俳句バトル九月大会のお気に入りの句の鑑賞文を書いてみた

はじめまして、ギルと申します。プレバトから興味を持って俳句を気ままにやってます。

俳句バトル九月大会の中から、自分の好みの句の鑑賞文を書かせていただきました。
作者の意図とは異なる句の読みをしているかもしれませんがご了承ください。


=====予選大会用の俳句=====

ゆきまちさん
・星月夜返却したくない絵本
図書館や公民館で借りた絵本を幼い子どもに読み聞かせているのでしょうか。子どもか、それとも読み聞かせた親が、絵本を気に入って毎日読んでいるのでしょう。そんな絵本に出会えたのは幸せだけれど、返却期限は迫ってきます。そろそろ返さなくてはいけないなと少し憂鬱な気分にもなってしまう。そんな日常の小さな気持ちのゆれ動くさまをこの句は十七音で見事に表現しています。星月夜の着地も美しいです。

ただのワタナベさん
・聖堂の対価は金貨星月夜
神や聖人を祭る聖堂は歴史的価値のあるものも多く、厳かでどこか人間社会から疎外されたものであるようにも思えます。ただ、そんな聖堂ももちろんたくさんのお金が支払われて建造されていることをこの句はバッサリと言い切っています。言われてみれば当たり前だけども、こうやって句として出されると宗教のあり方も考えさせられてしまいます。金貨と星月夜の取り合わせも呼応しています。

いかちゃんさん
・星月夜轢死の鹿に遭うてより
動物が道路上で車に轢かれることをロードキルといいます。私も車通勤の仕事なので何回か運転中に道路上で動物の死骸を見たことがあるが、そういう時はたいてい不意に現れ、避けることしかできなくて、そして気になっても振り返ることはできない。ロードキルに出くわすと、否応なく自然との共存について考え、星月夜も見上げたくなります。

俳句読太郎さん
・剝製に硬き鉤爪星月夜
剥製になった動物はもう生きてはいないが、その鋭く尖った硬い鉤爪には生きることへの美しさと残酷さを訴えているようです。生き物の神秘を味わうのに、星月夜はしっとりと作者に寄り添ってくれるでしょう。

(余談だが、いかちゃんさんと俳句読太郎さんの句を見て、ロードキル製を題材にした一日一種さんのTwitterのマンガを思い出しました。とても好きで、一人でも多くの人に見て欲しいのでここに載せさせていただきます。)

机上の九龍さん
・星月夜真ん中の子がぴょんと跳ね
真ん中の子というからにはこの家族は三人以上の兄弟なのでしょう。(田舎に遊びに行ってるのかな?)そのあまりの星月夜の綺麗な光景に子どもたちは喜びで、特に真ん中の子は飛び跳ねてはしゃいでいます。星月夜という季語から、こんな微笑ましい光景が出てくるのかと私もほっこりさせていただいました。

舘野まひろさん
・履歴書に増える「退社」や星月夜
昔に比べて、最近は「退社」をするハードルは下がっているように感じます。しかし、気軽に退社してしまったことで、再就職の際、履歴書に「退社」した会社をたくさん書かねばならないのです。作者はたくさん書かれた「退社」を星月夜の星のように誇らしげに思うのか、それとも後悔の念があるのか...。

藤 雪陽さん
・墓参り父から祖父へシガーキス
最近は喫煙者の風当たりも悪くなり、公に喫煙できるような場所はめっきりなくなってしまった。だからこの墓参りは田舎の光景で、この父は普段より羽目を外して喫煙しているのだろうなと想像できます。そしてそんな父が同じく愛煙家の祖父とするシガーキスのやりとりが可笑しみがありつつもしみじみと郷愁を誘います。

広瀬 康さん
・墓参り魔王と呼ばれてた恩師
恩師の墓参りなのか、墓参りの場に恩師があるのか。どちらにしてもこの作者と恩師との関係性が「魔王と呼ばれてた」という言葉だけでありありと想像できます。きっと作者はこの恩師に魔王のようにこっってり叱られていた話を肴に酒を飲んでいるのではないだろうか。

朝月沙都子さん
・身に入むや新参猫の頬に傷
「参」という字題から新参猫という言葉を思いつくこと自体にまず驚きました。そしてこの句は発想力だけでなく、「頬に傷」という言葉で映像とその猫のバックグラウンドを想像させる言葉で補強されていてとても巧いです。身に入むという季語がややオーバーなこともこの句に奥行きを生んでいます。

詠頃さん
・お面して参上したる浴衣の子
子供の頃お祭りの時に売られているお面に妙に憧れていました。恥ずかしくて買えはしなかったけど、クラスの明るい性格の子はまさにお祭りにお面をして参上していて羨ましかったのをこの句を見て思い出しました。幼い頃の欲求は幼い頃に発散させておかないと、大人になって私のように拗らせてしまいますよ。

鳥田政宗さん
・秋雨やレトルトの参鶏湯食む
参鶏湯(サムゲタン)にレトルトがあること自体、この句で知りました。秋雨の振る少し陰鬱とした日に力を出すために食べるものとしてレトルトのサムゲタンを選ぶ作者のセンスには脱帽です。

翔玄さん
・降参の笑みに転がる秋野かな
降参という言葉が出てきて少しギョっとしますが、その後に出てくる光景はどれも微笑ましいものばかりで、語順がとても巧いです。秋野に転がるので何か外でやる遊びを色々と想像できます。

葛城蓮士さん
・死にたくてピザ食べたくて月今宵
死にたいという感情はあっても、実際に死ぬためにやることって意外と多いので本当に自殺を実行する人は少ない。しかし、死にたいと思うこと自体が頻繁におこり、その人の日常に溶け込んでしまうこともある。死にたいという欲求とピザが食べたいという欲求を並列で並べられることで、一度でも死にたいと思ったことのある人は胸を鷲掴みにされるのではないか。今宵の満月ははたして死ぬのに相応しい月なのか、ピザを食うのに相応しい月なのか…。考えさせられます。

日暮こゆきさん
・ひと夏の龍を育てていた記録
完全に想像句、なのですが、私はオタクなので、龍という架空のカッコイイ生き物がもし現代社会でペットとして飼われているなら、、という妄想を何回もしましたしそういう漫画や同人誌を何冊も読みました笑。そういう意味でこの句は特殊な魅力を放っているといえます。上五をひと夏とすることで、その記録は小さな物語のはじまりに繋がるかのようなファンタジー的高揚感も演出してくれます。



=====決勝トーナメント用の俳句=====

葵新吾さん
・虫籠に海の風吹く二階かな
この句はとても語順が上手いです。中七までで虫籠に海の風が吹きこむ屋外を想像しますが、下五が出てくることで室内であることが分かります。しかし、風の存在によりその部屋は窓が開かれて心地よい開放感があり、虫籠という季語から五感を刺激してくれます。

広瀬 康さん
・竜胆がセーブポイントめく夜明け
RPGなどのゲームでよく見るセーブポイント、現実世界には絶対に存在しないものなのだけれど、竜胆の青紫い色彩が仄暗い夜明けにぼんやりと現れれば、そう思えるかもと納得してしまいます。

朝月沙都子さん
・竜胆や乳房重たき壮年期
青年期までは胸の大きさは一種のステータスのような言われ方をすることもありますが、その時期を過ぎてしまうとその大きさは言葉通り重荷になってしまうという嘆きがひしひしと伝わります。乳房という言い方も寂寥感をより強く醸し出します。

Q&Aさん
・駄菓子屋のレジにラジオと虫籠と
自分は駄菓子屋には行ったことは無いのですが、あの色んなものが所狭しと並んでいる店内であれば、レジ近くにラジオや虫籠が置いていてもおかしくないなとこの句を見て感じました。もし本当に置いてあったとしてもそれが売り物かどうか分かりにくいんだろうなと想像も膨らみます。

京野さちさん
・秋雨や電信柱やや斜め
古い電信柱がたまに少し傾いているのは見かけます。おそらく老朽化となどが原因でそうなっているのでしょう。秋の雨は秋雨前線による長雨の印象が強いので、どちらも長い時間経過を想起しつつも句としての光景もしっかり立っている実力者の句だなと思います。

山田すずめさん
・なだらかに振りて良夜のフライパン
光景としてはただフライパンを振ってるだけなのですが、季語、語順などを考えることで俳句として出来上がるお手本のような句だと思いました。上五までではまだなにも分からず、振りてで人物と動作が出て、良夜で時間が分かる。でもここまで読んでも全く光景が思い浮かばない。そして下五のフライパンと来ることで見えてくる光景が格段に広がります。使う単語もしっかり工夫されており、なだらかで作っている料理もある程度想像でき(激しく振るチャーハンなどではないでしょう)、季語も秋夜や夜長より良夜が一番ハマっているでしょう。この句が俳バト九月大会の句の中で一番好きです!

日暮こゆきさん
・雲流るる空の上から順に秋
立秋を過ぎれば暦の上では秋なのだけれど、正直八月九月はまだまだ暑くて、秋の句なんて作れないなんて思ってた時期もありました。でも、空を見上げてみると雲の形は間違いなく秋の雲へと変わっていっています。空から順に降ってくるように秋は来るのだという詩的感覚がとても素敵です。

山本先生さん
・本降りの夜の竜胆の仄光る
本降りという言葉の経済効率がとてもいいですね。雨という情報だけでなく、雨の強さや、本降りになる前(夕方ごろ)にはぱらぱら降っていたことも分かり、時間情報も内包しています。そして、本降り前の夕方の雨の竜胆と退避することで、仄光るという竜胆の描写もより美しく見えてきます。

にぼちゃんさん
・虫籠の外側に虫をりにけり
外側にいる虫は虫籠から逃げた虫のことではないのでしょう。虫を捕まえに虫籠を持って外に出たけど、虫を捕まえられずにふと置いた虫籠に目をやると、ふてぶてしくも虫籠の外側に虫が止まっていたと読みました。虫籠とともに子ども時代を生きた手触りのようなものを感じました。

いかちゃんさん
・秋分の日の線香をさすちから
私は線香の細さに納得がいかないです。少しでも強く力を入れてしまうと折れてしまうので不器用な私はいつも細心の注意を払ってさしています。その絶妙な力加減は夏至と冬至を分かつ秋分の日の昼夜のバランスのようであると私は読みとりました。二十四節気としての秋分も、生活の分類の季語としての秋分の日もこの句は余すとこなく活かしきっている様は流石としか言いようがありません。

舘野まひろさん
・ポテト盛る手つきや震災記念日
崩れないようにポテトを盛る様子からから、で崩れた建物に思いを馳せて震災記念日という季語をもってくるのは驚かされました。俳人のアンテナをはっている人はどんな些細な日常の光景からも句を作れるのだなと羨ましくなります。


乱筆乱文ですが、最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。





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