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メディアとアートのこと私自身(今夜溢れ出た言霊)

情報に様々な感情を揺さぶられる世界。
幾度となく社会に充満する不確かな情報のやり取りに心が病んできた。
メディアは関わる人間が増えれば増えるほどに他者のバイアスがかかってしまう。整理された文字にはキャッチーでインパクトがあり、あるいは耳心地の良い言葉で巧みに包みその内容の信憑性に関わらず純粋な人の心を先導しやすい。

アートはその点直接的で何のオブラートに包み隠すこともなく作者の魂とメッセージが放出される。その分もとのただ痛みだけを継承し具現化した形になって更に鑑賞者の心に重く突き刺さる暴力的瞬間装置でもある。

どちらも使う人間次第で未来を切り開く希望の魔法にもなり。呪いにもなる。相反する、全く完璧ではないものによって人間は成り立っている。両側面の人格(魂)が互い違いに顔を出して。

良き行いも悪さも。共に経験していく。そうやって成長していくしかない。そうやって生きるしかない。

私の中には、夜叉のような人格がある。

起こりっぽく非常に短気で荒っぽい。その真っ赤な感情の矛先を間違えれば私は何人もの人間を傷つけたり殺めてしまうかもしれない。私は人間とその素晴らしき創造物たちを愛している。だからそうさせまいと創の方の私が呼びかけ、色彩の魔法を与えた。大切に使えば私自身の虚無感も救うてがかりにもなり、共鳴者が現れたときにはきっとそのポジティブに転換されたエネルギーはより拡張をし始め、自分が思いもよらなかった貴重な出来事に遭遇する。その試練を乗り越えた時だけはちゃんと自分をはっきり認識し、自己を肯定することができるのだ。

夜叉のような自分の感情を隠すのに失敗している時、私は無意識に自分という尊厳を過剰謙遜と遠慮と自己卑下の演出で自分の手で塗り潰してバランスをとろうとする。自覚しているのにこれを克服する術はまだみつからず、他者を傷つけない為にはこうするしかないのだ。。その失敗の繰り返しで削り取られてしまった私がある。
攻撃性を宿したままの自分を罰し、弱らせ落ち着かせる為に自虐的な行為に向かいやすい。失恋に向かったり、わざと自分が傷つくような経験を探しにいく。
自分を自覚したり説得させるための極めて個人的で面倒な儀式の流れに巻き込んでしまった人々には本当に申し訳なく思っているが、とても感謝もしている。

人間は何かを失うと。新しい世界を見ることができるからだ。精神を清く保つその精度が上がり。美しいものをたくさん発見する千里眼となる。

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