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マニキュアと星

切符をつまんだ自分の指先が、塗り立てのマニキュアでつるんとしている。それがうれしかった。わたしはずっと家にいるのが苦にならない人間だから、このひと夏は屋根の下でひっそり暮らしていて、すっかり夏色のマニキュアを塗り損ねた。ブルーのきらきらとか。ビタミンがつまったような黄色とか。真夜中に、ほんの少しだけピンクがかったベージュのマニキュアを塗った。これでだいじょうぶ。秋がいつ深まっても。

改札で友人を待つ時間はどきどきする。わたしは誰と待ち合わせするにも、多かれ少なかれ緊張する。気持ちを紛らわせるべく、改札横のお土産さんを見つめた。お寿司とか、お餅みたいなのが売っていた。
友人が改札から出てきた。手を振りながらお互いに歩み寄る。二人とも、「久しぶり」って三回ぐらい言い合っていた。

わたしたちはいつもよりちょっといいお店(ホテルのラウンジのカフェ。ラズベリーソーダってのがシャンパングラスみたいのに注がれて出てきた。アルコールはちっとも入ってないのに、酔っ払いそうだった。)でティータイムを過ごした後、近くの公園のベンチに座っておしゃべりをした。「わたしもずっと家にいたからさ、突然あんなお店に行くとさ、下界に降りてきたみたいだよ」と友人は言った。

わたしたちは下らないことでたくさん笑った後、お互いにぼんやりした未来のことについて話した。友人は胸に熱い想いを持っていて、勉強熱心で、温和だけど信念と違うことに対してはNOも言える、そんな芯の通った人なので、わたしは彼女をとても尊敬している。すごく光っている。わたしから見ると。だけど、大きな公園の片隅で彼女も、未来について「どうしよう」と途方に暮れていた。

わたしも、これからのわたしの日々をどうしたらいいのかわからない。生まれてきて、いつかいなくなってしまうだけだから、わたしたちはきっと何をしたってかまわないのだけど、それゆえに何を選び取るべきか、とてもむつかしい。
わたしは言葉を書くと言うことを続けてきたけれど、そのことについて友人に話したとき、喉のところまで想いが込み上がってきた。公園の中、自転車に乗った少年がひとりごとをこぼしながら通り過ぎる。やっぱりわたしにとって、ずっと大切にしたいものなのだ。
紡いだ言葉をたまたま目にしてくれた人が、胸の中で何か感じ取ってくれたら嬉しい。それが小さい光が灯るような、なるべくあったかそうな気持ちだったらさらに嬉しい。そう思ったのが全ての始まりだし、これからも多分変わらないことです。

たくさん話して陽の光を浴びたから、帰りの電車で友人とわたしは無口だった。それが心地よかった。人と人とが直接会って、二人並んで座り、同じ時間と空間を共有するってことは、こういうことなんだなと思う。わたしが先に電車を降りて、彼女と別れた。

夜道を歩いていると、マニキュアのつやめきはもう見えなかった。代わりに空には一番星が見えた。どうしたらいいかわからずとも、その時々で見えるものは大きく変わってゆくのかも知れない。今まであまり聞いてこなかった、きらきらした洋楽のポップソングを聴きながら帰った。

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