たこやき

30代、製薬メーカー勤務の普通のおじさんサラリーマン

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最近の記事

新たな道を見つける旅: 薬学博士の就職活動

私は劣等生として、博士課程の学びの旅を歩んできました。 その過程で、アカデミアの門は私に閉ざされていることを痛感しました。 しかし、幸いにも、私は大学に残ることを強く望んでいたわけではありませんでした。むしろ、異なる可能性を模索する機会を待ち望んでいたのです。 就職活動を通じて、私は二つの道を見出しました。一つは薬剤師としての道、もう一つは企業でのキャリアです。私の優先順位は明快でした。企業でのキャリアが私の理想であり、薬剤師という選択はその次でした。この選択は、難易度や将

    • 薬学博士への道③

      当時の状況は、常にギリギリで、睡眠時間が不足していたせいか、細かいことはほとんど覚えていません。それでも学んだことは多かったです。 博士課程は、成果主義の厳しい世界です。 努力だけではなく、一定の成果が求められます。先生方は方向性を示してくれますが、卒業までの保証はしてくれないです。 私は画期的な研究をすることは難しかったのですが、既存の手法を組み合わせて新しい視点を出すことになんとか成功しました。インパクトは限定的かもしれませんが、評価されるジャーナルに論文が掲載され、

      • 薬学博士への道②

        苦労は若いうちに 博士進学を決めた理由は、家庭的な環境の影響もありますが、それだけではなく、これまでの人生で苦労してこなかった自分に対する新たな挑戦でもありました。 私は、自分の人生において本気で頑張った証を持ちたいという思いを抱いていました。そこで、博士号取得という大きな目標に挑戦することで、自分自身に何かを証明したいという気持ちが芽生えました。 進学先は、教授の推薦もあり、某国立大の薬学系有機合成の研究室に内定していました。博士課程の学生が各年で複数人在席する等も理由

        • 薬学博士への道①

          高校時代の私は、率直に言うと成績はとても悪く、常に下から数える方が早いという状況に置かれていました。 それなのに、自らの将来に対する決断として、薬学部を志したのは消去法が支配的な要素でした。数学や物理学においては、私の理解度は絶望的であり、しかし化学に対しては未だに少しの興味を抱いていたこと。また、白衣をまとった科学者の姿に対する憧れや、薬学という響きの持つカッコよさも、進路選択の一因でした。 しかしながら、国立大学に進学する成績は私には及ばず、やむなく偏差値50程度の大学

        新たな道を見つける旅: 薬学博士の就職活動

          肩書きの向こうに見えるもの

          私の社会的な肩書きは、薬学博士(Ph.D)、薬剤師、そして製薬メーカーの本社勤務。これらの肩書きは、外から見ればエリートに見えるかもしれません。でも、私はそのような肩書きだけでは、自分の実力や価値を表現することはできないと感じています。 私は決して優秀というわけではありません(むしろ落ちこぼれに近い)。 この肩書きから想像される人物像と、私が実際に持っている能力とは、かなり掛け離れているかも知れません。 肩書きは嘘ではありませんし努力の証しではあります。それだけです。資

          肩書きの向こうに見えるもの