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異形者たちの天下第1話-3

第1話-3 南蛮渡りの悪魔

 江戸南蛮寺の正式名称は伝えられていない。しかし初代宣教師であるヘロニモ・デ・イエズス神父は、徳川家康から
「南蛮貿易の取り計らい」
を引替えに江戸布教を許された。その教会は八丁堀のあたりに建てられ
「ロザリオの元后聖マリア聖堂」
と呼んで布教活動にあたった。そして、へロニモ神父の後任として布教活動をしたのが、ルイス・ソテロである。松平忠輝が師事していたのは、まさしくこのソテロ神父だった。敬虔なるこのスペイン人宣教師は、服部半蔵の眼前で、笑みを絶やさず座っている。
 ミサが終わり、南蛮寺の小さな一室には、服部半蔵と松平忠輝、それにルイス・ソテロがいる。
「残念ながら我がフランシスコ会は、奇蹟に固執する宗派ではない」
 松平忠輝を通訳に介し、ルイス・ソテロはそう切り出した。
「しかし大久保石見なる御仁が入信したのは、イエズス会と聞いています。よくは知らぬが、会の一部では西洋においても魔女狩りを奨励するとか。それに伴い、奇蹟や魔法を重んじるらしいと聞く」
 よく判らないと呟く半蔵に
「つまりは、キリシタンにも宗派がたくさんあるということさ。仏教だって天台や真言といった派閥があるだろう。一向宗もあれば禅宗もある。キリシタンもそうで、なかでもソテロ神父のところは呪術を奨励しないのさ。もっぱら薬師、つまり医術の方が明るい。極めて人の役に立つ宗派だ。だから私は庇護をする」
「ならば悪魔払いの法は……」
「ソテロ神父は知らない。しかし、私はそれなりの本を読んだよ。私は初めから石見が物凄く胡散臭かったんだ。でも、下手に動けないからね。そうか、やはり、悪魔と契約していたのだな」
 なんとか大久保長安の奇行を阻止出来まいかと、服部半蔵は単刀直入に訊ねた。忠輝はあっさりと
「ある」
 そう言い切った。
「半蔵殿の手の者が駿府城下で見たものは、魔法陣さ。悪魔との連絡手段に用いる伝達の手法と考えてくれればいい。それを介して、特定の悪魔と契約をしている」
「その契約が石見側から破られれば……」
「そう、悪魔は石見を生かしては置かないだろう。そのことで世の中には何も起きないだろうし、誰も困るまい」
「そのための手段は?」
「簡単さ、その魔法陣に手を加えればいい」
 松平忠輝は傍らの引き戸から徳利を取り出した。何やら水のようなものが入っている。
「徳利には聖水と呼ばれる水が入っている」
「聖水?」
「悪魔はこれを嫌う。こいつを魔法陣に降り注げばいい。神に背いた者が聖水を用いるということは、神との復縁をしたことを意味するからね。石見はその悪魔を裏切ったことになる」
「ほう」
「さりとて屋敷に忍ぶのも大変だろう。私が行ってきてもよい」
「八郎さまが?」
「私は、徳川の家に連なる者だよ。このまま悪魔の思い通りにさせておくのは忍びないではないか」
 そういって忠輝は徳利を懐にしまい、ソテロ神父に何やら異国語で言葉を交わした。ソテロ神父は頷きながら、銀の十字架を差し出した。銀は西洋で魔除けの秘力を有すると信じられる護符なのだ。
「八郎さま」
「なんだい」
「あなたさまは畏れ多くも大御所に疎んじられて暮らして参った。この一件は引いては御父君を救うことになりましょう。解せません。恐れながら、大御所のことをお恨みではござらぬものかと」
「そりゃあ憎いさ。でも、罪のない人たちが恐ろしい目に晒されることを考えれば、そんなこと、小さい事だよ。父上とのことは、私だけの問題だからね」
 忠輝は潔かった。
 その潔さは、かつて槍ひとつで無心に戦場を駆け巡った、戦国武将の心根にも似ていた。そのことを服部半蔵は思い出した。
(大御所は、なぜこの若を嫌うのだろう。後継者に相応しい大将の器があるというに……)
 忠輝は十日以内に戻るという。戻ったら、あとは半蔵に任せるという。ここは忠輝を信じて首尾を待つのが信頼に足る行為だ。そう、服部半蔵はこのときすっかり松平忠輝の人柄に惚れていた。
 
 十日後。
 松平忠輝は約束通り涼しい顔で戻ってきた。
 服部半蔵はさっそくソテロの南蛮寺まで駆けつけ、仔細を訊ねた。忠輝は魔法陣に聖水をかけたばかりか、少し細工をしてきたという。
「石見は慌てているだろうな。契約が反古にされているのだもの」
 そういって含み笑いを零す忠輝に
「して、これから如何なりますか」
と半蔵は訊ねた。
「石見は悪魔との契約がなくなることで権威を失うでしょう。父上の奇行は放っておけば止みます。そのことを本多上野介に伝えて下され。なにもかも放っておけば、収まるべき処に収まる、と」
「はい」
「それと、私が荷担したことはくれぐれも他言無用に願いたい」
「なぜに」
「石見が失墜すれば、いずれ私も蟄居される。場合によれば勘当さえあるかも知れない。でも、徳川とは無縁な、気ままな生活が出来ます。武士は堅苦しい、ひとりの民として束縛されずに生きていきたい。そうなることを望みます」
 そして涼しそうに、松平忠輝は笑った。
(儂は倅に、八郎さまの素行不良をでっち上げろと命じた。命じなくとも同じ結果になろうが、浅はかな考えであった。この御方の描いた天下というのも一興であったわ)
 服部半蔵は心の底から悔いた。大久保長安の野望を砕くために、この聡明なる若君を人身御供にしてしまったのである。そして忠輝自身、それを望むといいながらも、果たしてそれは本心か……。
 その悲壮な覚悟に、服部半蔵はただただ項垂れるのであった。
 
 大久保長安の権威が不思議と下降線を辿ったのは、それから間もなくのことだった。病に伏せたといわれるが、このことにより、鉱山経営にも影響が出た。そのことが、長安の立場を一層追い込んだ。このとき大久保長安が煩ったのは、現在でいう中風だ。その兆候が顕著に表れながらも、長安は医師を拒み、悪魔との接触に勤しんだ。酒も深くのめり込み、その病状を悪化させる一途となった。
 果ては、明白だった。
 
 服部半蔵は倅に変装すると、本多正純のもとへ秘かに参じた。
「大御所御錯乱は、芥子による禁断症状と大久保石見による調伏であるものなり。うち調伏の一件は、服部の家で一応の解決をして候えば、芥子の毒さえ抜ければ大御所の御本復は期待為され候ものなり」
 その報告に、本多正純は大きく息を吐いた。
 
 慶長一七年(1612)、家康は賀詞の席に参じ、諸大名の前で自然に振る舞っている。本復は存外に早かったのだろう。ただし病床に伏す以前と比べて、些か気忙しくなったと誰もが感じたし、服部半蔵自身も、そのことは実感していた。
その最たるが、三月二一日に起きた〈岡本大八事件〉の沙汰である。岡本大八は本多正純の与力だが、賄賂に絡む不正の咎でこのとき幕府から
「火炙り」
が断じられていた。何よりも家康側近たる正純の家臣を、軽々に裁くことは考え難い。平素の心情ではない家康の思惟が働いていたのは明白だ。
 徳川家康は以前にも増して残虐性を顕わにした。
 同日、幕府は徳川直轄地のキリスト教禁止令を布告した。家康がキリスト教を畏怖したのは、冷静になり、大久保長安から為されていたあらゆる魔法めいたことへの恐れ怒りの裏返しなのだろうと、半蔵は思った。
 それほどまでに、キリシタン弾圧は徹底された。
 
 徳川家康は技術者としての大久保長安を高く評価していた。
 しかし、病による廃人の兆候を示した以上、もはや無能の徒である。一切の関心はない。徳川幕府の基礎ともなる創業の発起に対し、長安は持てる技術をすべて出し尽くしたと判断したのだ。
「あれは、もういらぬ」
 そう呟く家康の瞳の奥は、冷たく濁っていた。
 
 慶長一八年(1613)四月九日。
 大久保長安は突如駿府城下の屋敷内厠で卒倒した。中風が悪化したのである。しかしこの期に及んで長安は医師を拒み続けた。実は長安の身体の至る所には、契約を破棄された悪魔の呪いが随所に散りばめられていたのだ。見たことのない西洋の紋様や言葉のようなものが、痣のように全身を覆い尽くしていた。
 長安はこれが悪魔の報復とは信じていなかったようである。そして四月二五日、大久保長安は苦悶にまみれながら病床で没した。巨万の富を築いた大久保長安の一族を、家康は生かすつもりはなかった。子供たちは冤罪によりすべて滅ぼされ、生前の長安に依るすべての門閥も厳しく罰せられた。
 しかしこのなかに、松平忠輝の名前はなかったのである。
 
 この一件により、徳川家康はキリシタンへの憎悪をますます滾らせた。大久保長安が悪魔の手先となり家康を脅かしたのも、すべてはキリシタンの教えであると誤解したのである。
 キリスト教弾圧の先駆けとして、家康は将軍徳川秀忠に
「江戸の南蛮寺を破却せしめよ」
と厳命した。
 既に徳川直轄地はキリスト教禁制である。
 それでも居座り続けたのは、松平忠輝が強硬に反対したからに他ならない。さりとて家康の命令は絶対だ。かくして将軍秀忠は、松平忠輝の不在を見計らい、江戸城の敷地拡張を口実に八丁堀の〈ロザリオの元后聖マリア聖堂〉を取り壊した。このとき、ルイス・ソテロ神父もまた不在中であった。この計画的実行により、南蛮寺はあっという間に破却された。
 松平上総介忠輝はこれを阻止することは出来なかったのである。
 
 徳川家康の心には、荼吉尼天が再び宿っていた。
 一連の騒動で、迂闊にも、服部半蔵はそのことに気付いていなかった。
 

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