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【人生最期の食事を求めて】名古屋食文化の中で際立つ大人風味。

2024年1月2日(火)
きしめんよしだエスカ店(愛知県名古屋市中村区椿町)

予期せぬ名古屋滞在は2日目に入った。
昨年11月に訪れた際、謳歌できなかった名古屋飯への密やかな試みはもちろんある。
しかしながら、人は予定していなかったことを目の前にするとやりたかったことすらも見失うものだ。
1月1日という1年が始まる初日に、あの地震が石川県を襲った。
そして、もともと予定していなかった名古屋の滞在は、精神的には盛り上がりに欠ける思いを施していた。

それに反して、天候はすこぶる良好だった。
どこまで続く青い空は高層ビルの輪郭を際立たせ、近未来の都市空間に身を置いているような錯覚を抱かせた。
それと相まって名古屋駅周辺はすでに群衆を右往左往に交錯している。
駅と直結するデパートは初売りに集う老若男女で埋め尽くそうとしている。

JRタワー名古屋
HAL名古屋

午前11時になろうとしていた。
やがて訪れる空腹のために、私は名古屋飯のあれこれを巡った。
ひつまぶしという手に届きそうもない贅沢、11月に食した味噌煮込みうどんの再来、エビフライという空前絶後の巨大、あんかけスパゲティの未知なる領域。
そのどの店もがことごとく長い行列を成していることに驚きはなかった。
ただ落胆だけが繰り返し押し寄せる漣のように私の足元に絡みつき、前進を阻むのだった。

気持ちを切り替えるためにコーヒーショップの一角に陣取り、午前を静かに過ごすことに決めた。
その間にも、私の思考から名古屋飯が消えることはなかった。
少し足を伸ばしたところで混雑は変わらないであろう。
するとふと過去の名古屋滞在が脳裡を巡った。
思い出したのは、きしめんだった。

農林水産省の定義によると、きしめんとは厚さ1mm、幅7から8mmほどの平たいうどんを言い、刈谷市の名物だった平打ちうどん(ひもかわと呼ばれていた)がルーツとある。
言わずとしれた愛知県のソウルフードである。
「きしめん」というネーミングの由来は諸説あるようだが、紀州で作られた「紀州麺」という説や中国のお菓子である「碁石麺(きしめん)」をヒントにして名づけられたという説もあるという。

エスカ地下街

13時を迎えようとしていた。
いずれにせよ私の足は、初めて名古屋に訪れた時に食した「きしめんよしだ」に向かっていた。
あまりにも多くの人々が集うエスカは、再び私を不安と落胆に誘っているように思えた。
目指した店の前には、午後になってもやはり列が途絶えていなかった。
その多くは家族連れかインバウンドの男女複数名の群れで、当分は立ち尽くしかない覚悟をした時、年嵩の女性店員が少人数の客の優先案内を始めた。
自ずと頬が緩む感覚が訪れたことを自覚しながら、私は混雑する店の中に入り、当然にして「きしめん」(850円)をすぐさま注文した。

きしめんよしだエスカ店

案内されたテーブル席の隣では、韓国語で話す男女4人が談笑しながら思い思いにきしめんを啜っていた。

さほど待つことなくそれは登場した。
のどかに湯気が目前をたゆたいながらも立ち消えてゆくのを望みながら、昔味わったスープを確かめるように啜った。
ムロアジとたまり、そして鰹節が混交して織りなす奥深い風味が鼻と喉の奥底にまで押し寄せた時、私は思わず声を上げそうになった。
そうして平打ちの麺を徐に持ち上げ、ゆっくりと噛み締めた。
なんという優美な風格と柔和な喉越しであろう。
ある意味で名古屋飯からぬ素朴な味ゆえにこそ、箸を休めることを忘れてしまいそうだ。
以前は山梨県のほうとうと名古屋のきしめんの違いなど判るはずもなく、また判ろうともしなかった。
似て非なる味覚であることを知る喜びこそ旅の醍醐味のひとつでもある。

きしめん(850円)

隣からは韓国人の客が相変わらず談笑しながら食べているものの、その食ペースは遅延していて一向に進んでいなかった。しかも麺を一本一本持ち上げては少し噛んで丼に戻す食べ方を繰り返していると、突如として会計に立ち上がった。
その食べ残しからしてきしめんが口に合わなかったようだ。
それはそれとして仕方あるまい。
出汁を吸い込んだ揚げを吸い込みながら、私は思った。
縦長に伸びるこの国の風土がもたらす食文化の多様性と、さらに言えば新幹線のホームですら蕎麦ではなくきしめんというこの街の独自性は、今後も揺らぐことはないのだ。

残りのスープを飲み干しても妙な満腹感は訪れなかった。
むしろどことなく爽快な満足感と言っても良い。
店を出てもエスカには群集がまだまだ右往左往している。

今夜の名古屋飯をどうするかという前に、午後のひとときをどう過ごすかが喫緊の課題であることにあらためて気づいた……。

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