見出し画像

第三セクター鉄道シリーズ並行在来線 第2部

*以下の文章は、『第三セクター鉄道シリーズ並行在来線 第1部』からの続きです。


1-5 整備五線独自の工費分担方式

 国鉄が“民間企業”たるJRになったことで政府は、公共事業の実行を直接的に指示できなくなった。またJRを「第二国鉄」、すなわち旧国鉄よろしくの過大な負担を強いて経営難に陥らせてはならないとの方針が優先された。

 一方、自治体からは全線立体交差などを特徴とする、フル規格での新幹線誘致が根強く要望されていた。

 そこで沿線自治体による費用負担が実装された。現行のスキームでは、国と沿線となる地方公共団体(地方自治体)が2:1の比にて、一部の費用を出資している。
 これにより整備五線建設は、公共事業としての位置づけが明確となった。
 国家予算からはいわゆる「真水」*が投入、また先述の通り沿線自治体からも地方債などから、工費が拠出されるようになった。
国からは「新幹線鉄道整備事業基金」より毎年724億円の一定額と、公共事業関係費より追加での支出がなされている。

*国の財政支出のうち、GDPを直接押し上げる効果があるもの。公共事業費が代表格といわれる。
国の一般会計に加え、特別会計や基金、地方自治体からの支出を含む場合もある。
財政投融資(財政債発行により調達するお金)は真水より除かれる。
 これに加えて、JR旅客会社からの線路使用料(貸付料)を財源として、整備五線は建設されている。

 JRが支払う線路使用料は、「受益の範囲内」にて設定される。

 “受益の範囲”とは、整備新幹線を建設した場合(with)に、建設しない場合(without)よりも、JR(営業主体)に多く生じると予測された収益差のことである。これにより無制限に、JRの負担が生じないようにされている。つまり当該新幹線路線の運行を受け持つことにより純増する、収益以上の負担が回避された。

 一方、JRにとって整備新幹線から、得られる収益は多くない。

 実際には先述した収益差の全額が、開業後30年間、線路使用料として鉄道・運輸機構に納められる。

 唯一JRが回収してよい収益は営業努力により、その設定額より多く得た分の収益のみである。つまり自助努力分以外では、JR側に儲けが出ないことが前提である。

 一般論として公共工事、すなわち公費をもとに実施される事業で、ステークホルダーだけに利益が得られる「利益相反(そうはん)行為」が起こってはならない。

 この理念ゆえに、整備新幹線(=整備五線)のJR側の経営上のうまみは小さい。

 これが整備新幹線の運行引き受けが、JRの負担にはならないが、あまり利益にも、またならないということの内実である。


 整備五線は上下分離方式*により敷設・運行されている。

*線路等地上側インフラを建設/保有している組織と、列車を運行している組織が別々であること。

 現状、地上インフラの建設・竣工後の保有は、独立行政法人 JRTT鉄道建設・運輸施設整備支援機構(鉄道・運輸機構 旧鉄道公団)が実施している。また新幹線の運行や車両の保有、インフラの維持管理は、JRが担っている。

 民間企業ではなく国の事業執行機関である独立行政法人になら、国側から建設の指示ができるためである。

 こうした独自の費用調達により、特に整備五線だけが「整備新幹線」と呼ばれるようになった。

 

1-6 並行在来線分離の経緯と目的

 並行在来線、すなわち整備新幹線(整備五線)に沿って走る在来幹線を分離する方針は、昭和59(1984)年の予算編成時に覚書(おぼえがき)によって、はじめて示された。

 新幹線建設の一部に地元負担が導入されても、既存の在来幹線との二重投資で、JRに過大な負担が生じては元も子もない。整備新幹線の収益性はJRにとっては薄いうえに、既存の在来幹線は優等・速達運用が新幹線にとってかわられ、収益基盤を失うからである。国鉄改革期、全旅客輸送量の特急や急行のシェアは2%であったが、全収入の26%を占めていたという。

 需要が飽和気味の線区の輸送力増強が、本来の「新幹線」(=新たなる幹線・バイパス)の目的であった。しかし東海道本線の場合でさえ、新幹線開業当初に残されていた昼行の優等列車より、長距離利用はごっそり“夢の超特急”に移転した。山陽新幹線開業に際しては、山陽本線の優等列車は大部分が廃止となった。

 整備三線は輸送力増強よりも高速化が、国土発展に資するとして建設された。

 東北(盛岡以南)と上越新幹線の場合、東京首都圏から宇都宮や高崎までであれば、在来線は通勤通学路線として旺盛な需要を、依然受け持つ。しかしそれより先の区間となると、特急などが消えると客単価も、絶対的な利用数も大幅に減ってしまう。

 国鉄民営化直前の昭和62(1987)年1月、整備新幹線の計画凍結が解除された。そして翌年(昭和63(1988)年)8月までに、建設の優先順位などを確定させる運びとなった。

 だが、新在両方の運営にJR側は難色を示した。JRを“第二の国鉄”として再び破綻させてしまう失策は、繰り返せない。

 そこで政府側がJRに譲歩して同年、主要幹線を分離する取り決めが決定された。

 整備三線は国鉄時代に開業したため、こうした取り決めの変更前であった。ゆえに並行する在来幹線の、経営分離はなされていない。

 そして政府・与党合意にて、並行在来線を分離する方針が明確になった。

 「整備新幹線着工等について政府・与党申合わせ」が、平成2(1990)年12月24日付けで発表された。この片面1枚のみの覚書の後半にて、以下の記述がなされている。


4.建設着工する区間の並行在来線は、開業時にJRから分離することを認可前に確認すること。

「整備新幹線着工等について政府・与党申合わせ」より


国交省大臣による整備新幹線の着工認可に先立って、並行在来線をみなされた線区は、JRから経営分離されるよう、取り付けねばならないとされた。

要するに実質的に、当該区間をJR以外の事業者に経営移管するか、廃線するかの二者択一となったのである。

平成8(1996)年12月25日に出された合意覚書『整備新幹線の取り扱いについて』でも、「JRから分離」の基本方針が踏襲された。そしてより詳細に、並行在来線への対応策が詰められた。

 分離を図る際は、その方針自体、並びに具体的な区間を、個別に「沿線地方公共団体及びJRの同意を得て確定する」ことと、取り交わされた。

 重要な点は、引き継ぐ区間を、当該地域も主体となって選定すること。そしてその区間は沿線自治体が主体となって、経営を引き継ぐべきことが、ここに明文化された。

 また経営分離する際、新会社に対して税制の手当てすることを記述している。

 「並行在来線」という用語もまた、法的に定められたものではない。合意・覚書(おぼえがき)より社会に定着していった。

ならびにその政府与党同意の文書でも、どの線区が経営分離対象となるかも、具体的には定義されていない。新幹線網が伸びていく都度、沿線地域自治体とJRの協議により、具体的な分離区間が決定されることとなっている。

ただしあくまで、並行在来線を経営分離する目的は、JR旅客会社が、新幹線と在来線を二重に抱えることによる、過剰な負担を避けることにある。

このため、特急や急行などの優等運用を支えてきた主要幹線が、もっぱら分離の対象となってきた。例えば長野以西の北陸新幹線着工・開業に際し、並行在来線の定義は、「優等列車の利用客が新幹線に転移する区間のこと」と、明確に示された。

 戦後長らく、鉄軌道への補助予算は、道路予算のように特定財源が設置されてこなかった。一方、地方からのフル規格新幹線を求める声は強かった。それをかなえながら、JRには収益以上の負担をさせないために、紆余曲折を経て在来幹線のJRからの切り離しが、基本方針とされたのである。

 

(続)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?