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【人生最期の食事を求めて】老舗ロールキャベツシチューへの耽溺。

2024年1月28日(日)
アカシア羽田空港第2ターミナル店(東京)

私は常々、人生最期の食事はシチューが良いと想い募っている。
そこに理屈などなく、この世から去ることを理解した上で最期に何を食べようか、という直感的な問いから見出した答えに過ぎない。
もっともなんらかの病状によって死が迫ってきたとしたら、その時はシチューどころか病院食もままならないはずである。
だからといって、自己の人生の終着を知らずして終わる突然死も不条理甚だしい。

学生時代から愛読していたフランスの小説家アルベール・カミュは“不条理”をテーマにした作品を発表し続け、不条理に反抗する人間をテーマに据えながら、46歳の若さで不慮の交通事故死でこの世を去った。
なんと皮肉なことであろう。
だからこそ、私もまた不条理に反抗して生きながらも、どこか不条理な死に怯えているのだ。

アルベール・カミュ(1913〜1960)

日曜日の午後の羽田空港ほど気が滅入る場所はない。
どこもかしこも混雑を極め、人の交錯の隙間を縫うことすら面倒で、しかも空腹を満たすための店もまた人だかりの様相だからである。
コロナ禍を乗り越え日常の光景が戻ってきたことは否定しないが、その日常がどこか所在なげな幻影のように見えて仕方なかった。

とまれ、レストランエリアに向かった。
午後とは言っても案の定、どの店も混雑を極めていた。
羽田空港で遅い昼食を摂るという目論見は失敗だと思った矢先、ロールキャベツシチューの名店が私の前に立ちはだかった。
新宿アカシア。
1963年の創業以来、愛され続けたロールキャベツシチューの名店が羽田空港第2ターミナルに存在していたことを知らなかった私は、声では現すことのできない驚嘆と歓喜を押し殺しながら店の前に佇んだ。
当然のように、入口のすぐ横の椅子には入店を待つ客が静かに座っていた。

アカシア羽田空港第2ターミナル店

男性スタッフの良く響く声音が辺りを支配した。
「メニューを見てお待ちください」
私の手にもメニュー表が渡された。

ロールキャベツシチューを軸にした多彩なメニューに、私はシチューの迷宮への一歩を踏み込もうとしていた。
すると、再び男性スタッフが店から現れると、
「何にされますか?」
と訪ねてきた。
「コロッケの2種盛りとロールキャベツシチューをお願いします」(1,530円)
と直感的に応えた。
直感的でいいのだ、と私は言い終わった後も納得していた。
なぜなら、名物のロールキャベツシチューが組み合わされてさえいれば何を口走ろうとそれで良いのだから。

10分程待つと、食べ終えた客と入れ替わって店内に案内された。
左隣の若い男女の客はすでに黙々とロールキャベツシチューとライスを、右隣の男性客はロールキャベツシチューとオムライスを食していた。

すると、カウンター席の眼の前から女性スタッフがロールキャベツシチューとライスを差し出した。
見るからにくすんだ黄色がかったとろみのあるシチューを纏ったロールキャベツが現前している。
さほど間も空けることなく黒々としたソースを纏ったコロッケを載せたプレートが置かれた。
まずはシチューを一口啜ると、塩味の効いた味つけがライスを求めてやまない。
さらに、ロールキャベツにブラックペッパーをふりかけ、箸で引き裂くとしっかり煮込まれていながらも挽き肉が溢れ出し、まさしく新宿アカシアの真骨頂とでもいうべき味わいに、私は心躍りながらライスを頬張った。
ところが、コロッケもロールキャベツに劣らず静かな自己主張を放ちながら私を出迎えている。
歯切れ良く小気味良い咀嚼音が耳の奥底から脳に轟くと同時に、帆立の風合いがどこからともなく私の中に訪れた。

コロッケの2種盛りとロールキャベツシチュー(1,530円)

私はその時、ある疑念に襲われた。
『もしかしたら、これが最期の食事なのか?』と。
ロールキャベツシチューもコロッケも、それほどまでに私の体内を駆け巡り、私自身を生の終末へと急かしているとしか思えなかった。
だが、仕方あるまい。
この世は不条理に満ちているのだから。
たとえこの先、不慮の事故に遭遇したとしても、私は常に人生最期の意識で食事に接し続ける。
だからこそ、コロッケの2種盛りとロールキャベツシチューが繰り出すひと味ひと味を完食に至るまで集中し、堪能するまでのことだ。
フライトの時刻には充分余裕があるのだから……。

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