見出し画像

春恋しい、おでんと魚料理に浸る夜。

「煮炊き屋 魚吉」2021年4月25日(日)


嵐のような突風は、容易いまでに体温を奪った。
ダウンジャケットはもちろんのこと、グローブも手放せない寒さであった。
まもなく5月だと言うのに、この寒さはいったいどこから襲来してくるのだろう?
こんな日々が続くと温暖化とは遠い未来の先のものに感じるのは、あくまでも端的な日々の断片にしか意識を向けていないことだとは、分かってはいるのだが。

久方ぶりの日曜日の夜を友とともに盃を傾けることになったのだが、この状況下における店の選択肢は数少ない。
そんな中、この花冷えの日におでんの店は相応だ。
皆が季節外れの寒さにかじかみながら歩く札幌駅前通も、何気に人出が増えて来たようだ。
古めかしい雑居ビルの地下へ降りてゆく。
客の無人の店の中は、どこか小綺麗で端然とした空気を放っていて、外からは窺い知れない。
若女将風の着物姿の女性の案内によってテーブル席に掛けた。
テーブル上に配されたコンロ。
これは何を意味するかビールの注文と同時に尋ねた。
すると、おでんの鍋用だと言う。
テーブル席だとしても、おでんの熱を維持したまま食するスタイルは珍しい。
「大根、玉子、生姜天、牛スジ」とともに「じゃがバター」なるおでんを選んだ。
寒い日といえ、ビールは凍りつくほどの冷え具合が心地よい。
おそらく、この季節においても熱力のある料理を欲するのは、ひとえにこの地の特性と考えてもよい。
鍋に盛られたおでんとコンロが辺りに熱を放ち始めた。
辛子とは別に、帆立と海老と昆布の味噌だれが添えられた。
おでんの熱は、気がつけばすっかり寒さを打ち消し、ビールを再び呼び覚ます。
そこに「じゃがバター」が運ばれて来た。
おでんの鍋とは別に小鉢で訪れたそれは、バターがとろけるじゃがいものゆえであった。
魚料理の店ということもあり、「刺身盛り」を追加しようとすると、「栃尾納豆」という聞き慣れないメニューに心惹かれた。
メニューのネーミングは興味喚起を促し、注文したい衝動すら呼び起こす。
それほどまでにネーミングは、客にとって注文のメルクマールとなり得るのだ。
気がつけば、無人だった店内も客が溢れかえっていた。
小ぶりなわりに割高感のある「鮪カツ」とハイボールを、さらに「鯖の味噌煮」を追加したものの、「鯖の味噌煮」が一向に訪れなかった。
女将風のスタッフにも次第に余裕がなくなり、注文した料理を失念してしまったようだ。
この現象も一種の“コロナショック・シンドローム”で、しばらく続いた閑暇な時間はスタッフ不足をもたらし、仕事の感覚と回転を鈍らせているのだろう。
女将風のスタッフの丁重な謝罪と計らいは、むしろ心地良さを覚えた。
店の混雑ぶりにも配慮し、すっかり闇に支配された外に出た。
再び感染拡大が兆す札幌の夜に、若者たちのはしゃぐ声音が不気味に響いていた…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?