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「渋谷系の王子様」と、あの日のオリーブ少女に思いをはせて


90年代。日本でいちばんCDが売れ、音楽業界に活気があった時代。
現在でもよく用いられる「J-POP」という表現は1988年にラジオ局・J-WAVEがつくったとされていることを踏まえると、この時代はちょうど、日本独自の「ポップミュージック」が成熟した時期といえるのかもしれません。

そんな記念すべき時代の音楽シーンを彩ったひとつに、「渋谷系」と呼ばれるジャンルがあります。90年代の「サブカルチャー」を代表するようなそのジャンルに偶然出会ったことで、わたしはより深く90年代の音楽を聴き込むようになりました。
そのきっかけとなったのが、「渋谷系の王子様」オザケンこと小沢健二さんです。

「渋谷系」というジャンルには、明確な定義がありません。
ピチカート・ファイヴのようなキラキラ明るい王道ポップスから、オリジナル・ラヴのようなブラックミュージックの流れを汲むもの、さらにスチャダラパーのようなゆるめのヒップホップも含むとされ、ジャンルとしては多岐にわたります。それぞれのジャンルに共通する「洋楽志向の強さ」や、当時HMV渋谷店(もう閉店から10年も経つんですね…)でカリスマバイヤーとの呼び声が高かった太田浩店長がセレクトしたアーティストたちを総称して言ったのがはじまりだとか、いろいろな説はあるようですが。 

(定義については、元ピチカート・ファイヴ野宮真貴さん、スチャダラパーBoseさんの「渋谷系」当事者同士の対談が非常におもしろいです。興味ある方はぜひ)

また、「渋谷系」と称されたアーティストたちは、00年代はじめごろにはすでに解散や活動休止をされていることも多く、その実態は96年生まれのわたしにはよくわからないところも多くあります。
ほかでもない小沢健二さんご本人も、長らく音楽活動から(さらには日本からも)離れておられたこともあり、実は彼のことも詳しく存じ上げてはいません。

そんな状態で、わたしはなぜオザケンと出会い、自分が生まれる前のカルチャーにまで出会ってしまったのか。そのお話をしていこうと思います。


今夜はブギー・バック

わたしがオザケンの名前をはじめて知ったのは、やはり超名曲「今夜はブギー・バック」がきっかけでした。しかし、はじめて聴いたのは彼とスチャダラパーのオリジナルではありません。2009年リリース、TOKYO No.1 SOUL SET + HALCALIのカバーバージョンでした。

いまでも「ラップする女の子2人組」といえば、chelmicoより先にHALCALIが浮かんでしまいます。この曲ではラップしていませんが。

この曲は当時日産「キューブ」のCMで使われていて、そこで聴くうちに耳から離れなくなりました。絢香×コブクロ「WINDING ROAD」、Superfly×JET「i spy i spy」など、あの頃のキューブのCMソングって名曲揃いだったんですよね…
知ったときはカバー曲とは全く知りませんでしたが、TOKYO No.1 SOUL SET + HALCALIがMステに出演したときに言及があったことで、オリジナルのアーティストが別にいることを知ります。「小沢健二」という聞いたこともなかった名前に興味を持ったわたしは、さっそくオリジナルバージョンも調べてみることにしました。

なんか遅くない?

カバーバージョンの、アップテンポでノリノリなサウンドにすっかり耳が慣れてしまっていた当時のわたし(中学生)には、オリジナルのけだるげな良さがあまりよくわかりませんでした。そんな感想だったので、わたしは当時、そこからオザケンを詳しく調べることはなかったのです。


いったい何者…?

そこから数年後。軽音部員だった当時高校生のわたしは、あらゆる国内外の音楽をとにかく広く浅く聴きあさっていました。そのなかでハマった多くのアーティストのうちの1組が、東京スカパラダイスオーケストラです。スカパラとの出会いは厳密にはもっと前なのですが、アルバムをさかのぼったり、彼らの活動を調べて色々聴くようになったのは高校生になってからでした。

あまりにスカパラにハマってしまったので、スカパラ名義でリリースされている「歌モノコラボ」を聴くだけでは飽き足らず、彼ら(特にホーン隊)がサポートとして参加している、他アーティスト名義の曲まで探して聴くようになりました。
そうしているうちにたどり着いたのが、オザケンの代表曲「ラブリー」でした。

「今夜はブギー・バック」の人、普段はこんなポップな曲歌ってる人やったんや…!

想像の2倍くらい長かった、という感想も同時にわきましたが、この曲は前と違ってすっかり気に入ってしまったので、ついに世紀の名盤『LIFE』をレンタルして度々聴くようになりました。(とはいっても、このときは名盤なんて知らなかったし、ほぼ「ラブリー」の1曲リピートばかりでしたが…)

そしてあるとき母の車でこの曲を聴いていると、突然母が「えっ小沢健二!?」と食いついてきました。母は特に音楽を聴く人ではなく、大ヒット曲のサビだけかろうじてわかるくらいにしか音楽に興味もない人なので、そんな母がまさか彼を知っていたとは思わず、わたしもびっくりしてしまいました。
「昔めっちゃ流行ったわー… たしか東大卒やねんな、この人」

え??????

母でも知っているほどの有名アーティストであったこと、東大を出てミュージシャンになった人を初めて知ったこと。その両方が当時のわたしには大きすぎる衝撃でした。そして初めて、わたしは「小沢健二」本人のことを調べます。

あの世界的指揮者・小澤征爾の甥っ子なん?マジ?????
あとフリッパーズ・ギターって名前、なんか聞いたことあるぞ?????

東大卒なことも事実だったし、どうやらここ10年以上は音楽活動を控えて学術的な活動をされているらしいこと、その関係でどうやら日本からも離れておられるらしいことも知りました。情報が盛りだくさんなうえどれも一般人とは程遠い内容すぎて、もはやこれは架空の人物の設定資料か?と思うほどでした。

テレビへの露出も当時まったくなかったうえ、実際の彼がどういう人なのか知る術もなかったので「小沢健二って、いったい何者?」という思いだけが、ずっと胸のなかに残っていました。


元祖「サブカル女子」

また、このときスカパラのほかにハマっていたバンドにキュウソネコカミがいます。インディーズ時代の彼らの歌詞はなかなかのディスにまみれていて、そのなかの1曲「サブカル女子」をきっかけに、当時ちょっと流行っていたこの「サブカルチャー」という言葉を知りました。

略すと、この曲のように蔑称の意味も出てきてしまう言葉です。ご不快に感じられてしまったらすみません。
でも、軽音部なんてまさにサブカルの極みのような部活に所属していたわたしには、周りの人たちも含めて歌詞の内容に(なんだか不本意ながら)かなり心当たりがありました。そこでなにが「サブカル」に当てはまるのかが気になり、調べていきます。

時代の変化とともに意味が変容してきているなんともややこしい言葉であることを知りましたが、その具体例を調べていくうちに知ったのが、2003年に休刊した雑誌『Olive』の存在でした。そこに至るまでの具体的なところは色々複雑すぎて記憶があいまいですが、はじめて聞くタイトルになんだか興味をひかれ、さらに調べてみました。
都会的"シティボーイ"のファッションとカルチャーを紹介し、男女問わず今でも人気の男性誌『POPEYE』の増刊号が始まり。フランスの「リセエンヌ」カルチャーの紹介など、「モテ」をうたう赤文字系雑誌とは一線を画した内容で、「オリーブ少女」という名前がつくほど熱狂的な読者層を持ち、今でも根強いファンが多い伝説の雑誌…

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この表紙のルックなんて、今着て街を歩いていても普通に可愛い!
ここまで知って、当時FUDGEを好んで読んでいたわたしは、実物を見たこともないのに「これ今も出てたら間違いなくわたし読んでるな…」と思いました。
80〜90年代、自分が生まれるずっと前に、今の自分でも良いと思える雑誌が出ていたなんて思いもしませんでした。

そして、そんな雑誌『Olive』にオザケンがエッセイの連載『ドゥワッチャライク』を持っていたことを知ります。まさかここにもオザケンが関わってくるなんて。
ここでようやく、わたしは小沢健二というアーティストが「渋谷系」というジャンルに属し、ひとつのムーブメントの中心となっていたこと、そしてミュージシャンとしての魅力に加えてその知的さから「渋谷系の王子様」とまで呼ばれ、アイドル的な人気を誇っていたことを知りました。いやもうほんま何者やねん…

この件で、わたしは「オザケン、リアルタイムで活動を知ってたらファンになってたな」と直感します。でも、それまででした。


推しの推し

高校も卒業に近づいたころ、わたしは突然アイドルにハマります。でんぱ組.incのことです。現在は下北沢で本屋さんを経営されている、ねむきゅんこと夢眠ねむさんが大好きでした。(バカリズムさんとのご結婚のニュースもほんとうに嬉しかった!おめでとうございます!)
多摩美卒の経歴を生かして、キャラクタープロデュースやファッションブランドとのコラボなど、アイドル時代からデザインの分野でも活躍されていたねむきゅん。彼女が影響を受けたアーティストとして挙げていたのが、ほかでもないオザケン、およびフリッパーズ・ギターでした。まさかここでもオザケンの名を見るとは!

さらに、リンク先のインタビューにもある通り、でんぱ組.incで「強い気持ち・強い愛」のカバーもしています。そしてアレンジはヒャダインこと前山田健一さん。

推しの推しなら聴くしかない。


ようやく、手元にある『LIFE』、そして「強い気持ち・強い愛」収録の『刹那』の順に、オザケンを聴いていくきっかけができました。

ほんとうに王道なたどり方をしています。


ようやく実体を知る

そして、『刹那』を聴くようになってしばらくした頃。予想外のニュースを知ります。

小沢健二、2016年5月から約6年ぶりの全国ツアー「魔法的 Gターr ベasス Dラms キーeyズ」開催。

このニュースを知って、わたしはまず「小沢健二って実在したんだ…」と思いました。そして、なんだか無性にこのツアーに「行っておかないといけない」ような気がしました。ここで行っておかないと、この幻のような存在をもう二度と観られないかもしれない、と思ったのかもしれません。
Twitterでの長年のファンの皆さんの盛り上がりように、完全にわかのガキンチョが割り込むのは申し訳なく思う気持ちもありましたが、どうしても興味がわいてチケットの抽選に申し込みました。当選しました。
声をかけられる、そもそもオザケンを知っている友達が周りで思いつかなかったので、ひとりで参加しました。

ライブ当日。入場してみると、やはり周りは30代以上ばかり。20歳そこそこでひとりで来ている人なんて見つからなくてちょっと心細い気持ちもありましたが、それでもようやくオザケンをこの目で観られる、という興奮に胸が躍りました。
そして、いよいよ開演。このツアーは未発表の新曲も多く披露されており、はじめて聴く曲も多かったのですが、もういかにも「これが小沢健二か」という歌詞・演出に、ようやく彼を実体として捉えられたような気がして感動しました。彼の書くどこか抽象的な歌詞はわたしには理解が難しいこともよくあるのですが、生のパフォーマンスで聴くと、やっぱりこの曲にはこの歌詞なんだな、という気もしました。ライブを観てこんな気持ちになったのは、おそらくオザケンが最初で最後だと思います。
そして何より、周りの年上のオーディエンスの皆さんが、全員高校生のようなキラキラした表情でステージを観ていたことがものすごく印象的でした。
この熱狂ぶりを観たとき、彼が「渋谷系の王子様」と呼ばれていた理由がようやく理解できた気がしました。


いま、また「オザケン」を聴いて

その後は、ひとまずTSUTAYAで過去作のアルバムを一通りレンタルしましたが、オザケンは「カローラⅡにのって」などアルバム未収録のシングルがやたら多く、またどうやらサブスクも(少なくともSpotifyでは)全曲は解禁されていないので、まだまだにわかレベルの知識しかありません。変わらずマイペースな活動を続けられていることもあり、それ以上はあまり彼のことを知る機会もありませんでした。このnoteで取り上げようと決めたときに、ようやく最新アルバム『So kakkoii 宇宙』を聴いたほどです。すみません…

このアルバムを聴いて、「魔法的」ツアーで聴いた新曲、こんなんだった!と4年前の記憶がどんどん蘇ってきました。

そして、不思議なことに、いまではSpotifyで小沢健二・スチャダラパーの「今夜はブギー・バック -nice vocal」をよく聴いています。今ではこちらの良さもしっかりわかるようになりました! なんだか大人になれた気分です。


わたしがばらばらに好きだったものを連想ゲームのようにたどっていくと、あらゆるものがオザケンに繋がっていた。あのちょっとゾッとするような衝撃は、もう今後味わうことはないでしょう。
なんだかまた、数年ぶりに渋谷系を聴きあさってみたくなりました。



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