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なぁんだ家康 どうした瀬名姫の理想

昨夜、大河ドラマを観てしまった、本能寺の変をしかけたのがキリシタンとくるかと思ってたのに、残念だなぁ

信長を殺すなんてくちばしるのなら、正妻の瀬名姫と嫡子信康を何とか守る、いや、あの二人と次の日本をどうするとかの理想を共に持ったのだから、あんなの堂々とほったらかして然るべきだと思う

家康の一生は、律儀そのもの、信長は、秀代の正妻のねねに対しても優しい手紙があつまたりする

これでは、支離滅裂の家康、自分の正妻と嫡男を殺しておいて、信長を殺す、それも秀吉なんかと語らって、明智をつかう??、なぁんだ、瀬名姫の理想は語れない、ゲス野郎だ

どうして信長が戦争に勝てたのか、堺を抑えて、千利休などの死の商人によるポルトガル商船、堺の鍛冶屋による鉄炮、東南アジア製の鉛とか、いや、日本の植民地化のために、主語を耶蘇教側として考えてもいいのかも知れないのだ

そして、信長のスペインとの決裂によって、信長が自ら天主と称し、比較的大人しいポルトガルから過激なスペインに統合されたタイミングと一致し、耶蘇教側が信長暗殺をキリシタン大名、家臣に指示したと仮定すると、わかりやすい

後に家康が新教徒のオランダと組んだのだ、ヤン・ヨーステン、八重洲だ

関ヶ原の色分けも耶蘇教徒か否かで分けると分かりやすい、豊臣恩顧の大名を二分したのではない

もちろん、家康は、意識して、秀吉の部下達を戦わせ、自身も死ぬ覚悟で戦ったのだ、オランダの大砲を使って戦ったのだ、本多らしい

そして、自分の部下を遠い東山道経由にして、無傷で関ヶ原に遅参させたのだ

みんなの前で秀忠を叱りつけるパーフォーマンスまでもおこなっているのだ、徳川家臣団を温存しているのだ、バカじゃない

新教徒オランダ船の大砲を持ってきて、キリシタン大名を粉砕したのだ

そして、その仕上げが大坂城の外堀の埋め立てなのだ、そう大砲の射程距離の問題なのだ、だから夏の陣に天守閣に届いたのだ

日本は、聖徳太子の時に、蘇我氏、そう、我よみがえる、厩戸の王、キリストなのだ、対抗するために、神道、仏道を持ってきた、だから和を持って尊しなのだ、だから偉いのだ

日本は、長らくキリスト教と戦っている、聖徳太子のころ、戦国時代、明治維新後、敗戦後もそうだ

誰か大きく教えてほしいものだ、あんなに残酷なことをする耶蘇教を悪く書けない日本のタブーのようにさえ感じるのだ

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