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着ぐるみの事情              ⑫30分前

1回目のショーは11時からだ。9時45分頃に通しを終え、私たちはステージ上を片付けた。10時になりお店がオープンした。オープンと同時に走ってきたお客さんがいくつかのパイプイスにタオルや上着を置き、席をキープした。私たちはテントの中で、出ハケの時のテントをまくり上げる係を誰がするかなどの確認をしたり、トイレに行ったり、余裕のある先輩たちは、ほんのちょっとだけ雑貨屋さんをのぞいたりして本番までの時間を過ごした。

お店がオープンすると、もうテントの中でもラジカセは鳴らせない。テントの側を歩いているお客さんに聞こえるとまずいからだ。

私もトイレに行こうと黙ってテントを出ようとした。「このはさん!トイレ?そうやったらトイレ行ってきます。って言わなあかんで。」キリン先輩に言われた。「あ、はい…。」「どこに行ってもいいねんけどな、どこに行くか言ってな。」

「あ、はい、トイレ行ってきます…。」無事にトイレに行けた。

これはただのいびりではなく、メンバーが本番30分前になっても気づかずに帰ってこない場合に「そういや、あいつトイレって言うてたな…。」と誰かが思い出せるように必ず必要な儀式だった。当時は携帯電話もまだ誰もが気軽に持てる時代ではなかったし、トイレが混んでいたり、広い店内でステージの場所がわからなくなってしまったりして、「○○さん、探してくるわ!」ということがよくあった。だから、先輩後輩関係なく、誰かには聞こえるように言わなければならなかった。

30分前には全員がテントに戻ってきた。スタッフが「30分前ー!よろしく!」と言いに来て、美少女ムーンのBGMを流しはじめる。お客さんがBGMにつられてどんどん増えてくる。司会のおねえさんが「美少女ムーンショーは11時からです。もう少し待っててくださいね。」とアナウンスする。

一気に緊張感が高まる。私は緊張していたが、大音量で流れるテーマソングとテント内のメンバーが、衣装を着てなりきる…のではなくだんだんと役者の目つきになっていく姿が他人事のように誇らしく思えた。私もそんな先輩たちの気迫に押され「面をつけたらできるんや!」と言い聞かしながら着替えた。

「みんないける?」本番5分前、スタッフが最終確認に来る。「はい!OKです!」キリン先輩がみんなを見てから答えた。

「この曲終わりでMC(司会)入るから。よろしくお願いします!」スタッフが言うと、全員が「お願いします!」の言葉を口にする。私も「お願いします!」と続いた。キリン先輩が「何かあってもカバーするから大丈夫。楽しもう!」と私に言った。

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