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1976年8月15日、夏の日の思い出(最終話)

そのあと、何事もなく帯広に向かって車を走らせていた。
僕は、法定速度を守って走行していたので、途中何台かの車が追い越していった。
対向車を走る車も少なく数台すれ違うくらいだった。
長節湖から離れて、すぐにカセットテープをマーヴィン・ゲイの“ホワッツ・ゴーイン・オン”に入れ替えていた。
雪がうとうとし始めたので「寝ていいよ」と言って、カーステレオのボリュームを下げた。
薄暗い中で、初めて雪の寝顔を見た。
僕は、知らない土地に来て、夜独りでいた時不安だったんだろうと想像した。
雪は、僕のことを好きだと言ったが僕は今まで特に感情を持つことなく付き合っていた。
などと今まで思ってもいなかったこと思いながら雪の寝顔を見ると何か雪にしてあげられたことはなかったのだろか思った。
車が札内川を渡って、帯広に入った時午前2時を回っていた。
市内に入り、何度か赤信号で停車したがスムーズに家の裏の駐車場に着いた。
「雪、家に着いた。起きて」と僕は雪の肩を揺すって言った。
雪は目を覚まし「着いたの」と少し寝ぼけ感じで言った。
「そうだ。2ヶ月前に洗濯機を入れ替えてさ。電気屋が最新式の全自動洗濯機と家庭用衣類乾燥機を設置していったんだ。下着とか靴下だけでも洗うといいよ。とりあえず、シャワーを浴びているときに洗濯機に入れてさ。寝るときだけ、いやかも知れないけど、僕のトランクとTシャツとジャージを着るといい」と僕が言った。
ふたりは車から降りて家に入った。
僕は、浴室に入り、ガス給水給湯機を使えるようにして「シャワーもう使えるから使っていいよ。下着と靴下は浴室のドア脇の洗濯機に入れて、着替えは用意してドア前に置いておく」と言って僕は2階へ行った。
僕は、ローチェストからグリーンのペイズリー柄のトランクと白の無地のTシャツを取り出した。そして、ドライブに行く前に雪が着ていたジャージも一緒に持って下に降りた。
雪は浴室でシャワーを浴びていた姿が曇りガラス越しに見えた。
「着替えとバスタオルドアの前に置いておくね」と声をかけた。
ドア越しに「ありがとう」と言う声がシャワーの音とともに聞こえた。
僕は洗濯機に洗剤を入れてスイッチを入れた。
そして、車のところに行きビーサンやレジャーシート、カセットテープ、室内のゴミなどを取りに行った。
車のキーを電話台の引き出しに戻し、2階に上がった。
車から持ってきたカセットテープをカセットテープに入れているケースに戻し、ケースの中から“Ballads”と書かれたカセットテープを取り出した。
そして、ラジカセに入っていたカセットテープと入れ替えて、再生ボタンを押した。
ジョン・コルトレーンの『バラード』は、ジャズのレコードで僕が初めて買ったものだ。
落ち着いた気持ちになり、リラックス出来る。
目覚まし時計を見ると2時40分くらいだった。
アラームの鳴る時刻を6時30分にセットした。
ドライヤーとブラシを用意してベッドの上に置いた。
それから数分後にジャージに着替えた雪がブラウスとスカートを持って2階に上がってきた。
「ドライヤー用意したからこれで髪を乾かせて、僕もシャワー浴びてくる。それとブラウスとスカートはハンガーに掛けとくいいよ洋服タンスの中に使っていないハンガーがあるから使って」と言って、僕はジャージと白と紺の縦のストライプのトランクと白の無地のTシャツを持って下に降りた。
僕がシャワーを浴びて浴室から出て来たときには、脱水まで終わって洗濯機のスイッチが切れていた。
僕は、洗濯機から雪の靴下とパンティとブラジャーを乾燥機に入れて、タイマーを5分に合わせて、着替えて2階に戻った。
2階に戻り、「洗濯終わっていたから乾燥機にかけている」と言いながら、僕は何も考えずに雪の下着に触れたことを思うと何か急に女性の下着を勝手に触れてよかったのか思いながら雪を見るといつもと変わらない表情で「ありがとう」と言ったので少し安心した。
雪の髪もドライヤーで乾かすのも終わったようなので「雪はベッドで寝て、僕は寝袋で寝るから」と言って隣の部屋の押入れから寝袋を持って来て、ベッドの脇に広げた。
ラジカセのボリュームはさほど大きくなかったがさらにボリュームを下げた。
「それじゃ、寝ようか」と言って僕は寝袋に入った。
雪もベッドで横になって、何か僕に話しかけているようだったが僕はすぐに寝てしまった。
アラームの音で目が覚めて、アラームを止めた。
雪は、まだ目を覚ましていないようだ。
僕は、キャンプに行ったときに使うために買ってまだ使っていない歯みがきセットがあるのを思い出し、キャンプの時に使う小道具をまとめて入れているダンボール箱の中を探した。
歯みがきセットはすぐに見つかり、それを持って下に降りて洗濯機の上に置いて棚からタオルを取ってそれも一緒に置いた。
僕は歯を磨き顔を洗い、2階に戻り、雪を起こした。
「洗濯機の上に使っていない歯みがきセットとタオルを用意してあるから、それと靴下とか乾燥機に入ったままだから」と言うと雪はまだちょっと寝ぼけた感じで「ありがとう」と言って起き上がった。
「それと着ていたTシャツとトランクとジャージは洗濯機の脇に置いている籠に入れて置いて」と言うと雪はハンガーに掛けてあるブラウスとスカートを持って下に降りて行った。
雪が下に降りて、僕はジャージを脱ぎ、白のオックスフォード地のボタンダウンシャツを着てチャコールグレーのスラックスを履いた。そしてローチェストからグレーのソックスを取って履いた。
ジーンズのポケットから財布を取って、スラックスの後ろのポケットに入れた。
僕は下に降り、居間にある電話からハイヤー会社にかけて、ハイヤーを手配した。10分程度でくると言ってたので居間にある置き時計を見ると6時50分くらいなので7時過ぎくらいに来ると思った。
僕が2階に戻ると雪は着替えて戻って髪をブラシでとかしていた。
「10分くらいでハイヤー来るから髪とかして終わったら出ようか」と僕が言うと「もう終わる」と雪が言った。
雪が髪をとかし終えて、「じゃ、先におもてに出てて」と言って、僕は忘れものがないか確認してシャツのポケットにクラブマスターを入れた。
雪が先に玄関から外に出て、僕は再度ガスの元栓が閉まっているか確認して、雪が使った歯ブラシセットを持ち、玄関から出るとき下駄箱の上にドライブインで買ったガムが置いてあったのでスラックスのポケットに入れて、外に出て鍵を締めた。
ふたりが外に出て、すぐにハイヤーが来た。
電話して10分も経っていなかったと思う。
ふたりはハイヤーに乗り、行き先を告げるとすぐに動き出した。
まだ、道路は混んでいなかったので15分くらいで駅のロータリーの降車場所に着いた。
駅には早く着き過ぎたくらいだ。
駅の構内に入り、改札口付近を見て、まだ雪のおかあさんは着ていなかった。
時計を見るとまだ7時16分だった。
雪と僕は少しの間待合室で座っていようと言って待合室の方向かった。
待合室の入口付近にあるキヨスクでサンドウィッチと牛乳を買って待合室に入った。
待合室にはまばらに人がいる程度でふたりは奥の方へ行った座った。
サンドウィッチを食べながら、昨日から今朝までのことを振り返りながら、また会えるよねなんて言う話しをしていた。
僕は、話しをしながら、もうこれでしばらく会うとこは出来ないという実感が湧いてきて何となく寂しくなってきた。
雪を見ると目に涙を浮かべている。
「また会えるよね」と雪が言った。
僕も「今度、会うときはふたりとも大人になっている」と僕はこのあとの言葉を飲み込むようにしてやめた。
「そのときは、ドライブに連れていてね」と雪が言った。
時計を見ると7時50分になっていた。
「もう、おかあさん来ているかも知れないよ。もう改札口へ行った方がいい。朝から僕と一緒だと何か変に思われるかも知れないから、ここで別れよう。またきっと会えるよ」と僕が言った。
雪の目に浮かんでいた涙がこぼれ「うん」とだけ言ってうなずいた。
あとこれと言って、歯ブラシセットとクールミントのガムを手渡した。
雪はそれをスカートのポケットに入れて待合室から出て行った。
僕は雪が待合室を出てすぐに立ち上がりシャツのポケットに入れていたクラブマスターをかけて雪から少し離れたところから後を追った。
改札口付近に雪のおかあさんは来ていた。
ふたりは次の改札の列の後ろに列んだ。
僕は、その姿を見てその場から離れ駅の構内を出た。
ふと待合室で言い掛けて飲み込んだ言葉を呟いた。
「今度、会うときはふたりとも大人になっている。そのとき、雪はまだ僕のことを好きかな。僕はどうなんだろう」
僕は、今も大人に憧れて背伸びをしていてもまだまだ子どもだし、何年かして大人になれるのかな。大人になって変わるのかな。“憧れて”、“待ち続けて”、“行き止まり”を感じて『路地裏の少年』のように大人になるのかなと思いながら空を見上げた。

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