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反抗期来たる

RONIN

やりたいこともなく、なりたいものもなく、一番国語が苦手だったから理系に進んだ。
全部嫌いじゃ無かったから、理系っぽく物理化学専攻にした。
とりあえず上目指しとけば潰しが効くだろう、地元から離れたいし、祖父母に何も言わせないぞ、と選んだ志望校。まあ受かりうる成績、といったところ。

だが、気楽に構える私に微笑む神はおらず、大学受験に失敗した。
本番に弱かったのか、と初めて思った。
後期地元の大学を選んでいれば現役で行けたが、なんとなく後悔しそうでそれをしなかった。もしそうだったら私は物理学科に入学していた。

仲間内で1人だけ浪人が決まった。
悲しかったな。
でも最高峰を目指した、自分が選んだ結果。
きっと両親が揃っていたら、地元の大学へ行け、女の子なんだから、と言われていたに違いないから。こうできたのも悪いことではない、と少し思っていた。
1浪ならokとずっと言われていたし、兄も浪人していたから、あーあと思いつつ受け入れた。


今見返すと驚くレベルで、その時髪の毛が薄い。げっそりしている。平気そうにしていたつもりだが、そうは見えなかっただろう。
げっそりしたおかげで目が二重になり、少しだけ顔が優しくなった。

卒業までの期間、母とディズニーに行った。
父親から、私学に行かせる金はないと、旅行中にメッセージが来ていた。
ああなんて世界は優しくないんだ、とファンタズミックを泣きながら見た。

浪人を知った祖父母は、女の子なんだからエスカレーターで大学に行けばよかったのにと言った。
あんなに従兄弟達と比べたのに、なんて酷いことを言うんだろう。

何年振りの共学か

春から予備校生。髪の毛を人生で初めて染めた。少しでも明るい気持ちになりたかった。
小学校振りの共学に、緊張もあったし浮かれも多少はあったのかな。

最高峰をめざす理系クラスには、女子がほとんどいなかった。初めて入った教室は、臭くてフレーメン反応が起きた。
我々からは有象無象だが、男子から見たら数少ない女子。1人1人が区別できてしまう。
気持ちが悪かったな…

ただ、中学で学びを得ていた私は友達を作ることに成功する。なんなら男の子のほうが、駆け引きなく付き合えて楽かもしれない、なんて思うこともあった。

いろんな学校の子が集まる環境は、偏っていた私の人間観を大きく変えた。もちろん、見たことのない意地悪な人もいたけれど、感動するくらい良い性格の持ち主もいた。
思っていたより自分は成績が悪くなく、クラスでもそれなりの位置にいたし、張り出される成績を見て、なめられることはなかった。


そのうち同じクラスの男子と付き合うことになった。つるんでいた予備校生達の中では一番性格がいいし気が合うかなと思っていた。顔が好きなわけではなかったが、そんな良い人に好かれたから、嬉しかった。

2人で同じ大学に行こうねと、ひたすら勉強した。親しくなるにつれ、家庭の話をすることになった。初めての恋人ということもあり、絶対結婚する、とお馬鹿なことに真剣に思っていた。
私は幸せな家庭を築くことが夢だった。


私は何のために勉強をしているのだろう。
祖父母は、最高を目指した私に酷いことを言った。


夏の模試で全国ランキングに載った。
もう、いいのではないか?
十分頑張ったと、満足してしまった。

もし次も受からなかったら、私立には行かせてもらえないかもしれない。
それなら、幸せな家庭を築くことにフォーカスを当てたほうがいいかもしれない。
幸せな家庭って何が必要だろう、
子供を産み、育てる、優しい妻であり母であるためには、何が必要か?


初恋人の家庭は、ハートフルな理想系だった。妻を溺愛する夫と、可愛い子供達。母親は料理が上手く、いつも明るい。休みには庭でバーベキューをする。
その恋人はいつも「⚪︎⚪︎の家は可哀想だ」と言った。「うちみたいなのがいいよね」と。
私の理想は、彼の母のようになることか。

運良く私は手先が器用で、家庭科がとても得意だった。では、そこを活かすか。
その道に進路を変更しよう。
最高峰の理系から、家庭科の先生になる道への方向転換がリスキーなことは私にもわかっていた。
でも、そのときには私のなりたいものは専業主婦だったから。
彼と一緒にいることが一番大事だったから。

恋人に可哀想な家庭と哀れまれながら、あなたの父や兄は最低だ、情を捨てろ、と言われ続けてもいた。
手を上に上げる仕草を恋人が近くでするたびに、私は反射的に身を竦めてしまっていた。絶対有り得ないとわかっていたのに、兄のトラウマが殴られることを脳裏に過らせる。
この人はきっとそんな家族から守ってくれるだろうと思っていたから、色んなものを捨てても、一緒に生きる道を進みたかった。

さすがに、恋人を優先しすぎて友人を蔑ろにしていたあの時の自分は、愚かすぎて恥ずかしいし、本物の馬鹿だったなと思う。

アクセサリー


母は大きくなっていく私を世界一可愛いとはさすがに言わなくなっていたが、最高傑作と言っていた。
理想通りに今までいい子ちゃんでいただろう。だが、私は母の付属品ではない。母の思う通りには生きないと宣言をした。

勝手に文転し、理系の勉強をやめた。
センター試験も文系で申し込んでいたので、周りは止めようがない。
母とは会話をしなくなり、母が起きる前に家を出て、寝た後に帰っていた。
恋人もちゃんと同じ時間に予備校に来てくれていたから、今考えると偉いな。

母は私の恋人を殺してやりたいとまで言っていた。

最後は美しく


恋人と一緒に、目指していた大学からレベルを下げた。ただ下げるからには、絶対いい成績で合格する、と2人で誓い、きちんと2人ともトップ合格したのだから、文句を言わせない結果だった。

もし現役で大学生になっていたら、天才だわと一生調子に乗っていたかもしれない。
今まで親に決められたレールに乗ってきて、生まれて初めて自分で自分の道を決めることができたのだから、私はこの時の出会いは人生に必要だったと思っている。

後悔が0かというと嘘になるが、結果オーライとは本気で思っているから、あの時心配してくれた友人達にはどうか安心して欲しい。

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