人とコミュニケーションをとる怖さとそれをする価値

昨日は、出張に出ていた。
社長に呼ばれ、本社へ。
異動のことだろうか、仕事の事だろうか、色々と緊張して向かった。

結果としては、働きにくく無いか、という確認だった。
自分は、なぜか、職場でパワハラを受けているように取られていたらしい。
パワハラ、というよりもキツイ言われ方をされているという第三者の証言があり、心配されていたようだ。

自分としては、そういう感じ方はしていなくて、今の職場の人には良くしてもらっていると話した。
しかし、過保護的に口を出される事もあるので、それは外からのみられ方としては、不自然に移ったのかもしれない。

まあ、それはそれとして。

自分の会社の社長と面と向かって話す機会というのは、実は少ない。
あとは、他店の営業の先輩とも話せた。

改めて思ったことは、
自分が仕事で上手くいかないこととか、無理だと諦めていることとか、自己卑下に走っているような状態だったのに、

意外と周りの人は、それは当たり前だという認識の仕方をしていて、受け入れてくれた。

それは、彼らにも失敗の歴史があり、それでも続けているのは、どこかでそれを乗り越えたからなんだと。

だから、人にも優しさを持って接することが出来るのだろうし、口から親切なアドバイスが出てくるのだろう。

確かに言われてみればそうなのだが、やはり人に自分の事を話すのは怖い。

自分は、上の人から言われると、ハイ!と言ってしまう癖というか、言わないといけないという思い込みが強くあるので、なかなか自分の意見を持ちづらい。

自分の意見を持とうとしても、すぐに自分でかき消してしまう。泡のように。

ただ、目の前の相手が器の大きい人だとわかっていたので、少し怖かったが、自分の至らないこととか、この仕事は自信がないことも話した。
なんでだろう、普通に受け止められた、
びっくりされたり、がっかりされたり、説教をされることを予想していたから意外だった。

そして、胸の支えが何か解けて、明日からの仕事への前向きな意識が湧いてきた。

もちろん、人はすぐに変われないし、スーパーマンでは無いし、相変わらず人は怖いし、人見知りだし、すぐにパニクるし、サボりたくもなるし、逃げたくもなるんだ。

ここが落とし穴で、今はモチベーションが上がっているけども、その分だけストンと落ちる。
だから、あえて大きな目標とか今後と展望は口にはしなかった。

もう少し頑張ってみます、とだけ。
今の会社に5年後いるかは正直分からない。

社長の言葉にも「どんなものでも売れるように、そのために人の気持ちを分かれるように」そんな言葉があった。

この会社のことだけではなく、自分の人生のことを総合的に考えてくれている言葉に、息を呑んだ。

この人は、セールスマンとして結果を出してきて、会社を創業して、さらには後世に伝えようとしている。この人を支えているその想いというものがとても強いのだと。

ある意味では、人としっかりコミュニケーションをとる事を何歳になっても続けている。

それは、本当に、本当に、簡単じゃ無い。
それだけは、今の自分にも分かるのだ。

仕事のミスだって、コミュニケーション不足から生まれる事が多い。
ちょっとした報告、少しの情報共有、先入観を入れずに話し合ってみる事、、、
そういう事を面倒くさいけども、あえてやる事でどれだけスムーズに物事が進み、いらないストレスに悩まされる事もなくなり、上手くやる自分に自信さえつき、他人から信頼されて仕事も回ってくる。

結局のところ、本当にコミュニケーションを取る、ということに尽きるのかもしれない。

自分自身の弱さを認めて、人と丸腰で話す事もそうだし、少し面倒くさい報告をあえてすぐにやる事もそう。

そして、もう一つ大事なのは先入観を排除して人と話してみないといけない、ということ。
これも当たり前なのに、意識しないと忘れてしまう。
今の環境に慣れてしまう。
誰々がこう言ったからあの人はダメ、とか。
第一印象がこうだからもう話もしない、とか。

分かる、分かるけどやっぱりそれは間違いだった。
本当に、本当に、直にその人と話さないと、マジでマジで分からない。

例えば、営業先で苦手だと思っている人も実は素直になれないだけで営業マンに来て欲しいのかもしれない。

例えば、言い方がキツくて断られるだろうな、と思う人も外側が鋭利な武装をしているだけで、内面は怯えている優しい人かもしらない。

そんな事をすごく感じた。

物を売る事、仕事をスムーズに運ばせる事、これは自分が数年悩んできた事である。
しかし、それはコミュニケーションを怠ったり、先入観で人を決めつけた結果生まれた悩みだったと今は感じている。

そんな事を感じた出張でした。



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