イスラエルを断固支持する

イスラエルを断固支持する
 “シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」287/通算718  2024(令和6)年4/19/金】毎晩夢を見る。穏やかな夢、他愛のない夢が多いが、16日の夢は「チャリ散歩して帰宅するはずがどんどん山奥に入ってしまい『どうしよう』と呆然する」・・・そこで尿意を催して目覚めた。スリル満点で怖かったが、夢で良かった! 忘れないうちに、とメモしておいた。

なぜ、そんな夢を見たのか? カミサンに中東情勢について聞かれ、最後に「ユダヤ人は祖国を失って2000年間も世界各地に散らばっていた。日露戦争で捕虜となって日本に連行されたロシア兵の中にはユダヤ人も少なくなかった。彼らは、小さな国の日本が世界最強と言われていたロシア帝国に勝ったことで、自分たちも祖国を再建できるのではないかと勇気を得たという。その話は以前は在日イスラエル大使館のサイトにあったが今はないようだ・・・」と話したことによるだろう。

祖国を失った“放浪の民”ユダヤ人に貢献した樋口季一郎、東条英機、松岡洋右、杉原千畝、近衛文麿・・・調べたら産経2022/3/1、岡部伸・論説委員の「4万のユダヤ人救った日本」が詳しかった。以下引用。
<「(先の)大戦中に日本が4万人以上のユダヤ人を救った」。イスラエル・ヘブライ大学の日本近代史研究者、メロン・メッツィーニ名誉教授は『日章旗のもとでユダヤ人はいかに生き延びたか』(勉誠出版)でこう主張し、「多くのユダヤ人を助けてくれた日本に対してユダヤ人が恩義に感じている」と述べている。

日本はナチス・ドイツ、イタリアと三国枢軸同盟を組んでいたが、ドイツによるユダヤ人を根絶せよとの再三の要求を拒絶し、1931年から45年まで日本が統治していた地域に逃れてきたユダヤ人を保護した。
満州国ハルビン特務機関長だった樋口季一郎中将の英断で旧ソ連と旧満州国境オトポールで立ち往生していたユダヤ人を救った。リトアニアのカウナスでは杉原千畝領事代理がユダヤ人難民に「命のビザ」を発給した。メッツィーニ氏は満州、上海を拠点とした東アジアで、「約2万人が助け出された」と記す。
戦時下で日本が統治した東南アジア、オセアニアにも2万人のユダヤ人が住んでいた。度重なるナチスの干渉にもかかわらず、大半の人が生き延び、東アジアと合わせると、「4万人のユダヤ人が日本に救われた」と強調する。

日本人として最初にユダヤ人を救ったのは樋口中将だ。37年12月、満州・ハルビンで開催を許可した極東ユダヤ人大会で、ユダヤ人の平等を保障し、パレスチナでのユダヤ人国家建設も認めた。メッツィーニ氏は「これらのことが終戦に至るまでの間、満州および中国北部におけるユダヤ人の独立性を保障した」と評す。また、「この大会のおかげで、立ち往生していた数千人のユダヤ人が満州国への入国許可をもらえた」とし、オトポールで慎重な姿勢を取っていた外務省と違い、「ドイツの反ユダヤ主義に盲従しない」ことを旨とし、是々非々の判断で現実的な解決を求めた日本陸軍の功績を評価した。

樋口中将の「困っている人を助けるのは当然」という「日本精神」による「個人的な判断」から決断したユダヤ人難民の救済は、近衛文麿首相ら五相会議が制定した「ユダヤ人対策要綱」につながった。極東ユダヤ人大会の翌38年12月のことだ。要綱は国策としてユダヤ人差別をしないことを決めた。メッツィーニ氏は「この決定こそが、何千人ものユダヤ人の命を救う上で極めて有益だった」と賛辞を贈る。実際、39年に第二次世界大戦が勃発したが、ベルリン、プラハ、ウィーンの日本領事館は日本への通過ビザを発給し続け、「多くのユダヤ人がナチス迫害から救われた」のである。

米英加豪をはじめ、パレスチナにまで反ユダヤ主義が広がり、世界がユダヤ人に扉を閉ざす中で、日本だけが難民を受け入れたことは銘記したい。そもそも日本は19年の第一次大戦後のパリ講和会議で世界で最初に人種差別撤廃を提案した「人権先進国」でもある。メッツィーニ氏は「迫害されたユダヤ人に対する日本政府および、多くの日本人の態度は、公平で人道的であった。当時この事実は極めて重要であった。それが今日でも、ユダヤの人々が簡単に忘れることができぬことなのだ」と語る。「日本精神」で4万人を救った日本をユダヤ人が感謝してくれていることを誇りに思う>(以上)

日本人は迫害されているユダヤ人を助けたが、祖国再建云々以前に「弱きを助け強きを挫く」という武士道精神が大きく影響しているだろう。この言葉の出典は教えて!gooによると「1876年3月上演の歌舞伎の台詞にあるよう。『総じて武道の極意と申すは、弱きを助けその強きを挫き、今目前の利を得ずとも』(河竹黙阿弥「川中島東都錦絵」)」とか。武士道+多神教・・・日本は良い国だ、守り抜かなければならないとつくづく思う。

で、冒頭の「チャリ散歩して帰宅するはずがどんどん山奥に入ってしまい『どうしよう』と呆然する」夢について。八百万の神々を良しとする小生は一神教を好まないが、艱難辛苦の2000年を経て復興したイスラエル国のユダヤ人=聖典タナハ(紀元前16世紀または紀元前13世紀に成立、俗にいう旧約聖書)の信徒を「大したもの、良い根性をしている」と評価している。
しかし、イスラエルvsイスラム過激派ハマス(ガザを支配)の戦争について最近の報道では「ハマスは停戦したがっているのにイスラエルは停戦する気がない、イスラエルが悪い!」となってしまったようだ。イスラエル=ユダヤ教からキリスト教が生まれ、キリスト教からさらにイスラム教が生まれたくせに、老舗・元祖・本家のイスラエルが反転攻勢に出るやアーメン欧米やアッラー中近東諸国は「イスラエルが悪い」と非難ごうごう。

小生は「義を見てせざるは勇無きなり、連帯を求めるも孤立を恐れず、一転突破、全面展開」を良しとしているが、「イスラエル=ユダヤ人支持を続けると孤立するのではないか」という不安が「山奥で呆然自失」という悪夢になったわけだ。意外に小生は臆病、弱気、軟弱になったようで、情けないことだが多分、加齢とはそういうことなのだろう。恐いもの知らずから臆病へ? GW明けには歯科衛生士の次女に連れられて5年振りに歯医者に行くことになっている。華麗なる加齢の道遥かなり・・・ナンカナーの気分である。

17日に久し振りに多摩丘陵の緑ヶ丘霊園をチャリ散歩したが、その手前の広場で新品の高校生の制服(上着)を見つけた。落とし物だろうが、チェックすると小生の散歩コースにある向の岡工業高等学校の制服だったので、散歩を中断して事務室に届けたら感謝された。「山奥で孤立して呆然自失」する夢を見たために、良き市民でありたい、社会に貢献したいという思いが働いたのだろう。戦老ヂヂイから好々爺へ天は我を導くか? しかし喉元過ぎれば熱さ忘れるで、2、3日もすれば戦老に戻るかもしれない。「穏やかな好々爺」よりも、やはり「攻撃的な怪しいヂヂイ」の方が面白そうだとは思うが・・・どうなるか楽しみである。
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