忘れられない恋物語 ぼくたちの失敗 森田童子 最終話 自分の気持ちを伝える一言 大きな愛ふたたび

バイトの後、茉莉子さんと岡崎さんに会ったその日 
アパートに帰ると、香奈恵さんはその話しをし始めた。

「鈴原君、お帰り、私、お話したいことがあるの。
飲み物は何がいい?」
「いつも香奈恵さんが朝食の時に作ってくれるインド式ミルクティーが飲みたい。」
「チャイのことね。今、作るから待ってて。」

僕はチャイを飲みながら香奈恵さんの話を聞いた。
茉莉子さんから聞いた内容と同じだった。
香奈恵さんは話し終えると、涙を浮かべて下を向いた。

「香奈恵さん、行かないでくれ。僕は卒業したら、
ヨーロッパに行く仕事に就くつもりでいる。
僕と一緒にヨーロッパに行ってくれ。」
「鈴原君・・」

香奈恵さんは顔を上げて僕を見ると、また下を向いた。そして大粒の涙をこぼして泣き始めた。

「私、鈴原君に、そんな風に言ってもらえるなんて思ってもみなかった。私、思い残すことないよ。
私の大学時代は悲惨だと思ってた。でも、最後に
こんな恋愛が出来た。好きな男の人に、行かないでくれ、と言ってもらえた。一緒にヨーロッパに行ってくれ、と言ってもらえた。鈴原君、私、もうこれで十分だからね。それ以上のこと、考えちゃダメだよ。私は、実はメンタルのお医者さんに通っているの。隠してて、ごめんね。心配しないで、そんなに重い病気じゃないの、薬も毎晩1錠飲むだけ。
お医者さんも、ストレスを余り感じない、環境の良い所で療養していれば、長くて3年もかからずに治るって言ってくれてる。今度行く、農業の学校の側には、そのお医者さんがよく知っている、いい病院もあるの。校長先生に正直に話したけど、快く入学を認めてくれた。
鈴原君、私は鈴原君の足手まといにはなりたくないの。鈴原君が飛行機に乗って日本を飛び出して行くその邪魔だけはしたくないの。
何も言わないで。私に振られて、鈴原君。
でも、これだけは信じて覚えていて。
鈴原君が自分の夢を実現させるのが私の1番の夢
だってことを。」
「香奈恵さん・・」
「明日の朝、出て行く。最後にもう一度愛して。」

一緒に暮らし始めて日が浅かったこともあって、
香奈恵さんが両手で持てる荷物だった。

「鈴原君、失恋させてごめんね。さよなら。」

香奈恵さんは、荷物を両手に持って走って行った。部屋に戻ると、香奈恵さんが置いていったカセットテープを見つけた。
ぼくたちの失敗を録音したカセットテープだった。

僕は放心状態のようになっていた。電話の鳴る音でハッとなった。昼の12時近かった。
電話に出ると、茉莉子さんだった。

「鈴原、香奈恵に、行かないでくれ、って言ってあげたんだって。見直したよ、鈴原。百点満点だよ。
私が香奈恵に言って欲しいと思っていた言葉だよ。
男が女に、行かないでくれ、なんて普通は恥ずかしくて言えないよ。でも、その恥ずかしい言葉を言ってもらえるほど、女にとって嬉しいことはないんだよ。鈴原、香奈恵は失恋という言葉を使ってしまったと言っていた。鈴原、今度の失恋はただの失恋じゃないよ。香奈恵は鈴原を失恋させることで鈴原の夢を叶えようとした誇りある失恋だよ。この失恋を恥ずかしいと思ってはダメよ。誇りに思いなさい。
みんなに誇れる大失恋だからね。」

僕は香奈恵さんが置いていったカセットテープをかけて、ぼくたちの失敗を聞いた。
もう、危険な気持ちはしなかった。影響を受けることもないと思った。
名曲だと思った。そして、僕の誇り高き失恋ソングだと思った。

年が明け、3月に入り桜が咲き始めた。
僕の大学の卒業式が行われた。
その夜、ホテルのホールを貸し切って、サークルの4年生の卒業生送迎コンパ、通称、卒業生追い出しコンパが開かれた。
最後に卒業されて行く先輩方が、ひとりひとり挨拶をした。
茉莉子さんの挨拶を聞きながら、1年前、僕は、
茉莉子さんを好きになり、失恋して、その後、
香奈恵さんと恋をして失恋した、そんな1年間を思い出していた。
最後に、出口に全員が並び、卒業生を送った。
先輩方に皆ひとりひとり挨拶をした。
茉莉子さんが僕のところに来た。

「茉莉子さん、卒業おめでとうございます。」
「ありがとう。1番出来の悪い後輩くん。」

そう言うと茉莉子さんは涙ぐんだ。

「鈴原は、男なんだから、強くなりな。
鈴原、誰にも負けるんじゃないよ! いいね!」
「茉莉子さん・・」

茉莉子さんは一度だけ振り返りガッツポーズをした
僕は、その時もう一度、茉莉子さんの大きな愛を感じた。

僕は大学を卒業し、海外営業部のある会社に入社した。ヨーロッパの担当になることが出来た。
そして、27歳の時に初めてヨーロッパに出張に行かせてもらえた。
まだ、東西冷戦の時代で、日本の旅客機がソ連上空を飛ぶことが出来ず、成田空港から飛び立った僕が乗った飛行機は太平洋を横断して、アラスカのアンカレッジ空港に着陸した。そこで2時間かけて給油し、今度は大西洋を横断してロンドンのヒースロー空港に到着した。
機内でもうすぐヒースロー空港に到着するとアナウンスかあった時、僕は持って来たウオークマンを取り出し、ヘッドフォンをつけ、香奈恵さんが置いていったカセットテープをセットした。
僕はヒースロー空港が見え始めると、森田童子さんの、ぼくたちの失敗をかけて聴いた。
そして、10代最後の忘れられない恋物語を思い出した。
そして、僕は心の中でこう言った。

香奈恵さん、そして茉莉子さん、
僕はヨーロッパに来ました。






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