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【人生最期の食事を求めて】江戸前天丼への想いを馳せて。

2023年4月21日(金)
「神田天麩羅はちまき」(東京都千代田区)

季節外れの灼熱が地下鉄構内に潜む冷気を打ち消していた。
地上を擦過する群衆はみな半袖で、汗を拭う行人が多く見受けられた。

数年ぶりの神田神保町。
若かった頃の名残りが其処此処に残り香を発しているはいるものの、巨大なビルの佇立と連なりが街の表情を一変していた。

時計を見ると14時40分を過ぎようとしている。
ランチというには遅すぎたのは仕方あるまい。
それでも空腹であることに変わりはない。

神保町といえば、言わずもがな古本の街であり、学生の街であり、カレーの街であり、洋食の街である。
それに応じて私の空腹はカレーを求めては大行列。
洋食を求めてはランチ終了。

昔しばしば通っていた天丼屋は跡形もない有様だった。
さらに記憶を手がかりに辿っても、もはやそこには不在あるいはランチ終了の店ばかりで、頭上から降り注ぐ日差しが歩き疲れた体に憔悴を招いていた。
『もはやこれまでか…』
心の中で諦念を納得し、牛丼かラーメンのチェーン店で満たそうという意思が芽生え始めた。


店頭から昭和の趣を放つ。

すずらん通りの日陰を求めてさらに歩くと、天麩羅の有名店がまだ暖簾を掲げている。
すでに15時が過ぎていたが、無理を承知で暖簾を潜ると、威勢の良い「いらっしゃいませ」という声が趣のある店内に響いた。
どうやらまだ営業しているようである。
奥のテーブル席に導かれ、席に座るや安堵と徒労感の入り混じった何かが体の奥底から溢れかえる感覚に襲われた。

とりも直さず天丼(900円)を求めた。
すでに冷房の効いた店内は、来客もだいぶ引いた静謐さを称えていて、たまにアルバイトと思われる女性スタッフのつなたい日本語が打ち破った。

すると、天丼が運ばれてきた。
その風貌は薄茶色の火山灰を被った山脈のようで、それぞれの具材が鋭く天に伸びている。
海老、きす、イカという江戸前の贅を薄っすらとしたタレが斑模様を織り成していた。
そのタレは実に優しい甘さで、それぞれの素材の味を引き出す。
まして空腹の絶頂は、丼を持ち上げて思いのままに掻き込みたい欲求を導こうとするのだが、それを留めるように赤出汁の味噌汁に手を伸ばした。


手に届く料金のメニューが並ぶ。
黄金色に輝く美しい天麩羅。

この店は、江戸川乱歩といった著名な小説家や役者といった著名人が通い詰めたことでも知られている。
文豪とはおこがましいが、昭和文士の気分を堪能しながら、時折テーブルに置かれた生姜をゆっくりと咀嚼して味わい尽くすことに努めた。
そうは言っても900円という天丼を、果てしなくは続かない人生の中で、今度はいつ再びこの地を訪れるのだろう?

外はまだまだ暑熱に覆われていた。
すると何故だろう。
ドイツの哲学者アルチュール・ショーペンハウアーの格言がよぎった。
“そうだ。勇敢に生きろ、そして勇ましく胸を張り、運命の打撃に立ち向かえ。”

その言葉に奮い立った鋭気が足取りを軽くさせ、まるで人生の坂道に抗うように九段下へと続く緩やかな上り坂を踏みしめていくのだった…

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