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元鬱病、感情の共感に戸惑う

今年から社会人コミュニティに入っている。そこで、コーチが指導の際、全体に対してよく冗談を飛ばす。それ自体は良い。健全な団体である。

その時、隣にいる人間が「そんなことないよねぇ!」「え、知らない!」「うそだ~!」などと私に共感の矢を強制射撃してくる。一名ではない。そんな人が少なく見積もって五名くらいいる。

この時、どうしたらいいのかわからない。私は生粋のハガキ職人なので、面白いことを聞いても独りでニヤニヤするタイプなのだ。正解がわからない。何よりこの手の人間達は、休憩になっても友達がいないので虚空を見つめて10分間経つのを待つことしかできない陰キャ(私)には話しかけやしない。なんで会話をしない人間に自分が笑いたい時だけサンドバッグ扱いするのだろう。

私に興味があって話しかけたつもりではないことはわかったとして。では、コーチの小咄に関連した強いエピソードトークでもあるのか?聞いてほしいのか?と思い、一度質問したところ「ぁあ」などとよくわからない言葉を発して私の日本語を地面に押し込んで、コーチの小咄に意識を戻らせる。え?サンドバッグは発言禁止ですか??あの時の相手の目の光のなさと言ったら!怖っ!!

うーん、どうやら「コーチの話に大きな声で笑う自分を演出したいけど、一人で笑うと(私のような)変な奴になるので、隣にいる陰キャを巻き込み、笑いあっている風を装ってイキる」が正解であるようだ。そして私は「話したこともない相手が、都合よくこちらに顔を向けた時だけ共感してる風の微笑みを返すが、サンドバッグの自覚を強く持ち、決して言葉を放たない」が正解のようだ。

コミュニティで大きな声で笑えるのは、何かの権威なのか?何のアピールなのか?コーチに呼応しているのを印象付けたいのか?皆の注意を集めたいのか?なぜ?仮に集めたい理由に納得できたとして、その手法が、でかい声でたまたま隣にいる知らない人間と共鳴した演出で大きな声で笑うことが最も適切なのか?

わからない。一人っ子なのか?もしくは品性がないのか?サンドバッグの疑念は止まるところを知らないが、まぁあの場は会社じゃなくてあくまでプライベートの社会人コミュニティだし、彼ら彼女らも何か鬱屈とした感情を強制感情共有で発散しているのかもしれない。

やれやれ、今週も張り切って頬を引きつらせようではないか。

明日も自分に優しくできますように。

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