忘れられない恋物語 ぼくたちの失敗 森田童子 6 輝いている男たち / 海の向こうの国々へ

洋食屋さんから歩いて15分くらいの所に、茉莉子さんの彼の住む会社の寮はあった。
コンクリート建ての一見無機質な感じの建物だが、
お洒落な感じのする建物でもあった。
大きめの自動ドアの玄関を入ると下駄箱があり、来客用のスリッパを履いた。玄関を抜けると直ぐに喫茶コーナーがあり、2人の若い男の人がいて僕たちを見つけると、

「茉莉子ちゃん、いらっしゃい。達郎、部屋にいるよ。その男の子は弟さん?」
「私の大学の1年生の後輩なんです。海外に行く仕事に就きたいと言うから、達郎さんに会わせてあげようと思いまして。」
「きみ、仕事で海外に行きたいのか、いいことだ、
男はデカい夢を持ってないと。」
「そうそう、今の学生は軟弱だ。海外と聞くと二の足を踏む。俺は君みたいな学生、好きだよ。」

茉莉子さんの彼の部屋に着いた。ドアをノックすると、茉莉子さんの彼が顔を出した。池袋駅の近くで見た時ほど怖そうな人には見えなかった。

「達郎さん、この間話した鈴原君を連れて来たの。」
「経済学部1年の鈴原優雨樹です。突然お邪魔しまして、すみません。」
「おう、よく来た。俺は岡崎達郎、部屋のなか、散らかってるけど、遠慮なく入ってくれ。」
「達郎さん、部屋の中が散らかっているって、どういうこと?3日前に私がお掃除してあげたばかりでしょ、あっ、お洗濯物もためてる。」
「残業続きだから仕方ないんだよ。それより珈琲淹れてくれ、鈴原君も珈琲でいいな?」
「はい、ありがとうございます。」
「そこのソファーに座ってくれ、俺は九州男児なんだ、九州だったら京都や大阪の方が近いと思うだろ九州まで離れちまうと、京都も大阪も東京も変わらねえんだ。俺の友達もそうだが、みんな東京に行く関西に行こうと思わねえんだよ。」

茉莉子さんが珈琲を持って来てくれた。

「やっぱ、女に珈琲を淹れさせちゃダメだな。」
「だったら自分で淹れればいいでしょ、もう〜。」

僕は達郎さんと茉莉子さんが夫婦のように見えた。

「岡崎さんは、どんな仕事をされているんですか」
「まず名刺をあげるよ。見てくれ。」

名刺には、大手醤油メーカーの名前が書いてあった海外営業部 主任となっていた。

「アメリカ人も醤油を食べるんですか?」
「1970年代後半から、海外で日本食ブームが始まった。日本の発酵食品が注目され始めた。まず最初に味噌が海外で評価された。日本の発酵食品は味噌の他は、醤油、みりん、酢、日本酒、意外なところで鰹節だ。味噌屋に先を越されたから、醤油屋の俺たちが頑張っているんだ。」

ドアをノックする音が聞こえた。

「中田か?入ってくれ。」

背の高いスラッとした若い男の人が入って来た。

「中田、紹介する、茉莉子の大学の後輩の鈴原君だ。大学を卒業したら、ヨーロッパに行く仕事に就きたいと言ってる。鈴原君、俺の同僚の中田だ。
ヨーロッパの担当をしてるんだ。」
「初めまして、鈴原優雨樹と言います。宜しくお願いします。」
「こちらからこそ、鈴原君。鈴原君はどうして海外に行きたいと思ったの?」
「はい、子どもの頃から、兼高かおる世界の旅、というテレビ番組を見ていて思いました。」
「その番組は俺も見ていた。」
「僕も見ていたよ鈴原君。」
「その中でヨーロッパが1番好きになりました。
そして、中学生の時にビートルズを知って。」
「僕もビートルズが好きだよ。達郎はプレスリーの様なアメリカンオールディーズが好きなんだ。
鈴原君、外国の人は日本のことを何でも質問して来るよ。政治、経済、文化、芸術、伝統工芸等、鈴原君がまず勉強しなくてはいけないことは、英語でもなく、ヨーロッパのことでもなく、日本のことなんだよ。ヨーロッパの人に日本のことを聞かれて、答えられなかったら恥ずかしいし、自分の国のことをきちんと分かっていないと信用もされないんだよ。
鈴原君、大学4年間でしっかり日本の勉強をするんだ。英語もヨーロッパのことも働きながら勉強すればいい。」
「はい、分かりました。」

思ってもいなかったことをアドバイスしてもらったと思った。ヨーロッパに行くために、日本の勉強をしなくてはならない、それまで考えたこともなかった。

その後、岡崎さんと中田さんがお互いに、アメリカとヨーロッパの情報交換を始めた。ふたりとも目を輝かせていた。岡崎さんと中田さんだけじゃない、
玄関の喫茶コーナーにいた人たちも、みんな輝いて見えた。
自分なんかよりもずっと輝いていると。

岡崎さんと中田さんにお礼を言って寮から出て来た
茉莉子さんが 

「鈴原、さっき言った一言考えておくのよ。」 
「はい、分かりました。茉莉子さん、ありがとうございました。」

僕は駅への道、今出会った岡崎さんたちと香奈恵さんを思い浮かべた。
自分は、岡崎さんたちみたいになる、と思った。
そして、香奈恵さんに一緒に海の向こうの国々に
言って欲しいと思った。
そして、香奈恵さんが大学を辞めて、農業の学校に行きたいと言った時の一言が決まった。
何回考えても自分には、この言葉しかないと思った


つづく








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