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論語 憲問28 嘘偽りなく闇の中

 専門の事は専門家に任せるというった事だろう。しかしながら最近は素人や関係ない人の意見も新たに取り入れる動きも出てきている。裁判員制度はその代表的な物だろう。地方自治に行政職員だけでなくその地にに住む人が進んで参加する事も増えてきている。  また、分業だからと言って全てを他人任せにしていては自分が何をやっているのかという実感を持つ事が出来ない。円滑な仕事をする上ではお互いの仕事をある程度は可視化していた方が良いという話も聞く。  これらの事は専門分野に口出ししないという事

    • 論語 憲問27 「生きている意味はあるのか?」は問いではなく圧倒的な喪失感

       分かった気になってアドバイスをするのは混乱を招くだけである。特に現代はいろんな情報に惑わされて何が正しいのか分からなくなる。専門家ですらその種類が増えており、話が食い違うことがあるだろう。  情報に触れる触れないについては考えることがあるとしても、少なくとも自分は知ったかぶりで話をしないことが大事だろう。  さて、仕事に関しては部外者が口を出すのは素人の意見と受け流していいのかもしれない。重要な決定はそれなりの責任者が行うべきであるし、各々が好き勝手にやっても多数決で決め

      • 論語 憲問26 船の形をした木片

         出来ているとおごり高ぶるよりも謙虚に反省していた方がいいという例だろう。  反省するのは大変な作業である。自分の実力をしっかりと見極める知識と優れている物と比較しても挫けず、卑屈にならない精神が必要だからである。    自分の欠点を指摘されるのは心苦しいものであるし、自分自身で直すのは簡単ではない。常日頃から勉強と実践を繰り返していなければ達成されることは不可能だろう。  結局はそこに自身がどう感じるか、どのように変化するのかどうかだろう。不満や不安を愚痴るだけではなく、

        • 論語 憲問25 身体を置き去りにする意識

           孔子の活躍した時代は今から約2500年ほど前である。そんな時代でも昔と今を比較して嘆くのは一緒のようだ。  前にも書いたが、それでも現代では自分を高めるよりも人に知られるほうを重要視している人が増えるのではないかと思われる。  基本的にお金を集める為には、相手にする母数が多い方が良い。例えば一割の人が商品を買ってくれるなら100人を相手にするより1000人を相手にした方が良い。物の性質を高くするという事よりもどれだけ知られるかが物を金に換える点では重要だろう。競争の仕方はそ

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          論語 憲問24 その人ではなくその人の持ち物を見つめ続けて

           目先の利益に振り回されるという事は本来の目的から逸脱している事である。そんなことをしていては目的から遠ざかるのは必然である。  私が気になるのは、孔子の言うますますだめになっていくという事は最終的にどういう状態を指すのだろうかという事だ。  実のところ目先の利益を追っかけていた方が現代では重要視されているのではないかと思われる。自分自身の事だけを優先に考えて勝ち続けるという前提であるが。皆が皆自分だけのことを考える世の中は成立することはしないが、人のことを考える人が増えれ

          論語 憲問24 その人ではなくその人の持ち物を見つめ続けて

          論語 憲問23 1パーセントの100万人

           善悪は立場によって決まらない。しかし時に私達は何かの点で優れている物を善いと誤解してしまう。主に立場や容姿がそうさせる要因として大きいのではないかと思われる。  正しさとは何かを判断するために常にいろいろな知識を付けなければならないという事だ。相手に依存する形で正しさを求めてはいけないのである。  そういった意味で「論語」は一つの指針になるがそれだけを妄信してしまうのは良くないのだろう。  それでも現代のように情報があまりにも多く、どれが嘘か事実かすら判断が難しい時代に

          論語 憲問23 1パーセントの100万人

          論語 憲問22 身を清める覚悟と相手

           孔子の助言がいかなる時でも受け入れられたかというとそうではないようである。自身の君主に反逆した陳恒については良く分かっていないので、孔子が概ね正しいという立場で話を見る。  哀公は魯という国の君主であり、孔子の上司に当たる人物である。勿論ただの上司ではなく一国のトップであるのでその影響力は大きい。自身で判断をつけることなく、他の部下に任せた結果結局孔子の願いが可能事は無かったという事である。その三人の部下も哀公を軽んじており、孔子の無念さが伺える。  孔子は君主には正し

          論語 憲問22 身を清める覚悟と相手

          論語 憲問21 意志なき努力はただの我慢

           大言壮語とは自分の能力を超えて物事を言う事である。大きなことを言っても自身の実力を分かっていないので当然実現するのも難しい、という至極当然のことを言っている。  大きな夢や理想を持つという事と、自分では特に行動もせずに出来もしないことを言うのは大きな違いがある。  厄介なのは周りの人間に悪影響を与える場合である。自身では口先だけの人間であるという自覚がない分、正論を言って反論をすると逆切れする場合が多い。往々にして、実力がないのが問題ではなく、実力があると思い込んでおり、

          論語 憲問21 意志なき努力はただの我慢

          論語 憲問20 解釈違いは根拠ちがい

           この意味合いは孔子がこの三人に重臣をどのように評価していたかによって話が変わってくる。  引用文献によるとこの三人はなかなかに癖が強いところがあるらしく、孔子が霊公の補佐役としてわざわざ名前をあげたのはこの三人がいながら良くやっていたものだという、皮肉を込めたものである。    孔子は人を一つの面で判断したりはしない。自分に都合の悪い人物であっても優れている部分は素直に認める人物である。三人それぞれに問題はあろうが、得意分野で活躍する部下がいたからこそ霊公は活躍することが出

          論語 憲問20 解釈違いは根拠ちがい

          論語 憲問19 現実に生きていない時

           推薦された大夫僎より推薦した公叔文子の方を評価しているのは実に興味深い。私は優れた地位にいる人物を凄いと思ってしまいがちである。  自分より立場が下の人物の能力を認め、適切な地位にまで推薦することはなかなか出来る事ではない。これは仕事の能力というよりも、人格的な能力と言えばよいのだろうか。優秀な人の足を引っ張る人物が世の中にはいないだろうか。  自身の能力の無さ、限界を素直に認めることが出来ない為にその地位に固執することで自身の存在意義を感じていると予想している。その立

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          論語 憲問18 固有名詞と実態と

           前回は子路が今回は子貢が管仲の生き方に仁者として疑問を持っているようである。前回でも少し触れたが見かけ上も結果が同じだとしても中身や意味合いをよく見ていくと、評価が全く異なるのである。  誰にも知られずに上司を思い自ら命を絶つという事も道徳と言えるかもしれない。子供が親をかばって罪を隠すという事を親を突き出すことよりも尊いことだと孔子は評価している部分に共通する部分がある。  勿論信頼関係があってのことであり、責任逃れのために切り捨てるという事とは訳が違うが。  話を戻

          論語 憲問18 固有名詞と実態と

          論語 憲問17 「誰が」という判断材料

           引用文献の解説を読んでみると、桓公、公子糾、管仲の間柄を知る事が出来る。詳しくはぜひとも読んでいただきたいが軽く説明すると、管仲は上司である公子糾がやられた際に仇である桓公の下で実力を発揮した人物である。  上司を思って自決した召忽の方が上司を思って仁徳があると思いがちである。それは間違いない。そして管仲は敵に寝返って姑息に立ち回っているようにしか見えないかもしれない。形だけ見ればそう思うのも仕方がない。    しかし、孔子は歴史上で何があったのかを知っている。  子路の

          論語 憲問17 「誰が」という判断材料

          論語 憲問16 物は増えると狭くなる。知識は増えると広くなる。

           どちらも春秋時代と呼ばれる周時代前期の覇者である。桓公は初代、文公は二代である。  それぞれの独自のやり方で国を治めたという事だろう。基本原則も臨機応変も使い方という気がしてくる。どちらかが大切かというより、簡単にどちらかの方が良いと結論をつけてしまいたい認識や癖の方が良くない気がしている。    これは私の勝手な予想であるが、桓公も文公もどちらも使いこなせていたのではないかと思われる。ただ、時代の流れや対応として基本が求められていたのか、臨機応変さが求められていたのかと

          論語 憲問16 物は増えると狭くなる。知識は増えると広くなる。

          論語 憲問15 キャリアは捨てても人格、技術は捨てられない

           これだけだと何のことか分からない。引用文献によると、臧武仲という人物が、魯という国に自分の後継者を立ててくれるなら防という領地を明け渡すと君主に交渉している。要は君主に対して取引をもちかけているのである。  孔子はこれを脅迫として非難している。  臧武仲は知恵者として通っている。検問13でも孔子が評価している場面がある。しかし、それだけで仁者と言えるかどうかといえば違うようだ。何かしら一点に優れた人であっても、道徳を兼ね備えているかというとそうではないようだ。  臧武仲

          論語 憲問15 キャリアは捨てても人格、技術は捨てられない

          論語 憲問14 酒に飲まれる前に空気に飲まれる

           公叔文子は賢人として有名であったらしい。孔子とも面識があったようで彼の評価を公明賈という人物に聞いている。その評価に孔子は疑問を感じていたようだ。  公叔文子の人格は定かではないが、公明賈の評価は何でもかんでも相手の言うとおりにするものではないという教訓でもある。私なんかは酒の席でとりあえず黙っているし、意味もなく笑っているし、意思もなく苦手な料理を受け取っている。  まずしかるべき時というのが分からない。どういうタイミングで物事を喋っていいのか、相槌を打つのか全く読めな

          論語 憲問14 酒に飲まれる前に空気に飲まれる

          論語 憲問13 語られない出会い、忘れ去られたキーパーソン

           完成された人物を原文では成人という言葉で表現されている。今では二十歳を過ぎれば成人として扱われるが古来中国では知恵、節操、勇気、柔軟さが求められたようである。しかし孔子もそれではあまりにもハードルが高いと思ったのだろう。そこから段階を下げて利益だけに囚われず、一生懸命に生きて、約束事を忘れなければ成人であるとしている。  成人がどういった人物かどうかを言葉で理解するのも大事であるが、そのような人物が身近にいるだろうか。憧れる人物やある分野に秀でた人が自分の周りにどれくらい

          論語 憲問13 語られない出会い、忘れ去られたキーパーソン