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着ぐるみの事情              ⑬開演

「みなさーん!こーんにーちはー!」MC(司会のおねえさん)が満を持して登場する。言われた会場のこどもたちと大人たちはとりあえず「こんにちはー!」と返す。だが、優しそうなMCは実は厳しい。「あれ?ぜーんぜん元気が足りないよ!もう一度みんなで!こーんにーちは!」と納得いくまで野球のコーチのように声出しをさせ、はやくキャラクターを見たい観客を焦らし、あおる。

MCは、明るい声で素敵な笑顔を振りまき、抜かりなくこどもたちを味方につけてから、お約束をさせる。ショーが始まったらステージには近づかないことと、美少女たちがピンチになったらみんなで応援することである。3回程声援を送る練習をさせ、恥じらいを取り除いて喉の準備をさせておく。

そして、全てが整いこどもたちの大きな声でショーは始まる。「せーのっ!」「美少女ムーーン!!」

ついに始まった。みんなが音に合わせ、順にテントから出ていく。テント内のメンバーは出番の人の邪魔にならないように、また、テントをまくった時に客席から見えない位置にいなければならない。

私は出る順に先輩の後ろに並び、耳を澄ませしっかりと音を聞いていた。悪者の登場シーンになり、悪者のジングルが聞こえた。さっき練習した通りにジングルが聞こえたらすぐに小さな階段を上りステージに出た。

「オーッホッホッホッホ!」私は今までで一番腕を高く上げ、今までで一番背中を反らした。悪者の間抜けな悪だくみにこどもたちの笑い声が少し聞こえた。私はやり切って気分が高揚したまま、階段を踏み外すこともなく、テントにハケた。

美少女たちがステージに出たのでテント内の人数が少なくなった。まだ後半に私の出番はあった。一旦面を脱ぐかどうか迷ったが、先輩に「まだ次出るまで時間あるから脱げば?」と言われたので、そうした。でも次の出番までにかぶれなかったらどうしよう…という不安から、先輩の手前脱いだがすぐにかぶり安心を手に入れた。

その後、美少女たちの戦うシーンに再び私は登場した。最初のお約束をきっちりと守る律儀なこどもたちの、喉がイカれそうなぐらいの「がんばれー!」と言う大きな声が響いた。必殺技を決めたり、やられたりするたびに声援が大きくなり、私もこいつらをやっつけてやる!という悪い奴の気分になれた。今でもその時の先輩たちの演技は目に焼き付いている。

ショーはラストシーンを迎え、私ともう一人の先輩が演じる悪者はやられながらテントに引っ込み、美少女は3人出揃い、「バイバーイ」と言うセリフで終わった。美少女たちは音楽にノリながらテントにハケた。

ショーが終わるや否や、MCが登場しお客さんが席を立つ前にすかさず写真撮影会と握手会の案内を入れる。テント内はまだ、ああだったこうだったと話す雰囲気ではない。ショー自体は終わったものの、出番のある美少女3人がMCのアナウンスに耳を傾けながら、一瞬だけ面を脱いで汗をふいたり飲み物を飲んだりする。

MCが握手会の決まりや、並んでもらうための列を整え、「もう一度美少女ムーンに出てきてもらいましょう!」と言うまでのほんの5分程度の休息だ。

私は何かを手伝おうとしたが何をすればいいかわからなかった。


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