見出し画像

元鬱病、生成AIの依存に気づく

先日、博士課程の友人と飲んだ。そこで、かねてより聞きたかった質問をしてみた。

我々が同じ研究室にいた時は"最近流行りの英語論文を8枚くらいのスライドにまとめて発表する"という役割が3ヶ月に一度回ってきていた。当時の私は大学入試の小技を駆使して「However以下が重要だ!」「対立構造に気をつけて読むと楽だ!」「細かい実験に気を取られず結論から読んで全体に気を配らねば!」等と必死に英語論文を訳していた。

こんなに鮮明に思い出せるほど、私は論文紹介がとても苦手だった。そもそも最新の論文なんて親しみにくい新たな技術だから固有名詞が頭に入ってこない。それに研究室内の空気を読み「前回に似た内容だしデータ同化は避けるか…かといって気候変動は流行ってるから安易な奴だと思われたくないな…でも他のメンバーの得意分野だから灌漑の話題は譲った方がいいか」などの心理戦も加わる。

ところがどっこい。今の学生にはchatGPTがあるではないか!あれに文章を入れて要約&翻訳してもらえば、私が苦悩した時間と労力がゼロになる。羨ましすぎる。

故に飲み会にて友人に「最近chatGPTとかあるじゃん。論文紹介とかめっちゃ楽になったんじゃない?」と相手が「そうだね」と答えるはずだと決めつけて鼻の穴を膨らませながら聞いた。すると彼は「うーん、どうだろうね。僕は自分でちゃんと読みたいからさ。論文面白いし。」

さくらももこばりにガビーーンとなった私。そうだった、真摯に向き合っている人間は道具を使わず、自分の脳味噌を使うのだ。ガビーーン。思わず「やっぱすげぇや」と虚空を見つめながら言葉が出た。博士課程の学生は気合いが違うぜ。

私はといえば現在の業務でも「○○のグラフを分析する時に考察するポイントは何?」等と上司に指摘される前に予防線で生成AIを使ってばかりいる。それはそれで小賢しいけれども、もう少し自分の頭を使おうと戒めた夜であった。

明日は自分に優しくできますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?