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鬱病、医者に同情する

かかりつけ医で4年ほどお世話になっている先生がいる。現在は40代も後半に差し掛かり、院内でも中堅として多忙そうに1番仕事をこなしている。しかし元来患者と話すのが好きで、最初の2、3年は私にもよく冗談を飛ばしていた。

私の海外勤務先での物価や外地勤務による年収の増減をやたら気にしたり、職場の外国人の部下からFacebookの友達申請が来たけどプライベートのしょうもない投稿を見られるのが気恥ずかしくて許可できないと困っていたり、聞いてもないのに農作業にハマって日焼けした報告をしてきたり、英語で学会論文を書くのは難しいから嫌だと愚痴ったりしていた。

お互いの出身大学の立地が近かったという理由だけで私に謎の親近感を持ってくれる彼は、小学生の息子さんが宿題を嫌がっていた頃、どうやったらいいかと相談してくることもあった。「まぁ、勉強しなかったら選択肢が減るだけですからね、知らないですけど」と私が他人の特権を濫用して無責任な意見を言うと「そうだ!それを言ってみよう!」と喜んでいた。俗物っぽいところも含めて、感情の全てが顔に出る人間らしい彼が割と好きだった。

今では忙しさで余裕がないようで、目も合わせずに前の患者で診察の時間が押した謝罪だけして、直ちに最低限の診察に入る。

そんな先生の診察を久しぶりに受けた先日。
年内で病院を辞めるから、今後は交代の先生で予約取ってくださいと突然伝えられた。淡々とこちらに背を向けてパソコンをスクロールしながら事務的な手続きを進める彼。とっくの昔に笑顔が消えた彼の大きな背中にふと「やめるの楽しみですか?」と投げかけた。キーボードを打つ手を止めて「楽しみかな。ここから早くいなくなりたいんです。」と目線をカレンダーに向けて苦笑する。続けて彼から「仕事で嫌なこととかあります?」と聞かれた。私は嫌なことがありすぎたから鬱病になって休職中なのだが、それは知らない先生。「全然ありますよ。」と答える。「でも、流石に会社変えようとかは思わないよね?」と立て続けに質問される。「思いますよ。転職サイトとかめっちゃ見ますしね。」と答えると、なぜか拍子抜けしたようでいつもの感情を何でも素直に顔に出す彼に戻っていた。

「大変そうでしたもんね、最近」と伝えてみる。「ここが、嫌でね。本当に。本当に早く辞めたいんだ」と罪悪感を滲ませながら周りの部下に聞こえないように話す。「次の勤め先は決めてなくてね、医者をしばらく離れたいんだ。隠居しようと思ってて」と話し相手もいなかったのか堰を切ったように話し出す。彼が職場において被害者なのか、加害者なのか。(加害者も相応に辛いアピールをする傾向が強いのは経験上知っている)どんなことがあったのか。何から逃げたいのか。それはわからない。

けれど、休職直前に鬱になるまで追い込まれていた頃、当時の加害者かつ未来の被害者となる職場の人間になんて到底相談できなかった自分と重なる部分もあった。「隠居いいじゃないですか」とあっさり言うと、目を丸くする彼。私が当事者だからこそ、軽蔑したり甘えだと責めたりはしない真っ直ぐな瞳で背中を押せたのだが、肯定されたのが意外だったようだ。

「宝くじでも当たれば働かなくていいのになぁ」と診察が終わる頃には初診の頃のように少しおどけてみせた。過労で増えた目尻の皺が、彼の笑顔によって確認できて少し安心した。これまでもこれからも他人で、もうお互いの人生の中で会うことはないだろうが、宝くじ、当たるといいねと思った。心から。

医者なり公務員なりエンジニアしかり、組織の要となる人間が消費されて壊れてゆくの、最近周りで多い気がする。そして壊れた人間の穴埋めを外国人がしているのは気のせいではないはずだ。英語のコミュニケーションには一応問題がなく、外国人の友人も少なからずいる私にとって、外国籍の同僚が増えることで特段困ることはない。しかし、日本って優秀な日本人を壊したら外国人で補填して、そうやって建て直していくんだと興醒めする。政治だなんだのを語る気は毛頭ないが、そういう母国の現状はあまり好きではないかもしれない。

ま、とにかく、万が一すれ違う機会があれば、その時は農作業に勤しんだ証として真っ黒に日焼けしててくれよと思う。達者でな。

明日も自分に優しくできますように。


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