令和のスター how to do

なんだかんだ言いつつぜんぜん文章書いてないなあ。数年前よりこまめに考えが発散されやすくなったから、わざわざ個人のSNSに記す意味がなくなってきたのかなあ。てか“意味”とか言ってる時点でなあ。

こんばんは。「巻き込んで話せる人が増えていったおかげでひとり言みたいな文章がとても減った人」です。放出先を手繰り寄せつつある今、文章でそれをすることが疎かになっている。疎か?別に、生きるうえで絶対にしなくちゃいけない部分でもないんでしょうけど。

やだ。もう構成とか考えるの。相手にうまく伝わるようにしゃべるのも疲れた。一回休憩。このnoteは休憩の場にしたい。いちいち定義しなくちゃ安心して居座れないのも、なんかうるさい。

ということで、昨日の夜考えたことをだらだら記します。どうぞ。


プロ野球が開幕しまして、贔屓の千葉ロッテマリーンズは1勝2敗、試合内容も渋めとなかなか厳しいスタート。で、プロ野球といえば、今世間(当社比)の話題を独占しているのが横浜DeNAベイスターズのドラ1ルーキー度会隆輝選手です。度会選手は社会人野球から3球団競合を経て…ってダメだ。説明口調になってる。まあともかく、めっちゃ打つという触れ込みで入って、シーズン始まってもほんとにめっちゃ打ってる、稀代のスーパースターなんですよ、度会。ロッテがクジ当たってればという気持ちもあるんですが、けど明らかにDeNAがお似合いすぎてなんもいえない。今日はその度会の話。

度会、素人目に見ても野球がめっちゃ上手いんですが、それ以上に惹かれるのは人柄なんですよ。超絶陽キャ。すげえ好き。抜群の実力と重荷なはずの期待を背負っているはずなのに、人との接し方やものごとに取り組む姿勢が尋常じゃなく「軽い」。練習中のチームメイトにも「ずっとうるさい」と苦笑いされる始末。極め付けはこれ。

どこのプロ野球選手が練習後の写真でギャルピースするよ。しかもルーキー。衝撃だったよこれ。こういう写真は、せいぜいガッツポーズで今年も頑張ります的なことを言うのが一般的なのに…。やはり度会、ただもんじゃない…。

ここまで見て、ある人を思い出したんですよ。令和ロマンのくるまさん。高比良くるま。M-1チャンピオンの。くるまさん、好きなんですよね。まあここ数ヶ月で知ったド新規ですが。彼のエンタメ理論だったりネタの切り口はものすごく親近感が湧くというか、「自分があの場にいてもこういうネタやってそう」と人生で初めて感じた芸人さんでした。で、度会とくるま、似てるんすよね。

何が似てるか。うーん、なんか2人ともね、自分の魅せ方が似てる。圧倒的な才能にも関わらず、本職土俵外で、上手におどける。それも要所で。見てる人にどこか親近感をわかせる。なによりそれをかなり意図してやっていそうなところ。無意識ではなく、それが人を惹きつけるのを分かったうえで、自分の中にある一要素(嘘ではない)を、タイミングを見計らって出す。

若いうちからこれだけの天才で運もあって、しかもそれをある程度自覚していて、それぞれの分野において結果も出しているにも関わらず、そこと違う査定場所では「人と関わろうする」「愛されようとする」という弱者戦略を取る。それはなんかね、すごい謙虚なことだと思うんですよ。だって自分の世界観と腕を持ちながら、「1人では生きていけない」って深いところで理解して行動までしているってことでしょ?したたかがすぎると思うんだよね。

2人とも、野球やお笑いをやっている感じがしない。1番の根っこで「人生」をやっていて、そこにトッピングとしてそれらがある感じがする。目の前の対戦相手や芸の良し悪し以前に、もっと広いものを見てプレイしている感じがする。

ここから更に適当なこと言うけど、昭和や平成の「スター」ってたぶん、分野における「天才」のイメージが先行して一般人には畏怖されてたんだと思う。「天才、だけど、孤独」「天才、で、節約家」。凡人は「天才」という「才能」には共感できないが、その後に続く「人柄」には共感できる。「才能→人柄」で認知される。対して最近は逆な気がする。「よくしゃべる、けど、天才」「友達が少ない、し、天才」みたいな。「人柄→才能」の順番。受け取り手は初手共感から入らないと聞いてくれない時代。憧れによって恐れ崇められる天才はもう流行らず、共感できる親しみやすい人柄を持つ天才がウケる。言葉遊びかもしれんけど。そんでこの辺も分かっててやってない?2人とも。

なにが言いたいかって、度会とくるまは今後、「実力」以上に「人柄」の力によって令和スターのアイコンに奉られるんじゃないかなあと思うわけです。そしてこのZ世代がトレンドを握る時代において「スターになりたい」というのであれば、彼らのような態度や振る舞いがメインストリームになると考えたのです。「才能」は変わらず必須なものの、魅せる際にそれを先行させない。親しみを持たせといて、実力で殴る。DV彼氏みたいだね。

んーいやまだ全部言語化できてないな。DV彼氏論法だと、実力(才能)側を最終に置かざるをえないのに対し、令和スターは人柄部分に繊細な注意を払っている感じがして…、うーんまだまとまってないですね。

ともかく。「Z世代」の期限が切れるまで、たぶんこの2人のスタイルが時代の先頭を走りそうな予感がする。そして人柄の面においておそらく彼らと似た性質を持っているであろう俺もまた、「不登校」というテーマでこの世代の先取りをしようと考えている。彼らがどういった理由でウケているのか。また再現性のある部分はどこか、今後研究していこう。

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