戦争は忘れた頃にやってくる

戦争は忘れた頃にやってくる
 “シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」288/通算719  2024(令和6)年4/25/木】21日早朝にカミサンは札幌に出かけた。世話になった先輩が病気快癒したので、そのお祝いのよう。男同士ではこうしたリタイア後の付き合いはあり得ないのではないか? と無口の小生は思うが・・・女は男にとって永遠に不思議な存在である。
近年、街を見渡すと不細工な男と美女のカップルをよく見かける。女にとって「素敵な男」とは「できる」男、即ち「高給取り」のようである。見た目が格好良くても稼ぎの怪しい「できない」男は伴侶にしないのが賢い女のルールか。昔は「三高」、即ち「高学歴、高収入、高身長」の男がもてはやされた。
WIKIによると《1980年代末のバブル景気全盛期に、女性の主流層が結婚相手の条件に「三高」を求め、流行語にもなった。2019年や2023年のマッチングアプリの調査では、現在でも三高男性が人気》とある。近年では3番目の「高身長」は「ま、チビでも稼ぎが良ければいいか」となったのか? 新婚時代(1979年)にカミサンに聞くと「狭い家で大男にゴロゴロされると邪魔、チビでも稼ぎがあれば問題なし」と言っていたっけ。

そう言えばチャリ散歩でよく見かける「測量」の仕事では近年、小柄な若い男が目立つようになったのはどういうわけだろう。昔は高校や大学を卒業していれば大男でも小男でも就職先はいっぱいあり、仕事のイロハは3か月ほどの新入社員研修などで教育されたものだが、1990年あたりからパソコン(PC)が徐々に普及し始め、やがて急速にすべての業種でIT化が進んでいったので、入社前にPCを駆使できるのは「当たり前」になってきた。日本経済が低迷し始めた、つまり就職難が始まった1995年あたりにはPCに加えて何らかの「資格」が就職に有利になっていったようである。

「文系」と「理系」、就職に有利なのはどちらか? 低成長経済が常態化していた14年前の2011年3月の経済産業研究所(RIETI)の「理系出身者と文系出身者の年収比較」によると――
<調査の結果、男性の場合、文系出身者の平均値が559.02万円(平均年齢46歳)で、
理系出身者は600.99 万円(平均年齢 46 歳)となっており、理系出身者の方が高くなっている。理系出身者の方が、文系出身者よりも生産している付加価値額が高いことを示唆している。このような傾向は、新しい価値を生み出す創造性が競争力の源泉となるこれからの社会においては、さらに強まることが予想される。その意味において、理系的能力の養成を、教育課程の中で重点化して進めていく必要があろう>

要は「(上記の論稿によると)文系出身者よりも理系出身者の方が41.97万円年収が高く、年収の差は年齢の上昇とともに広がっている。文系出身者よりも理系出身者の方が生産している付加価値が高く、この傾向は新しい価値を生み出す創造性が競争力の源泉となるこれらの社会において、さらに強まると予想している。理系の方が職業の選択幅も広く、研究職や生産技術・管理、建築系などといった専門的な知識が必要な職業は、理系ならではと言える」(「個別指導塾マナビバ」の解説)。文系の小生としてはナンカナー、それはちょっと違うだろうと反発したくなる。

「文系」は何を学ぶか。文学、哲学、歴史、政治、法律、経済、教育などだろう。「カネを稼ぐ」という面では確かに「生産性は低い」が、国家を導く「国政」は文系の知性・良識によるだろう。総理大臣とか大統領、首相などのリーダーは、例えば艦橋に立って前後左右上下を観察し、航路や速度、前進や後退、面舵・取り舵を決定する船長みたいなものだろう。エンジンを動かしたりミサイルや艦載機を操縦するなどは、部下であるそれぞれのテクノクラート(将校や専門家、技術官僚)に指令するだけである。

「理系」は何を学ぶか。様々な産業振興に有効な新しいモノ、便利なモノなどを創ることだろう。要は学者やテクノクラート、技術者、発明者になって社会、国家、世界に広めたい、役に立ちたい、それで名声や利益を得られれば良し、という人が多いようだ。高校の同級生に東大、東工大などの理工学部教授になった秀才がいたが、とても明るい性格だったのに「静かな環境で研究に没頭したい、煩わしい世事に邪魔されたくない」という暗い性格になってしまった。「研究費を稼ぐために企業などに行かざるを得ない・・・カネを集めないと異端児扱いだ、何のために学者になったのかと情けなくなる」と嘆いていた。研究に没頭したい理系の人は国家に研究費をおねだりをしながら国家の安全保障に「敵意」を抱いている人もいる。「現実を見ない、世事に疎い利巧バカ」と近年では評判が悪いが、要は理系の人は国家経営などとてもできないだろう、と小生は思っている。彼らは報酬や研究費がたっぷり得られるなら中露北に移住しかねない人々ではないか。国境を越えちゃった人々・・・祖国を捨てたよう。

経済学者の河上肇(1879~1946年)著「祖国を顧みて」を読んだが、凄まじいほどに博学、インテリ、哲学者、リベラルである。ところが「私は善人、識者」という思いが強過ぎるのか、リベラル派は「戦争のない世界」を求めるためにマルクス流「世界革命=最終戦争」を信奉してしまう。ヒトが好過ぎて騙されやすいのだろう。結局、河上肇は日共党員になり、治安維持法違反で1933年から4年近く収監され、保釈後はマルクス主義と縁を切ったという。日本の敗戦後、「活動への復帰を予定」(WIKI)していたらしいが病死・・・祖国からも、天からも見捨てた捨てられたよう。

今、世界は「第3次世界大戦」になるかどうかの瀬戸際にある、と小生は思っている。圧倒的多数の人はそんなことは思わないで、日々を楽しく過ごしている。1941年12月の日米開戦の際、ラジオニュースで第一報を知った大学生が寮の友に「おい、戦争が始まったぞ」と伝えると友曰く「え? 戦争? どことどこが?」と聞き返したという話を司馬遼太郎が書いていたが、庶民にとっては寝耳に水だった。18歳の父は「大変なことになった」とびっくりしたといい、職業軍人を目指すようになった。一方で軍事を専門とする識者は「予想が当たってしまった、休戦協定は1~2年後か」と思ったようだ。まさか4年も続くなど当時は誰も思っていなかった。戦争は忘れた頃にやってくる。

「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著、1937年初版)。コペル君のように逃げるか? 安西先生曰く「投げたらそこで終わり」。日本に今、必要な政治家、リーダーは中露北の侵略に勝てる or 負けない人材であるべきだ。最悪の戦争に備えることは抑止にもなる。命惜しむな、名こそ惜しめ、日本男児の勇武の覚醒を信じている。
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