はじめに


門、あるいは門番として
境界線を受け持っています。

今回、この場をお借りして、
このような表現方法を取ることに決めたのは、
双方に開示する時期が来たということと、
特に、完了のお知らせを強調するためです。

また、門として、門番としての仕事内容が、
ここに来て具体的に呈示され、
目的が明確にされたことも大きな理由です。

うまく伝われば良いのですが、
それは、なされました。
既にご存知の方もいらっしゃるとは思いますが
先ずは、この知らせに希望を持って
怯まずに臨んでいただきたいのです。

それでも、
こちらからは辿ってゆく体験となります。

これから、おそらく予想を超える衝撃が、
予期せぬ角度から予期せぬ姿でやってきます。

つまり、明らかな個人攻撃が始まっています。
これは正直、想定外でした。
そうならないよう、
常々、十分に心得、用心してきたつもりです。
それが破られたということは、
そういう局面を迎えたということでしょう。
一斉攻撃と受け取れるような形での崩壊が、
弾け飛んだ残滓の指先が、
わたしたち個人の闇を通して接触してきます。

なので、これから先は
各々の配置された場所で、
ひとりひとりが逸脱せずに実行する、
というルールを越え、
人と人として協力しあってゆく段階に至ったと
そう判断しました。

境界線を見守ってきた者として、
希望が先にあることを前提に、
日々の暮らし、日常生活においては
より一層の注意喚起をさせてもらいます。

何年も訓練を積み、準備をしてきた筈ですが、
その死角からそれらはやってきます。
万全に対策を調え、備えてください。
隙と虚を突かれないよう、警戒してください。

繰り返しになりますが、
なによりも
「すでになされた」という希望があることを
どんな時も、決して忘れないでください。

最終局面を迎えるにあたって、
これから仕事内容が鮮明に呈示されてくる
そんな方々も増えてくるかと思われます。

おもに、今ここに至るまでの道のりと、
段階的な認識の変化、
そのあたりをメモしたものを残していきます。

理数系のセンスに恵まれなかった為、
科学的な根拠、学術的な考察の類いは
ここではひとつも提示されません。

どこまでも個人的な感覚で辿ってきた、
ありふれた旅の記録に過ぎません。

それでも、どなたかの、
闇夜を照らす篝火として役に立つのであれば、
かつてその道を通った者がいた証として
小さな燈火を置いてゆきます。

散らばっているジグソーパズルのピース。
その一片を手に取って何気なく眺めた時、
そこには限定された部位の情報が表されています。
なぜ、それが『部分』だと判るのか。
それは、知っているからでしょう。
一般的な普通のジグソーパズルであるならば、
ピースを繋げて組み合わせていくことで、
はじめて全体の完成図が現れることを。
だからこそ、その小さな欠片には、
一部であり、かつ全体に繋がる情報が
必ず含まれているのだということを。

今から時間をかけて出来あがる絵は、
実は既に完成されているもの。
成されたものだと知っているからこそ、
わたしたちは過程を楽しむことができる。

全体の一部だからこそ、個として存在できる。

そのことをどのように理解してきたか、
そんな話になるかと思います。

広報が担当ではありませんので
このような開示の作業によって、
自身の仕事の範囲を逸脱しないよう、
細心の注意を払うつもりです。

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