見出し画像

おもひで

祖母は、癌で余命半年と診断された。

いろんなものを堪え
動揺しながらそれを私に伝えた母
体の奥が締め付けられた、20歳の夏

ありがとうばあちゃん。
ちなみに私と祖母は容姿がそっくりである。

わたしのばあちゃん

祖母の家は山あいにあり、自然豊かで
空気が澄み、夏でも涼しかった。

朝は早く、犬の散歩をしたあと
朝ドラを観ながらゴキブリ体操
1日家にいても、化粧は必ずしていた。

午前はガーデニングや野菜のお世話をしたり
一緒に山菜や野草を採りに山へ行った。
道中は色んな植物やいきもの、生きるための知恵を教えてくれた。

午後からは絵手紙を描いたり、消しゴム判子の制作
3時にはおやつを手づくり
山菜のづくしの食卓(小学生には早かったけれど)

夜は、早く寝なさいねとだけわたしに言い21時には床につく。
あまり干渉しないところがまたよかった。

とにかく、祖母はいろんなことを器用に熟(こな)し
人生のちょっとした楽しみ方を教えてくれた。
わたしはそんな時間を一緒に過ごすのが、非日常で大好きだった。

祖母はご機嫌の時、とんでもなく大きなハンバーグを作る。
ケーキのように切り分けて食べるスタイルだ。そのインパクトたるや。
わたしの分はちょっと大きめにカットしてくれる。

病魔

そんな祖母は、あるときを堺に家からめっきり出なくなった。
体調が悪いようだった。

病院は嫌いだった。無理やり連れていかれた人間ドッグで
癌を宣告され、そのまま入院。

"胆管がん"

気づいた時にはかなり進行していることの多い部位
入院したとたん、病はものすごいスピードで祖母を蝕んだ。

面会に行った
ばあちゃん死ぬのかもという現実に堪えきれず
病室の前でひとしきり泣いた。
それでも祖母は、わたしの近況を目尻を下げながら聞いてくれた。

来て欲しかった成人式は、間に合うかどうか
状態が落ち着いたタイミングで外出許可をもらい、袖を通しただけの振袖姿をみてもらった。歩ける祖母をみたのはこの日が最後だった。

その数日後
久しぶりに自宅へ。しばらく過ごしたのち、急変し救急車でとんぼ帰り。

この時撮った、愛犬と再会し満面の笑みを浮かべる祖母の写真
いまでもよく見返す。

病院に戻ったあとは
全身が浮腫み、足は象
腹水も溜まり腹は妊婦のよう
さらには黄疸。みるに耐えかねない姿

祖母はついに動けなくなった
とはいえ、入院して2ヶ月の話なのだが。

母からその様子を聞き
怖くて面会に行けなくなった
病院の駐車場で、立ち止まっては踵を返す。

どんな状態であれ、会っておけばよかったと
少し後悔している。

晩夏、満月の夜
祖母は息を引き取った。

久しぶりにみる祖母の顔は、とても穏やか。
雪のように白かった肌は黄疸で染まっていたが
周りは勲章だと讃えた。

お気に入りのリップとファンデーションを塗って
大好きなお花を沢山纏い、旅立った。

初めて直面した、身近な死
人間ってあっけない

それでも祖母は
間違いなく人にも動物からも、植物にまでも愛されていた。
わたしにとっても、人生のヒントをいろいろ教えてくれた大切な人。
大人になってもなお、小さな発見や幸せに気づけるようになったのは
祖母との時間があったからだと思う。


そしてこの死から

いろんな愛を
いろんな人、かたちあるもの、ないものと
交換したいと思った。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?