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【人生最期の食事を求めて】核心に迫る名古屋めしの数々。

2024年1月3日(水)
伍味酉本店(愛知県名古屋市中村区)

私の人生において、おせち料理を食べたこともなければ初詣もしたことがない。
つまり、正月らしいことをしたことがなければ、それが当然だとか必要だとかいった習慣がないだけのことである。
それゆえに、正月への特別感や神聖感は皆無だった。

この街で3日間を過ごしてみたが、晴れ着姿は少なく門松や締め飾りのようなものを見かけることは稀だった。
歴史は街を作り、街は文化を育む。
きっとそういう文化なのだろう。

昨夜同様、夕刻に翳ろうとしている栄を歩いた。
繁華街の華美なネオンとともに人々の往来も戻っている気配だった。

若者たちが集い、弾けるような笑いに溢れ、鷹揚と歩き過ぎ去っていく。
そんな街に私は幾分疲れを感じるようになった。
きっと年齢を積み重ねていくと否応もなくそうなるだろう、と自分自身に言い聞かせながら、栄のほぼ中心部を歩いていると、
小さな人だかりの中に雑然とした看板が歩道に配置されていた。
“創業1956年 天下の名物 元祖名古屋めし老舗居酒屋”
というフレーズに心踊りながら足を止めた。
ともあれ店に入るとすぐさま店内に案内された。

伍味酉本店

薄暗い印象の店内はまだ空席が目立っていた。それもそのはずである。
営業開始は17時であるが、時計を見るとまだ17時10分を過ぎたばかりだった。
何はともあれビールを注文しようとスタッフを呼ぶとほぼインド系のスタッフばかりだが、誰もが礼儀正しく日本語も美しい。
凛とした風情の女性スタッフがすかさずビールを運んできた。
と同時に、「どて味噌煮込み」(700円)を注文すると、凛とした風情の女性スタッフは注文を確かめるや否や、「ありがとうございます」と明瞭な滑舌で応じた。

店内は徐々に若い客で埋まり騒然とする兆しを投げかけてきた。
私の両隣の席も20代前半と思われる若者が席を占領していたが、覚悟していたよりも騒々しさはなく、俄に私は安堵に包まれながらビールを飲み干すのだった。
どて味噌煮込みが静かに置かれた。
茶褐色の煮込みの上に盛られたネギが瑞々しい。
濃厚に見えながら絶妙な豆味噌風味が宿り、酸味と甘みの混濁した味わいが舌の上を滑りながら体内を駆け抜けてゆく。
これこそが本場の名古屋めしの真骨頂だ、と私は自分に言い聞かせるように心の中でひとりごちた。
いとも容易くビールはなくなり、お代わりを催促すると同時に、「味噌おでん5種盛り合わせ」(880円)と「味噌串かつ」(1本200円)を頼むことにした。

どて味噌煮込み(700円)

今夜は茶褐色に染まろう。
私は小さな決意を胸に秘め、先に訪れたビールをひとくち流し込んだ。

ともあれ、私の理想とする他拠点生活はホテル暮らしである。
スーツケース、バックパックさえあれば私は生きていける。
ところがその矢庭に、ギターの存在がそれを遮るように誇示してきた。
ギターとともに旅をする。
まさにスナフキンではないか。
どて味噌煮込みを突きながら、私は無意識のうちに笑みを浮かべていることに気づいた。
現実的には、それも難しいことはわかっているのに……

にべもなくビールがなくなってゆく。
そうしてハイボールを追加すると、一緒に味噌おでん5種盛り合わせと味噌串かつが訪れたことでテーブルは茶褐色に覆われた。

味噌串かつを頬張るとやはり濃厚な味噌風味がビールの余韻を打ち消す。
おでんも同様で豆味噌の圧倒的な実存とでもいうべきだろうか、私は次第に焦燥感に駆られ始めた。

味噌おでん5種盛り合わせ(880円)
味噌串かつ(1本200円)

焦燥感?
以前に名古屋で食した本場の味が重々しい印象に変えたのだ。
昼に食した名古屋コーチン親子丼はすでにその余韻すらないというのに。

少しずつだが着実に味噌串かつを完食し、つまみにキャベツで休憩を取りながら、残りの味噌おでんに挑んだ。

重厚そうに見えて軽妙な味わいなのに、食べ進めていくと何か食欲の減退を催した。
けれども私は自分に言い聞かせた。
『名古屋最後の夜、せっかく名古屋めし、完食あるのみ』

茶褐色のメニューばかりを頼んだ戦略自体が誤りであることを認めた時、すべてを食べ尽くし最後のハイボールを口にしていた。

あらためて食とは、それぞれの地域やそこに暮らす人々の育んできた文化の象徴であるという再認識を迫られた。
そうして、2024年元旦から始まった旅は能登半島大地震はまさに想像の埒外であり、名古屋で正月三が日を余儀なく過ごすことも同様だった。
スナフキンのように生きることが私の理想である以上、そういったアクシデントやハプニングは当然のように背中合わせであろう。

道路がうっすらと濡れ、車のヘッドライトの反射と奇妙なイルミネーションの光がそこはかとなくその明るさを増しているように見えた。
どうやら雨が降ったようだ。
通り過ぎゆく人々は傘をさしていない。
確かに傘をさすまでもないほどの小雨だった。
私も同様に傘をさすことはなく、名古屋めしの余韻を引きずりながら明日からの西への移動を夢見た……

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