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変化は許容しちゃおう!

仕事が忙しすぎて、久々となりました。
4つ目のお話。

新年度が始まります。
12月よりもせわしない日が続いています。

進級、進学、就職、転職、異動、などいろいろ変化を迎える人も多いでしょう。
今回は私のことについても多めに。
少し長くなる話ですが、お付き合いください。

私が本当にやりたかったのは、考古学。
発掘などに興味があったのだが、それは地質学関係で文系ではないことを知るには遅すぎた。
歴史関係なら文系だろうと、理系が好きなのに文系に進むという大失態。

それでも歴史学は私にとって、とてもプラスであり、学ぶ楽しさを全身で味わえた。
楽しい学びを教えられる教員になりたいと、教員を志しますが、教育実習の際、
「お前は公立学校の先生にはならない方がいい」
と言われたのをきっかけに、私学で自由にやろうと。
だから、塾講師として、楽しく大勢で学んでいた。

前置きが長くなったが、大切なことは、
変化を楽しんで、どれだけ学ぶ姿勢を持ち、環境に適応しようとするか。
そして、思い込みは全てに邪魔をするということ。

うまく行き続けることなんてないのさ。
過信は思い込みはだから、余計にうまくいかない。
うまくいかないかもしれないから、こんな準備をしておこうと構えるぐらいがちょうどよい。

そして、ここには大きな心の持ち方がある。
「許容」ど「妥協」、そこに力もつけて、
「許容力」と「妥協力」とでも言っておこう。

どちらが良いなんてこともないとは思うが、ここは私の価値観として、「許容」する心構えが重要だと言っておく。

「妥協」は変化の器に自分を入れ込んだ形。譲り合いということは、自分を萎縮させた証拠。
例えば、自分のやりたかったことではない仕事が目の前にあるが、仕方がないから、自分の持てる範囲でやってしまう。
これでは、自己成長もない。

対して
「許容」は変化の器を自分で取り込む形。
そのためには変化に援護する体制、仕組みを築いておく。
変化を許し、援護するには自分の枠を広くしなくてはならない。
そこには自己成長が不可欠なのだ。

これはやはり自己理解をどこまでしているかであり、思い込みではなく、本質が関係してくる。
そして、どちらの行動が楽しめるのか。

やはり、後者の方が楽しめる。
変化を受け入れ、楽しみやすい。
この意識を持っていると、意外にも能力のキャパを少しあげやすくなる。
なぜなら、我慢が少ないから。

先回の内容にも繋がるが、それが抑圧を生まず、のびのびやれることにずっと繋がっていくのである。

だから、変化があることを嫌がらないで、怖がらないで。
それは自分を楽しませるためのものだから。
「許容」できる範囲が大きな人は、受け入れられる可能性も高く、人が集まってきて、助けてくれる好循環も生み出すはず。

みなの新生活に幸あれ。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

              浅野重幸

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