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クワイエットクイッティングしてませんか?

先日東京は雪だったが、湯河原のサテライトオフィスは雨。幻想的な山を見ながらこのブログを執筆。

クワイエット・クイッティングの長期的リスク

私が最近とても危惧しているのは、人生における生き方を決定づける大事な時期に「「クワイエット・クイッティング(Quiet Quitting)」、すなわち「必要最低限の仕事はこなすが、心理的に仕事から遠ざかっている状態
を長期間続けていること、そしてそのことを自らに論理的に説得し、自分を肯定してしまうことである。

クワイエット・クイッティングは雇用側から搾取されていることへの静かな抗議というのが最初の始まりなので、必ずしも否定的なものではない。
今回の文脈は、搾取への抗議を否定するものではない事はご理解いただきたい。

仕事に夢を持たない主義

私が2008年から開催しているパーソナル・グローバリゼーション(主体的・自律的に自分をグローバル化する)セミナーやワークショップの「セルフエンパワーメント」のパートで、よくこんなこんなコメントをいただく(セルフエンパワーメントについては、前回までのブログをお読みいただければ幸いである。)

「セルフエンパワーメントの概念はわかりますが、私は仕事に夢を持っていないんです。私は、会社に与えられた仕事をこなして行くことだけで、あえてそれ以上のことを考えないようにしているのです。
この数十年間、この仕事に関する知識やスキルは多少なりとも上がっていますが、仕事を通して私個人が成長した実感はないし、それも求めていません。私の仕事が、自分に勇気を与えてくれたこともありません。私が仕えてきた何人かの上司も私と同じ考え方です。私の会社では、ほとんどがそのように生きているのです。」

この生き方は、クワイエット・クイッティングという言葉がなかった時代から、脈々と続いている大手企業にありがちな日本的な働き方である。

疎外感を感じる理由

きれいごとではなく、生きていく事は多くの困難を伴う。多くの人々は、周囲と協調して、支えたり支えられたりして生きている。
ただ、自らの考え方や行動によって、人が離れてしまうこともある。
あるいは長年にわたって蓄積してきた自分自身の価値観が、世の中の動きと合わなくなり、自分自身の市場価値が下がってしまい、自分では理由もわからず、疎外感を感じることもある。

「自責」と「他責」な人生


セルフエンパワーメント」は、私の解釈で「他人や環境に影響されず、自分自身を強くすること、勇気づけること」である。

究極的に人生は「自責」であり、会社が悪かったからでも、上司が悪かったからでも、親ガチャだったからでもないと私は考える。

私が尊敬し信頼する多くの40代50代以上の人たちは、「セルフエンパワーメント」している。
他責」の人はいない。

データがあるわけではないが、20代30代を、クワイエット・クイッティング的マインドセット「他責」に生きてきて、人生の後半を急に「自責」で、生きる人はあまりいないのではないか。

こう書いてしまうと、若い時に「他責」で生きてきた人は、もう諦めたほうがいいように聞こえるかもしれないが、別にそういう意味ではない。
人生100年時代である。
20年人生が長くなったのであるから、30代までが若手ではなく、40代50代も若手と言われる時代になる。
50代から、「自責」で自らをセルフエンパワーする人生を生きるのは、早い時期に始めて来た人に比べ、より多くの努力と多少の大きめの痛みを伴うだけのことである。

「改革に乗り出す」「逃げる」の2択

実際、官僚的で死んだような組織も実在するので、短期的に、クワイエット・クイッティング状態に陥ることを100%否定するつもりはない。
だが、それが常態化してしまうと、周囲には同様な考え方の人たちが集まり、ますますその価値観や考え方に確信を持ってしまう。

心理学用語では、「正常性バイアス」、すなわち「多少の異常事態が起こっても、それを正常の範囲内としてとらえ、心を平静に保とうとする働き」である。

2040年に50歳になった人が、「私の20代30代は官僚的で自分に歯車でいることを求める組織にいました。その間、私は会社や上司への抵抗のつもりで、ずっとクワイエット・クイッティングしていたのです。
今思えば、私の同期の1人は、困難な仕事や職場の雰囲気を変えるために、頼まれもしない、私から見れば、めんどくさい仕事を引き受けて働いていました。私は内心、こんなことしたって給料が上がるわけでもなく時間の無駄だ、もっと自分の好きなことに時間を使ったほうがいいのに思っていたのです。実際そんなアドバイスを彼にしたこともありました。
時が経ち、現在彼は上司からも、同僚からも部下からも尊敬される人材です。それを目の当たりにして、私は間違っていたのかもしれないと感じ始めたのです。後悔先に立たず。」などと述懐するのは意味のないことだ。

本当にそんな組織にいるのであれば、2つの方法がある。
「改革に乗り出す」「逃げる」だ。

この2つを躊躇して動かないでいると、「茹で蛙」になる。
これは終身雇用・年功序列が崩壊しつつある今「」を意味する。

頭で理解していても、周囲で学歴の高い優秀な真面目な人たちも何の行動も起こさない。だから、自分も大丈夫だろうと考える。
そして、少しずつ「怠惰なぬるま湯」の中で茹で上がっていくのだ。

私の30代は、「改革に乗り出す」だった。その当時、私に勇気があったからではなく、それ以外にベストな選択肢がなかったのが正直なところではある。

しかしあの時期に、もし私が逃げてしまい、クワイエット・クイッティングを長期間続ける、あるいは給料の良い居心地の良い会社に移っていたら、今の私の人生は違ったものになっていたはずだ。

もちろん、これはケースバイケースなので、「逃げる」ことも常に選択肢として考える必要がある。

日本の現状を考えれば、人口減少、少子高齢化と年金問題、一人当たりGDPは大きく下がり、医療改革により、人生は100年になる。

国力が大きく下がる状態であるのに、あたかも高度経済成長期のようなサラリーマン・サラリーウーマン的マインドセットで生きるのは大きなリスクを抱えていることを冷静に客観的に認識すべき時期が来ている。

自分を成長させる「現場」

大きな変革の時期、苦しさ・痛みと同時にチャンスが生まれている。

今回、私が強調したいのは、ビジネスパーソンであれば必ず持っている「自分の現場」で学ぶ重要性である。

クワイエット・クイッティングが必要な場面や状況があることを否定しないが、長期的に継続してしまうと、将来禍根を残すことになる。

日々現場を「自分を成長させる場」と意識し、内省を繰り返し、必要であれば、リスキリングする。

そんな状態が「セルフエンパワーメント」な状態なのだ。

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