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ライスボール「涙のセンタク」の歌詞を読み解く

1 「涙のセンタク」の歌詞を読み解く

2021.6.18にリリースされたライスボール「涙のセンタク」。
6.13の東奥日報にその紹介記事が出ていました。

コロナ禍の中の人々に「泣いてもいいんだよ」と送る弘前発のメッセージ。関係者は多くの人たちに届いてほしいと願っている。

姿を現さないまま忍び寄るコロナの恐怖の中、曲は傷つけ合う人々に信じ合うことを訴える。
(6.13 東奥日報13面)

ということで、この東奥日報の記事にあるコンセプトに沿って、曲のメッセージを私なりに読み解こうと思います。
形式的には、歌詞を区切って引用した後に、私の解釈(翻訳)を書いていきます。
(なお、引用する歌詞の形式(改行など)は、歌詞カードに従っています。)

「涙のセンタク」作詞・作曲:多田慎也 編曲:島田尚

人間だけなんだってね 感情で涙流すのは
それは悲しい時だけじゃなくて 自分の為だけでもなくて

君は知っているかい、感情で涙を流すのは人間だけなんだと。
悲しい涙、嬉しい涙、悔しい涙、感動の涙・・・いろいろな涙を人は流す。
他人が悲しんだり、喜んでいるときでも、自分のことのように感じて涙を流すこともあるんだ。

例えば敵にそっと その手を伸ばす時
それは他でもなく僕に 差し出されてる


君を許しますように 君の中に僕もいる
雨水がそう巡るように
罪も罰も僕のもの 全部全部僕のこと

世の中では、いろんなところで対立が見られるよね。
例えば、それまで対立していた人に、君が歩み寄ってそっとその手を伸ばすとき、君のその手は他でもなく僕に差し出されているんだよ。

僕は、君が差し出してくれた手を見て、嬉しくて思わず涙を流してしまうよ。
できるなら、君の味方だった人たちが「敵に手を伸ばした君」を許してくれるように願うよ。
わかり合いたい気持ちは、本当は僕も同じだったんだ。
これまで誰かと対立するような行いをしていたことを悔いているよ。
僕が敵だった君とわかり合うことで、誰かが僕を非難するなら受け止めよう。
だって、それは自分がしてきたことの結果なんだから。

※この歌詞が一番難しかったです。
「(君が)敵に差し出した手が、僕に差し出されている」=君と僕は敵対関係にある。
「君を許しますように」=君も何かしらの罪を犯していて、さらに「罪も罰も僕のもの」=僕も罪を犯している。

一体どういうことかと迷いました。
次のフレーズと相まって、誰もが気づかないうちに(あるいは軽い気持ちで)、傷つけたり敵対してしまっている状況があり、それが「罪と罰」でもあるのかなと「強引に」解釈しました。
でも、もっと素直な受け止めがあるんじゃないかとも思っています。

競争で傷つけ合ったり 空想で罵り合ったり
目に見えないものって怖いけど 信じることもできるんだよ

世の中では、老人と若者が争っていたり、ワクチンを巡って国と国が競争したりしている。そして、SNSでは人を傷つける噂話が絶えることがないよね。
コロナは目に見えない怖いものだから、誰かのせいにしたい気持ちもわかる。
だけど、君と僕がそうしたように、お互いを信じることもできるんだとみんなに伝えたい。

大きな声で泣いた 命に出会う時
それは君以外みんなが 微笑んだ時

君は生まれるときに大きな声で泣いて、涙を流していたよね。
でも、周りの人たちはみんな微笑んでいたはずだ。
そんなふうに人を幸せにする力が涙にはあるんだよ。


君をただ見てるだけで なぜ泣けてしまうのだろう
花咲けない寒い日々に 伸ばした根も君のもの
全部全部 君のこと

活動が制限されている中で、報われるかわからないまま努力を続けている君をただ見てるだけで、胸が熱くなって自然と涙が流れてくる。
がんばれって、君を応援できることで僕は幸せなんだ。
君の努力はちゃんと君の実力として身についているよ。
そして、君の努力の日々は確かな出来事だったんだ。

※RINGO MUSICファンの立場からすると、コロナ禍の中で、ステージに立てる確証もないまま練習に励むRINGOMUSUME、ライスボール、アルプスおとめ、リーフたちを見ている気持ちと重なりますね。

旅は続いていくよ 記憶を埋め尽くすことが
生きていくことなら 君となら 何だっていいから
瞬きも ため息も 勿体無いよ

これからも手を取り合って生きていこう。
記憶を埋め尽くすことが生きていくことなら、どんなことでも君との記憶を大切にしたいよ。
だから、君といるわずかな時間も惜しいんだ。


君を許しますように 君の中に僕もいる
雨水がそう巡るように 罪も罰も僕のもの

僕は、君とわかり合えたことが嬉しくて、思わず涙を流してしまうよ。
誰もが立場を超えて、許し合ってほしいと願うよ。
わかり合いたい気持ちは、君も僕も、誰もが同じなんだと思いたい。
僕が変節したと、誰かが僕を非難するなら受け止めよう。
だって、それは自分がしてきたことの結果なんだから。

忘れないから 忘れないでね 教科書に載るほどのこの日々で
僕らは支え合えたんだ 全部君と僕のこと
小さなこの地球(ほし)のこと

教科書に載るほどのパンデミックの日々でも、僕らはわかり合い、信じあい、支え合えたんだ。
僕はそのことを忘れない。だから、君も忘れないでほしい。
それは、確かに全部君と僕がやってきたことなんだ。
小さなこの地球で起こった、伝えていかなきゃいけない記憶なんだよ。

※「君」は、特定の誰かというよりも、「僕」以外のすべての人々ととらえた方がしっくりくる気がします。

2 タイトル「涙のセンタク」の意味

3つ候補を考えました。

(1)洗濯
泣きたいときは思い切り泣いて、涙でコロナ疲れの気分を一新したり、癒されたりしていこうという意味。(本命◎)

(2)選択
辛い、悲しみの涙ばかりでなく、わかり合える喜びの涙とか、「いい涙」を流すことができるように前向きにやっていこうという意味。(対抗〇)

(3)宣託
自然と流れ出る涙の感情(涙のお告げ)にしたがって、素直に生きようという意味。(大穴▲)

3 あとがき(歌詞が書けない私だけど)

歌詞を書くということは、さまざまな制約の中で、感情を凝縮して伝える行為だと私は思います。
だから、一つの言葉がいくつもの意味を持ったり、行間が何かを語っていたりします。メッセージソングであれば、なおさらです。

ところで、
私は歌詞が書けません。
長文で、言葉を尽くして物事を表現することはできます。
歌詞は、言葉の数が限られる上に、メロディーに乗せたり、韻を踏むことも考えないといけません。
そんな芸当は私には無理です。

さて、
そんな歌詞の書けない私に「涙のセンタク」の意味がわかるのか?

そんなふうに思っていたら、2021.6.19の「Apple Pop」で多田さんが
「時を経て歌詞の意味に気づくこともある」
みたいなことを言っていました。

つまり、
「歌詞の意味は、「これが正解」というものはなく、受け取る人の感性や経験によって、変わっていくものだ」
ということです。
それぞれが、自分の解釈でいいんです。この記事も、現時点での私の受け止めにすぎません。
数年後、この記事を読み返した時に、「浅いこと書いてるなあ」と思えるくらい感性を高めていきたいものです。

おわり

MVがものすごくいいので、ぜひ。


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