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元鬱病、母校に寄稿を頼まれる

noteにのらりくらりと文章を綴ることでストレスを下げている私。質の如何は無視して、書くのは好きだ。

そんなとある日。母校の教師から突然「学内誌にOBOGからの寄稿を紹介するコーナーがあり、毎年2、3人書いてもらっている。現在の業務概要と今後の抱負を書いてくれないか。」との打診を承る。有難い一方で悩む私。

鬱病になり休職期間で藁をも掴む思いで今の職場に転職したため、現在の業務が最高かと言われると確実にNOである。もちろん、今の仕事はそこそこ難しいし、人には恵まれてるし、実力主義でやりがいがあることに感謝している。しかし、そもそも志があった業界で夢を踏みにじられ、鬱病になってから、私の人生は白紙である。抱負も何もあったものではない。まっさらなのだ。鬱になる前は水が流れるようにとうとうと話せた志も夢も生きる意味も今はない。ひとりで静かに生きていける程度には稼げるから、この仕事をしてるだけで、心はゼロである。

しかし、そんなえげつない現実を多感な高校生に向けて書けるわけもなく、鬱に追い込まれた業界の闇深さを紹介するわけにもいかず、この寄稿をどう書くか悩んだ。悩んで、書いてみた。

『本来は"現在の業務と今後の抱負"について書いてほしいと頼んでもらったが、どこの馬の骨かも知れない奴の"充実してますアピール"よりも大切なことに目を向けてほしい。あなた方は、いま、たまたま寄せ集められた集団の中で違和感を拭えない人間さえも友人だと定義してつるんでいるかもしれない。でも、地方の自称進学校ごときでくすぶるその瞬間を人生のピークにしちゃいけない。地方を出ると、日本を出ると、この人に会うために今までの過去があったのだと、そう思える人に必ず出会える。だから自分の大切なものを信じて、将来の親友のために燃やし続けよう。』

こう綴った。私と共に掲載される同窓生は"充実してますアピール"のフリとして使われて気の毒だが、こう書いてしまった。意味不明な方向で尖った私の文章が本当に掲載されたのかどうかはわからない。確かめようとも思わない。

ただ、自分が高校生だったとき、私はこんな言葉をかけてほしかったのだなと気づくのは良い経験だった。

皆様も母校の現役高校生に向けて架空の寄稿を寄せてみては如何でしょうか。

明日も自分に優しくできますように。

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