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魔境アラザルド6 砂漠の魔人①

第一部 五王君


 二章 砂漠の魔人


    1

陸の奥深く、並び立つ山々を越えた先に、その二つの不毛地帯は広がる。

一つ目は、広大な砂の海フェンベス。

優秀な駱駝であっても、なかなか一頭では越えられない遠大さと熱射による死者も少なくないため『果てしない熱砂漠』とも呼ばれている。
この土地を治めるのが、五王君の一人『砂惑君』である。生来の名はデルアリーナという。金色の長くゆったりと波打つ髪と、琥珀色の眼を持つ美しい女魔人だ。
「やっと来てくれた」
呟いた彼女の視線の先に現れたのは、彼女のたった一人の兄。
デルアリーナは、柔らかな微笑みを浮かべながら出迎える。
「何の用だよ」
いつもどおり彼は少し不機嫌そうに、妹を見つめる。
「ごめんね、ジル。どうしても、直に見てもらいたくて」
そう言って、彼女が案内したのは、塔の最上階にある小さな部屋だ。扉を開けると、中には見たことのない女が一人、寝台の上で眠っていた。
「…誰だ?」
「それが私にも分からないのよ。3年くらい前だったかしら、砂原の様子を見に飛行してたらね、この人が横たわってたの。身体は砂に埋もれかけてて、死んでるのか確かめたら息はしてたからとりあえず引き上げて、ここに連れて帰ってきたのだけれど、一向に目を覚さないの。何か手立てはないかと考えはしたのよ?…でも、分からなくて。どう思う?」
彼は寝台の横に立ち、女を見下ろす。
そして、女の額に右手を、喉の下あたりに左手を置いて、しばらくジッとしていた。
「…飛ばされてきたみたいだな、ここは…どこだ? 小さな村だ。ん? こいつは見たことがあるな。村長の…」
女の記憶を読んでいるようだ。
彼は人の記憶や夢を、その人に触れることで、感じることができる特技を持っていた。
「ベレトン…ダーシムだな。魔境主のベレトンだ。こいつの知り合いか親戚ってところかもな」
「さすが、ジル。もっと早く相談しようと思ってたんだけどね、雑用が多くて、放置しちゃってたのよ」
「…3年もかよ、お前らしいな」
彼は苦笑して、妹を皮肉る。
「そうよね、きっとこの人の家族は心配してるわよね」
「もう、諦めてるだろ」
デルアリーナは少し反省してはいるが、それほど気に病んでいる感じではない。彼は暢気すぎる妹に呆れながらも、彼女に言う。
「この女、ちょっと借りるぞ」
「探してくれるの? この人の家族」
「…とりあえず、起こす」
「どうするの?」
答える前に、彼は右手で、ちょんと女の額を軽く打った。すると、女は急にパチリと目を開けた。
「わあ〜、さすがお兄さま!」
手叩きする妹をよそに、兄は女に問いかける。
「あんた、名前は?」
「…え? 名前?」
「自分の名前だよ。言えるか?」
「あ、わたしは…」
どうやら、思い出せないようだった。
きょろきょろと困ったように、目を動かす。
「分からないなら、無理しなくていい…デルア、ちょっと健康状態だけ確かめてくれ」
「分かったわ」
波打つ金色の髪をキラキラと光らせて、デルアリーナは女の傍らに腰掛け、優しい手つきで女の身体に触れ、病気などはないかを調べた。
「特に悪いところは無さそうだけれど…記憶を無くしてしまったの? かわいそうに」
女の黒っぽい髪を指で梳くように撫でて、労りの声をかける。
「あの…わたしは、どういう?」
状況を飲み込めていない女は、美しい傍らの女性に訊ねる。デルアリーナは彼女がここに来た経緯を説明し、3年の時が経過してしまったことを詫びた。
「そうね、あなたに仮の名を差し上げるわね…とりあえず、あなたはダーシムという村から来たみたいだから、このフェンベスの地名とも合わせて、ダーフェナと呼ばせてもらうわね」
「はい、おまかせします」
ダーフェナは頷く。
「あなたを起こしてくれたのは、私の兄よ。だから心配しないで。兄があなたの家族を探してくれるから、協力してほしいの」
「ありがとうございます」
「礼は見つかってからでいい」
ぶっきらぼうに答えるもう一人の人物は、兄というだけあって、デルアリーナによく似ていた。琥珀色の瞳に魅入られそうだ。
「俺は、ジルヴィード。カルーンの魔境主だ」
簡単な自己紹介をすると、彼はダーフェナに言った。
「少し付き合え」

《砂惑君の兄、カルーン魔境主の夢漠》



二つの不毛地帯。
二つ目は、砂の荒海カルーン。

フェンベス砂漠より更に内奥にある西の果ての砂漠だ。すり鉢状の蟻地獄が無数に存在し、蠍や蛇といった毒性生物も数多く、まさに「生還できれば幸運」と言われるほど危険な砂漠だ。

このカルーン砂漠の魔境主こそ、『砂惑君』デルアリーナの兄である魔人ジルヴィードだった。
彼の別の呼び名は『夢漠』という。
「夢」というと、何だか優雅で煌めいた美しいもの、のような印象を受けるかもしれないが、彼の呼び名の「夢」は主に先程のように人の記憶や夢を解読したり操る能力を意味していた。
人間には秘密がある。
彼の力はそれを暴くこともできる。
つまり、簡単に弱味を握られてしまう。
ゆえに恐れられている。
なおかつ、魔力も最上級の魔人であり、普通の魔人では太刀打ちできないため、余計にたちが悪い。
「私よりずっと強いのに、なんでその力を皆んなに見せつけないの? べつに、五王君じゃなくて六王君だって構わないでしょ?」
砂惑君は、よくそう兄に言う。
「…面倒くさいんだよ」
彼は答える。
王君と呼ばれることは、鎖に繋がれたように不自由で窮屈だということのようだ。

それに、彼にしてみれば今更だった。

妹が王君という立場を得た後で、己れが王君になるために奔走するなど、恥としか思えない。

「あの、ジルヴィードさま」
妹に押し付けられた記憶喪失の女、ダーフェナが恐る恐る声をかけてきた。
「なんだ」
彼は無表情に答える。
「ここは、あなたの魔境なのですか?」
「そうだが。なんだ?」
「いえ…あまりにも広くて、それなのに魔力が全体に漲っていて…途方もなく感じるのです」
「ふーん…」
陽光にさざなみ立つような輝きを放つ琥珀の瞳をわずかに細め、ジルヴィードは呟く。
「あんたの見えてる範囲なんて、俺の魔境全体の十分の一にも満たないが」

フェンベス砂漠は、カルーン砂漠より若干広いとされる。
しかし、実際には隣り合う砂漠に境界はなく、デルアリーナの魔境部分をフェンベス、ジルヴィードの魔境部分をカルーンと呼んでいるに過ぎない。
2人の魔力は拮抗しているため、境界は曖昧でカルーンのほうが広いときもあるが、王君を立てる意味から、普段はフェンベスのほうがわずかに広いとされているのだ。

ゆったりとしたふかふかの布団のような椅子に座らされたダーフェナは窓から見える景色…延々と連なる黄金色の砂が織る絨毯…に魅惑されていた。
「美しい、ですね」
さらさらと風が描く砂紋、小高い丘の連なり。無限とも思えるような世界。
ここには何もないのではない。
ここにはすべてがある、そう叫んでいるように感じる。
「そうだな。俺はここで900年近く生きているが、まったく飽きはしない」
呟くようにジルヴィードは彼女の問いともつかない言葉に応じ、目を細める。
「こんなことを申し上げては失礼かもしれませんが、この砂漠は、あなたを体現しているように見えます」
「……ふーん」
「特に、底知れぬ感じがです」
ダーフェナは慣れてきたのか、自分の考えを惜しまずに、はっきりと言い始める。
それを感じた彼も率直に答えてやる。
「生意気だな」
「申し訳ございません」
間髪入れずに謝罪するが、べつに彼を恐れてのことではなさそうだ。
「物怖じしない性格のようだな…まあ、いい。だが、俺に敵わないことは分かっているだろうな?」
「もちろんです」
ダーフェナは大きな声を出して頷く。
「…面白いやつだ。まずは、少しずつ記憶を復元することから始める。記憶は繊細なものだ。力技は使わないに越したことはない。明日はあんたがいたと思われるダーシムに行ってみるから、そのつもりでいろ」
「承知しました」
「じゃ、今夜は早めに寝ること。俺は一瓶空けてから寝る」
そう言い残して、彼は彼女を置いて、部屋を出て行った。
部屋に残されたダーフェナは、品の良い部屋の調度類を見回して、魔境主は美感に優れた人間だと思った。
「一瓶て、なにかしら? 赤い葡萄酒かな? それとも透明な蒸留酒かしら? まさか山羊のお乳ってことはないわよね」
そんな想像をしながら微笑むと、彼女は寝台の羽布団の中に潜り込み、気持ちの良い肌触りを存分に味わいながら、すやすやと夢の谷底へと落ちていった。

ちなみに、カルーン砂漠の別名は『悪魔の砂地獄』という。フェンベスの『果てしない熱砂漠』と合わせて、『死の双子砂漠』と呼ぶことを、ダーフェナはまだ知らない。

《書斎で側近コルフィンと話す、魔境主》


褐色の肌と黒い瞳、精悍な顔立ちをした男が純白の長い衣を靡かせて、回廊を歩く。
女たちの多くはその姿に一度は振り返り、颯爽と遠ざかっていく彼の背中を見つめてしまう。
しかし、彼の目に彼女たちの姿は殆ど映っていない。彼の心はただ真っ直ぐに、敬愛なる己が魔境主へと注がれている。

その居室の扉を軽く二度ほど叩いて、彼は自分の訪れを主人に伝える。
「コルフィンか。いいぞ」
中からの声は既に分かっていたように、さりげなく、親しみを覚える響きを奏でる。
この主人の声色も、彼は好きだった。
「失礼いたします。我が君」
扉を押し開け、中に入ると、魔境主は今朝もまた一段と朝陽を浴びて輝いている。
大きな机の脇にある側卓に、昨夜のうちに空けたらしい強い蒸留酒の瓶とグラスが一つ置いてあった。

「お飲みになるのでしたら、肴になるものをご用意いたしましたのに」

「いらない。俺は酒の味が好きなんだ。酒の味が曖昧になるものは欲しくない」

「ですが…胃腸によろしくないように思われます。一杯くらいならまだしも」

「これで、998年生きているんだぞ。そんなお説教より、用を言ったらどうだ」

彼の主人は鼻で笑いながら、読んでいた古びた書物を一旦閉じて、やってきた部下の黒い瞳をじっと見つめる。
コルフィンは、主人の笑い顔の煌めきに毎度ながら胸を撃たれるも、言うべきことは口にしなければなるまいと意を決する。
「申し訳ございません。しつこいようですが、どうか何分にもほどほどに…私めの用はご報告でございます」
「なにが分かった?」
「はい。先日の黒い竜巻のことでございますが、外部では『幻影騎馬団』などと呼ばれ、あの黒炎の方の仕業ではないかと噂されております。しかし、どうも…そうではないようでして」
「…朱燎か?」
「えっ、もうご存知で?」
「あいつの仕業に見せかけた厄災なんか、あの脳みその沸騰したイカレ炎野郎のほかに誰がやる?」
苦虫を噛み潰したような顔をして、魔境主は呟く。
「はあ、それもそうですね。さすが、我が君ご明察であられます」
「誰だって分かるさ」
言いながら、魔境主は魔法を使い、部下と自分の為の紅茶を出し、砂糖や柑橘は加えずに一口飲む。
「ありがとうございます」
褐色の肌の腕を伸ばし、コルフィンも一口飲むが、猫舌な彼は顔をしかめる。
「熱すぎたか? ごめんな」
「いえ、滅相もございません。せっかく出していただいたのに、申し訳ございません」
慌てて謝るが、まだ少し舌がヒリヒリする。
「そういえば、お前は熱いものは苦手だったな…ディーズディン産のいい茶葉を手に入れたから一緒に味わおうと思ったんだが、悪かった」
彼の主人はなお心配そうに気遣う。
紅茶は高温で飲むのが嗜みであると聞いたことがある。それゆえにわざわざ熱めにして出してくれたのだろうと思うと、自分の猫舌が呪わしかった。
「少し冷ませば飲めますので」
「…火傷してないか?」
「大丈夫です。私の舌が馬鹿なのです。どうかお気遣いなきよう…」
「そうか。じゃあ、お詫びだ」
机の上に出てきたのは、一つの小さなガラスの器に盛られた真っ白な粘土のような氷菓子だ。
芳しい甘い香りが漂う。
「俺は甘いものは得意じゃないから、食さないが、お前は好きだっただろう? バニラを入れたこの牛乳の氷菓子」
「…なんと、アイスクリームではないですか! よろしいのですか? ありがとうございます♪」
部下が心底嬉しそうにそれを頬張る姿を満足そうに眺めた後で、魔境主は低い声で呟く。
「…俺が勘づくことは予想内のことだろう。密偵を寄越してきたからな。そいつはもう確保したが、また別の密偵を寄越すかもしれない。コルフィン、お前も警戒しておけ」
「はい。畏まりました、夢漠さま」
白い衣を翻し、部下は満たされた顔をして、部屋を出て行った。
「…紅茶も飲めよな」
空になったガラス器の横に、まだなみなみと茶器に注がれたままの紅茶が残されている。
苦笑して、それを自ら三口ほどで飲み干すと、彼はまた書物の続きを読み始めた。



【文末コラム 6 】再開。

お久しぶりでございます。
一か月以上過ぎてしまいましたが、何とか新たに書き切ることができました。

季節はもう秋ですね。

年の瀬が刻一刻と迫って参りました。
早すぎますね…。

さて、今回は章立てが移りまして、ニ章ということで、砂漠地方のお話しとなっております。幻影騎馬団を巡る内容が、少しずつ進展していきます。
一章の②でも登場しました、魔人『夢漠』を中心に進みます。エリンフィルトとマリュネーラも引き続き登場します。
また、魔人の習性や特性なども絡めて参りたいと思っております。

見出し絵は少し前に描いたもので文中の絵はごく最近です。タッチが違うのは、その為です。

ここまで読んでいただきまして、ありがとうございます。


これからは、なるべくコンスタントに書きたいと思っておりますので、
どうぞ、よろしくお願いいたします!


次回は、第一部 ニ章 砂漠の魔人 2 です。



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