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大好きです

諸々の事務作業を終わらせた夕方、17:05上映の「ハケンアニメ!」のチケットを取って。
16時半すぎに代々木八幡宮へ駆け込んでアルバムが届くようにとお祈りして、それだけではまだ居ても立っても居られず普段信じないおみくじを引くと大吉、やっぱりまあ嬉しいもので、でも急がなきゃで傘をさしながら駅まで走って。
ふにゃふにゃになったおみくじを車内で読みながら今度こそ頼むよとアルバムに気持ちを託してバルト9のスクリーン7へ滑り込んだ。(人生ベスト10に入るかもしれないくらい本当に素敵な映画だった)
緊張して何も喉を通らないと言いながらひと気のなさそうな店を探してたら気付くとスパゲティのパンチョに入ってていつもの癖で500gのナポリタンを頼んでて、それはそれで食べて。
心と身体の異常な釣り合わなさを体感して、この辺りからもう色々話させてもらいつつ今日は楽しもうと心に決めて、友人のハザマリツシと合流してスタジオへ向かった。

とても大事になさっている事が伝わる向井さんにとっての聖域のような場所で、沢山の真心や胸までお借りして、おかげで本当に楽しい時間を過ごさせてもらって。
改めて有難うございました。
まさか自分の自意識を向井さんに汲み取っていただいて、それに関してお話しさせてもらう日が来るとは思わなかったな。

放送内でもチラッと話させてもらったけどやっぱり基本的には自意識とか繊細さ、もっと言うならそういわれる箇所(自分の事を特別自意識が強いとか繊細だとか思う事がほぼないから正直分かっていない)をずっとすり減らしたすぎて仕方がなくって。
子どもの頃から「繊細だよね」と話しかけてくる人はわりかしいた気がするけど、そういう人とも別に分け隔てる事なく普通に話してるといつの間にか「もっと楽しく生きなきゃ」とか「こうすれば楽になれるよ」という頼んでもない的外れなアドバイスが飛んで来て、結局人の気持ちが分かってる自分に酔いたい人か自分の物差しが世界標準の物差しだと思っている人かのどちらかにしか出会えなかった。(あくまで自分は、の話だけど)
柔い部分を指摘しといて上からかつ挑発的な視線を向けてくるその大幅な矛盾かつ無神経さって相当ヤバいよと子どもながらにムカついていたし、絶対にそうならないようにと徹底してくと、彼らの世界でいうところの「繊細そう」という生き方に必然的になっていくよというだけの話であった。

大人になってからもそれはほとんど変わらない。
提示されたアイデアやアドバイスを、全てそのままではなく自分の性質やポリシーと折り合わせたものを、器用じゃないなりにそれでも頑張って取り入れて仕事をする。それは自分だけの為でもその人だけの為でもなく、あくまでチームの為、仕事の為、ひいては「その場」という社会の為で、その場を滞らせない為に取っている手段でしかない。
それを何をどこでどう履き違えたのか、自分の意見が尊重されたからといって自分自身が尊敬されていると勘違いした人間がどんどん仕事外のテリトリーに関する極めて的外れなアドバイスをして来るようになり、そして最終的には「もっと楽しく生きなきゃ」「こうすれば楽になれるよ」とあの時の彼らのように言うのだ。冗談じゃない。

そしてあの時と全く同じ事を思う。
俺がいつ楽しい事がないと言った?
いつ生きづらいと言った?
これが楽しいと試しに提示しても「そういう事じゃなくて」と一蹴するが、お前の感受性や琴線では微塵も響かないものが俺や誰かの生き甲斐になっていたりする。何年も生きて来て、何人もの人と出会ってまだそれが想像できない、そして想像できないまま生きて来れてるほどには「言っても無駄だ」と周りに相当諦められている。その人の想像力のなさの分だけ周りがフォローしている、仕事でも私生活でも。現に俺もフォローしている。
担がれてる事にも気付かず、むしろ誰かを担いでる側だとすら思いこんだような面でずっと神輿の上を歩いている。一生地に足をつけられないまま、自分が正しいと思って全部を間違ってくのだろう。本当〜〜〜〜〜におめでたい。
そういう人に出くわす度、思っている気持ちをより大事に、強固に守っていかなきゃという使命感に駆られてもっと強い力で抱きかかえていった訳だけど、過剰に守ってくうちに自分の気持ちに値打ちをこいてしまって、誰かへ簡単には渡せなくなってしまった。

「繊細だよね」と話し掛けられて、またかなと少し気張っていると「実は自分も」と同じ目線と近しい苦味を渡してくれる人に、本当にたまに出会える。
大人になってからもほとんど変わらないとさっき言ったけど、でも唯一変わったのはここで。
人といる事、人と出会う事を諦めずにどうにか色んな最悪を掻き分けてると本当にたまにこういう事がある。そのたまにがハザマとの縁でもあり、向井さんとの縁でもあると俺は思っている。
放送中に向井さんが歩み寄ってくれて、自分もこういうところがあってと話してくださった瞬間にグアーーーっと「あれも話してみたい」「これも話してみたい」と、一瞬で身体中が話したい事にいっぱいになって。
元がそもそも上手く喋れないところにそういう身体中の渋滞でさらに言葉が出て来なくなくなっていたところを向井さんに本当に沢山フォローしていただいたり、それだけでも嬉しかったのに向井さんと番組のご厚意でハザマと3人でも話させてもらって、もうちょっとどうにかなりそうなくらいあの時は幸せだった。渋滞に加えて「大好きだ!!!!!!!!」が常々こだましてる状況になって、更に上手く言葉がまとまらなくなっていたけど、でもお二人のおかげで楽しくて本当に思い出深い放送にしてもらった。

帰り道にさっきまでの出来事を反芻しながら唯一の後悔が心を占めた。
向井さんにも、ハザマにも、肝心のその「好きです」をちゃんと口にして言えなかったのだ。
好きという前提で話してますよ、というのを汲み取ってねって風にお二人に甘え過ぎてしまったなというか。
自分の気持ちに間違って値打ちをこいてしまう、その悪い癖がこんな形で出てしまった。特に向井さんには全く伝えられなかった気がして、あーっと宙を見上げる他なかった。
自分が出させていただくまで楽屋で聴いていたオープニングトークで話されてたニューヨークさんとパンサーさんの対談動画もその二日前とかに観てて熱くなってた事とか、ハケンアニメもブルーピリオドも観てたからその話とか、むかしゃべだったりチャリで30分だったりの好きな回の話とか他にも色々、そういう話を通して好きだと言える時間は幾らでもあったはずで。
どれくらいの熱量、どれくらいの質量の気持ちなら伝えて良い資格が生まれるものかとグルグル考えてしまって、結局伝えられずに終わってしまった。
本当の本当にある気持ちをラグビーみたいにガッと抱きかかえながら最悪の中を走り過ぎて、肝心なところでパスも出せなければゴールも出来ない。
大事なところで伝えられなければ何の意味があるんだろうかと思う機会が子どもの頃より少しずつ増えている気がする。それだけ好きな人に出会えてる人生にもなって来ているんだろうけど。

「分かるよ」と近寄ってくれて、つい嬉しくなってパスミスみたいに自分の本心をどうでも良い誰かに渡してしまった事が自分の今を作っている気がする。特にこの2、3年はそんな事が多くって。
だから誰にも何も渡さずこのまま生きていこうとすら思う時期もあったけど、誤ってどうでも良い誰かに気持ちを軽く扱われるより、ちゃんと伝えるべき人に伝えるべき時に伝えられない苦しさの方が断然でかいという事も、この3年でよく分かった。
人を見る目に自信がないし、それでいえば圧倒的にパスミスの方が多い人生だろうけど、それでも渡す事を覚えないとこの苦しさはかさ増してく一方だと思う。
だから更に軽く扱われる目に合うリスクも、踏みにじられる目に合うリスクも増えると分かった上で、なるべく色んな気持ちを渡そうと決めた。
ここぞという時に伝えられる人間に今はどうしようもなくなりたい。

あとは何だろうか、なんだかんだで音楽、ラジオ、映画とかその好きなエンタメというか趣味のジャンルに自意識が昔からあって。
やっぱり反芻、しくじり、後悔を俯瞰で見てウダウダする時間もまあまあ好きというのは昔から自覚していたけど、ちょっと年々エンタメってよりかは呪詛って感じになって来てて楽しみづらくなっているというか。
人と出会ったり話す事を諦めて、半ばセルフ懲役みたいな暮らしに突入してしまう自分は子どもの頃から容易く想像できてしまうけど、それが現実になるとしたら自意識が100パーセント呪詛になった瞬間からかなとも思っていて。

ちゃんと伝えたい人がいる、ちゃんと寂しいと誤魔化す事なく思えている今のうちに自意識をすり減らしておきたい。
もっと自分だけじゃなくて相手の事を見たい。
俺が送りたい暮らし、作りたい音楽はその自分と誰かとの間にある。
「Birthday」を作って、そこから一年かけてアルバムを作って、一番分かった事はそれだった。
今からでもまだ間に合うのかは正直分からないけど、でもぎこちなくて情けないとしてもちょっとずつ素直になりたい。

向井さん、ハザマ、改めて有難うございました。
二人の事が大好きです。

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