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旅から戻らないドラゴンの赤ちゃん、または「待つ」こと

 旅から戻らないドラゴンの赤ちゃん。間違って世界のエントランスを出入りする消されることのない消しゴムは、唐揚げではないと知りながら待ちます。

 今大切なのは「待つ」ことです。この動詞についてやや細やかに考えます。「待つ」とは一般に何かを待つことになります。それは受動的な動作でしょうか? あるいは具体的行為を持たない精神的営為でしょうか?

 いいえ。それは違います。待つとは、予め手を打つことであり、おそらくまたのぼるであろう太陽に対処するために、その太陽とともに眠りに就くことです。それは同時に、根本的な意味での「まつ」の意味を開きます。
 そこには間が生じ、やがて主体は【つ】ことになります。
 このことはあまり多くのことはしない、ないしは、できないという結論をもたらしません。待つとは、その対象の到来の前にすることの総体です。つまり、到来してからではできないことをその「間の中」でなすことです。

 私たちには無論タナトス(死欲)があるわけですが、これは日々死にたいと嘆くこととは完全に真逆です。ほら平和の象徴としてのハトだって鳴きますよね。

 さて、私たちは一体どれだけ待ってきたのでしょうか?
「待つのではなく、やる」
 それもあり得たでしょう。しかし、やるのとは別の通路としての「待つ」を私たちは選ぶこともあった。それは別言すれば、自己意識の神話の注釈です。

 意味の濃さに悩む方へ。インドゾウの横切る姿を何度も想像して、意味を希釈してください。

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