。
そう、その苦手意識は私の過剰な妄想と偏見に過ぎない。

この地に由縁のある森鴎外や芥川龍之介といった近代日本文学の礎を作った文豪たち、さらには小説「濹東綺譚」を書いた永井荷風のように、下町風情を愛した小説家もおり、さらに言えばドイツ映画の旗手ヴィム・ヴェンダースがこよなく愛する風景も下町の紛れもなく現実的な生活感なのだ。

永井荷風(1879〜1959)
東京スカイツリー

住宅が軒を連ねる低層の密集、張り巡らされた電線、直線に細長く伸びた歩道、時折日向を求めて現れる野良猫という佇まい。
それを否定するかのように、突如として低層の密集を突き破り張り巡らされた電線を掻き分けて、天に刺さろうとする東京スカイツリーの光景もまたこの街の未来に向けて内在する異形の象徴なのだ。

どれだけ歩いただろう?
まだ11時30分を過ぎたばかりだというのに異様なほどの空腹に襲われた。
しかも昼前だというのに、か細い路地裏は日陰に覆われていた。
生暖かい風も陽の少ない路地裏では、心なしか肌寒く感じる。
そこに紺色の年季の入った暖簾が静かに揺れていた。
枯枝の間隙から文字が垣間見えた。
そこには舌代という書体じみた文字が浮かんでいた。
“しただい”または“ぜつだい”という表現は、どこかこの街に馴染んでいる。

天重

ゆっくりと扉を開けると、薄暗い店内でビジネスマン風の2人の男性客がカウンター席に向かい、なにやら商談風の会話をしていた。
厨房で調理に勤しむ大将と女将の丸くなった背中が見えた。
私に気づくと、女将がお茶を差し出してきた。
その足取りは辿々しく、むしろ言ってくれれば私から取りに行くべきと思うほどだ。
メニューは至って簡素だった。
私はすぐさま「天丼」(1,000円)をお願いした。
厨房からは、油の弾ける音が韓国訛りの日本語で話すビジネスマンの会話を遮るように店内の静謐を支配している。

私の席からは、厨房に立って調理し続ける2人の丸い背中が映画のひとつの情景を切り取ったかのように映し出された。
その背中は、この地で営々と天ぷらを作り続けてきた気概が無言のまま寡黙に訴えている。
『誰かこの老夫婦の後継者はいないものか?』
私は差し出された丼を受け取りながら、感慨深くそう思った。
大ぶりな海老2匹を天井にして茄子が傍らに、その下にかき揚げが身を潜めている。
しっかりと揚げられ一見濃厚そうなタレは、まさしく江戸風そのものだった。
なのに海老を一口かじりつくと、見た目ほどの濃厚さはなくご飯に掛かったタレが食欲を刺激してやまなかった。
茄子はシンプルそのもので、揚げ過ぎないことで素材の持つ風味を活かそうという配慮が滲み出ているような気がした。

天丼(1,000円)

発酵の効いた漬物を食べながら、私は再び後継者不足問題に苛まれてしまった。
この店だけでなく、全国には味と技の伝承の断絶という諸問題が生じているはずなのだ。
その問題は、私個人だけではなくこの国においても、しいてはこの国に押し寄せる外国人観光客にとっても甚だ大きな損失だ。
行政並びに政治は、この諸問題にどう取り組むというのだろう?

かき揚げの絶妙な味はご飯をさらに催促した。
じっくりと天丼を味わい尽くすはずだったのに、思いのほか加速して完食に至った。
財布から1,000円札を取り出し、奥に佇む女将に渡しに出向いた。

『どうか末永くお元気で』
店を後にする私の背中はそう語り、再び宛もなく歩き始めるのだった……。

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