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地球に残る私

お久しぶりです。特に大きなニュースもありませんが、更新します。

高校の隣のクラスで、卒業10年後の学級通信が発行されました。隣のクラスに在籍していた友人に読ませてもらい、高校の同級生のその後を読みました。

結婚しました。子どもが生まれました。喜ばしい報告が多い中、私の友人は旅先で感じたことを書いていました。情報を伝えようとする多くの文章の中で、感情が瑞々しく伝わる友人の文章は不思議と私を惹きつけました。彼女と未だに友達で居る理由がなんとなく分かった気がします。

そして、私も久しぶりに書いてみようと思いました。大きな出来事はないけれど、友人のように今の私にしか書けない感情を残しておこうと思って。

最近、「幸せ」という言葉がない国の話を聞きました。ネットでぼうっと聞いていたから、どこの国だったとか誰が話していたとか分からないのが残念です。

その国に「幸せ」という言葉がないのは、「牛と人が死ななければ、それ以外は全部幸せだから」ということでした。「幸せ」それが普通だから、それを表す言葉がないのだとか。

それを聞いた時、とてもシンプルでいいなと思いました。牛と人が死ななかったら、幸せ。

私だって、きっとそうなのだろうと思います。だけど、誰かが死なない以上の幸せを求めてしまうことが多いです。欲張りだなあと思います。そんな自分に気づいた時には、名前も分からないどこかの国の人たちのことを思い出すようにしています。

そうすると、置き去りにしている幸せに気づくことができます。元気に生きていること。家族も生きていること。友達も生きていること。


昨日ニュースで、宇宙飛行士の試験に合格した人の話を聞きました。28歳女性と46歳男性のお二人でした。一人は私と同じ年齢の方でした。すごいなあと思いました。

私と同じ年に生まれた女性が、地球を離れるかもしれないのです。私が地球を離れることがあるとしたら、ジャンプをして地面を離れるたかが3秒くらいの話でしょうか。でも、試験に合格した女性は長い間離れることになるのかもしれません。そんなことを、会社の帰り道に地球を歩きながら考えていました。

きっとその女性は、今夢が叶って幸せな気持ちだと思います。

10年前の私だったら、その女性と自分を比べて、焦ったり、下げずんだり、何かを頑張らなきゃと思っていたかもしれません。でも、今日の私は思いませんでした。

さっき自分のことを欲張りだと書いたけれど、欲がなくなったなあと思いました。必要以上にあった向上心が消えてしまいました。理想もなくなってしまいました。もしかしたら、本当は最初からなかったのかもしれません。自分で作った虚像に向かって、一生懸命に進んでいたのかもしれません。

3年前から読んでくださっている方がこの文章を読んだら、つまんなくなったと思うかもしれません。なんだか申し訳ない気持ちになります。

色んなものが消えてしまったけれど、私は等身大の自分との付き合いと私なりの幸せを温めることが上手になりました。私は宇宙に行けないけれど、幸せです。

帰り道にいつも買う焼き芋が今日は少し甘いとか。銭湯の常連さんが「おやすみ」と声をかけてくれたとか。道路脇の花壇に誰かが植えてくれたお花を見つけたとか。そんな小さなことで、心が温かくなります。小さな幸せが、今の私の周りにはたくさんあります。

ずっと立派にならないといけないと思っていたから、未来や誰かのために努力しないといけないと思っていたから、何にもなろうとせず、等身大の自分と付き合える今をかみしめています。

宇宙に行けなくても、地球で幸せに生き続けたいと思います。

いつも暗かった帰り道が、今日は明るくて驚きました。日が長くなったんだなぁと思いました。そんなことに気付けるくらいには、余裕のある穏やかな生活をしています。やっと、長かった冬が終わりそうです。暖かい春が来るのが楽しみです。




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