見出し画像

信念について語っておく

自分がなぜ今のようなことをやってるのかについて、文章に書いておくべきなんじゃないかと思ったので書いてみようと思う。

わくわくすることを生み出したい

小学生のころを振り返ると、プログラミングを趣味にし、電子工作も趣味で学んでいて、工作も大好きという(今と変わらない...)とにかく作るのが大好きだった。ある日、小4の担任の先生に「将来はエンジニアかな」みたいなことを言われた。その時初めてエンジニアという言葉を知った。親に解説を求めたら「技術者だね」との返事。「技術」という言葉にはとにかく魅力を感じていたので、無条件に「将来はエンジニアになりたい」と思った。その流れで高専の電気工学科に入った。

自分はエンジニアになるんだと思っていたんだけど、高専の5年生になったころ、どうも違和感を感じていた。「世の中相当便利なのにまだ便利とか目指すんだろうか」と。今から考えるとその頃にはiPhoneもなければ普及したサービスもなく、まだまだこれからって頃かもしれない。でもすでに疲弊したサラリーマンたちのイメージが強く、テクノロジーの進歩でただ仕事が増えただけで苦痛でしかないという状況が見えていた気がする。

自分はこのまま大きな企業にでも入ってエンジニアとして新しい技術を生み出し続けるのだろうか?なんか面白そうじゃない。必要じゃないと思う新しい技術を生み出すことに加担し続けるのが自分のあこがれの仕事なんだろうかと、強烈に疑問に思った。

そのとき重要なことに気がついた。技術の使いみちは利便性を求めることだけではなく「ワクワクするようなこと」に使うべきなんじゃないかと。このときのワクワクは、自分自身がワクワクというのもあるんだけど、もちろんワクワクした世の中にしたいという思いが強い。

野暮に説明すると、時間を短縮するような利便の方向性で技術を生み出しても実は息苦しい余裕のない時代がやってきてるのだとしたら、目的そのものを人々が楽しく生きるということに変えればいいという発想である。

人をハッピーにしたい
便利にしたらハッピーになるはず
便利にする技術を生み出そう

これをすっ飛ばすイメージ。

人をハッピーにしたい
人をハッピーにする技術を生み出そう

人を惹きつけるものは何か

自分は、高専を出た後和歌山大学でデザイン情報科に編入卒業したあと、多摩美術大学の大学院に進み情報デザイン科でメディア・アートの分野にいたのだが、この期間に学んだことを今になって意味づけるとしたら「人を惹きつけるものを探る」という作業だったのかもしない。テクノロジーで何ができるのかというのを自然現象をコントロールするような作品を作って模索してみたり、他の学生とのコラボでもテクノロジーの魅力を探るようなものをやっていた。

コンピュータを用いることで今までにない表現ができるというのは間違いなくあって、今の世の中はそりゃ相当そういうことで変化しまくってると思う。コンピュータ以前と以後で失ったものもあれば、見つかったものもあると思う。その中でも、人を惹きつけるものはどういうものなのか、というのを探した。

人を惹きつけるために必要な周辺を固める

テクノロジーだけでは効果的ではなく、意匠面やコンセプトなど重要なポイントは他にもいろいろある。それも学んでおかないとワクワクするものは作れないということで、それぞれ本腰をいれて学んできた。どこから見ても「良く出来てる」と思うようなものは、見る人を惹きつける。コンセプトのみならず、具現化するためのすべての要素が重要なわけだ。

ワクワクするものを作る仕事

アートの文脈にいつの間にかどっぷりとハマっていたこともあり、メディア・アートの世界で自分自身も作品を作り、グループ活動でも作品を作り、コラボでも多くの人と作品を作り、実現者としての受託でも多くの作品に関わってきた。

見る人をワクワクさせる、見る人が考えさせられて加速する、見る人が楽しくなる。そんなものを常に頭の中では考えている。

アートの文脈と自分の信念がピッタリきてるかどうかはわからないが、アートの世界において許容されるものではあると思っている。だが、残念ながら日本のアートのマーケットは小さく、なかなか仕事としては難しいという感触があった。

今は仕事としては展示に関わる制作というのがとても多い。これも見る人を喜ばせるようなものを作るのが求められる仕事であると思うので、自分の信念とは大きくずれてはいない。が、基本は制作のパートだと実現者として関わることになるので、企画など何を作るのかというところは決まった段階で依頼が来る。もっとこうしたほうが見る側が楽しめるのに、ワクワクさせられるのにという思いはあって、逆提案してみたり、こっそり直したりしてるわけだが、ここ最近はこの辺の違和感が気になってきてる。それもあって外部CTOという形も探ろうとしてるわけだ。

世の中をワクワクさせる前に、家族をワクワクさせる

娘たちへのプレゼントシリーズは、自分の重要な作品であると思うのだが、これについて考えていることを書いてみる。

妻からの要求もあり娘のプレゼントを自作でというのが始まったわけだけど、これは上記の流れでいうとこういうことだ。

自分のスキルを使って娘を喜ばせ、なんなら加速させるようなものを作りたい

テクノロジーというくくりを自分のスキルに置き換え、ターゲットを体験者すべてという広いくくりではなく娘一人にしぼりこんだ形になる。

プレゼントシリーズは現在も継続中だが、この制作は本当に楽しい。作るこちらも楽しいし、おそらく受けての娘も楽しい。なんとなくこのシリーズは見た人もなにか刺激を受けるようで、評判がいい。もしかしたら、見る人をワクワクさせられているのかもしれないと思っている。

ポジティブ vs ネガティブ

自分がやろうとしてることはポジティブな思考だったり、ポジティブな感情を広めていくということで、これは難易度が高い。想像するとわかるのだが、ネガティブな感情やネガティブな行いは強く伝搬するのだ。

例えば、Twitterなんかで誰かが強烈にネガティブな発言をしたとする。それは炎上する。炎上するとそれは多くの人の目に触れ、多くの人にネガティブな感情を与える。そして、その中の一定数は同様にネガティブな発言をTweetしてしまうのだ。ネガティブはネガティブを生み出す。報復合戦とかもそうで、報復という行為自体がネガティブで生産性がないと思うのだが、やられたらやり返すというのは連鎖していく。

一方でポジティブな行いというのは伝搬が難しい。例えば、Twitterで見かけるネガティブな発言に対して苦言を呈したいと思った場合、真にポジティブな行いとしては、苦言を呈するというネガティブな行為を封じ込めてしまう。ぐっとこらえて飲み込むのだ。つまり、ネガティブに対していポジティブは何もできないことになる。弱い。弱すぎる。

ワクワクを伝搬させるのがやりたいこと

結論に行こうと思うが、自分がやりたいことはこれ。ワクワクを伝搬させ、世の中をポジティブな空気で満たしたい。テクノロジーを活用するということが自分の武器であるのは間違いないので、それは活用する。でも過程で得た多くのスキルも武器なので、なんでも使う。とにかく、ポジティブなものを増やすしかないと思っている。

よくできたものは人をハッピーにすると思っている。考え込まれたものづくりというのは、使い手のことも社会のことも視野にいれて作られる。そういう良いものを地道に増やすことが自分にできることで、それを継続的にやっていくしかないと思ってる。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

11

Shinya Matsuyama

siro Inc.
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。