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「箕輪の剣」第2話

第2話 剣と槍

 上総国へは、武蔵国を横切らねばならない。河越野戦で関東管領上杉憲政が敗れて以来、北条の勢力は、じわじわと広がり、深谷あたりまで侵攻されていた。
 武芸者として旅をすれば、傍目には浪人である。
 北条の兵に咎められても、長野家の者と悟られねば長く留まることはない。それに、北条家も最前線に十分な兵を送り込んではいなかった。詰問は、体裁に過ぎない。
「先生。利根川を下れば、上総はすぐじゃありませんか」
 若い供がいう。
 その言葉に、上泉秀綱は笑った。
「儂に行けということは、よくよく北条を探って来いという意味なのだよ」
「そういうことなのですか?」
「何かしら、近いうちに動きがある。殿はそのようにお考えなのだ。だからこそ、武蔵国のいまを見てこいと」
「なの、ですか」
「でなければ、神後伊豆守くらいの腕前の者を、利根川経由で上総へ差し向ければ、事は足りるだろう」
「考えが至りませんでした」
「殿は関東管領家が越後に逃れたいまでも、領地を損なうことなく、泰然とされている。北条だけではないぞ。佐久から武田も狙っていること、知っておろう?」
「はい」
「備えあれば患いなし。殿は、武田も追い払っている。負けしらずじゃ。しかし、それは、二手三手を読んだ采配あってのこと。殿は情報を重んじる御方である」
「だから、武蔵のことも?」
「云われずとも、察するのが家臣であるぞ」
 宮仕えとは深いのだな。
若い供は感心した。
 荒川沿いに進み、やがて、岩月城下に差し掛かった。太田道灌ゆかりの城は、城下も賑やかだが、町を外れれば、雑木林だらけである。
 そのときだ。
「たああああああ」
 いきなり背後から斬りつける者がいた。
 ふたりの供を突き飛ばし、上泉秀綱は背後からの切っ先を気配で見切り、身体をひらくように振り向いて鯉口に親指をかけた。
「見ておけ。こういうときは、どう体さばきをするかを」
 いまの動作は一瞬だが、なぜか、ゆっくりとした所作にも映る。
 なんとも、不思議な体さばきだ。賊の剣は空を切り、慌てて踏ん張った。
 そのとき。
 しゃっと、鞘を払う音とともに、上泉秀綱は抜刀した。足元おぼつかぬ相手に、休むことなく打ち切った。
 新陰流では〈形〉の事を〈勢法〉という。この攻めは、勢法いうところの〈燕飛〉といわれるもの。かつて愛洲移香斎から学んだ陰流の形でいう〈猿飛〉を上泉秀綱が発展させたもので、新陰流を学ぶうえでの初歩といってよい。
 相手は受けまくり、やがて、刀をとり落した。切っ先が、賊の喉元に定まった。こうなると、もう、動けない。
「おまえ、追剥ぎか?」
「そうだ!」
「ひとり働きか?仲間は、いないのか?」
 上泉秀綱の問いに
「昨日までは、ひとりじゃなかった」
 よく聞くと、その声は、娘のものだ。薄汚れていたから傍目には若造らしかったが、なるほど、これでは上泉秀綱に敵うはずなどない。
「どうして、ひとりになった」
「足手まといだからと、お頭に捨てられたんだ」
 そうかと、上泉秀綱は素早く納刀し、賊の腕をねじ上げた。
「いたい、痛い」
 賊は観念したのか、抵抗しなかった。
「これまでも、人を殺めたか?」
 上泉秀綱の問いに
「まだだ。だから、捨てられた」
「殺めることは、そんなに難しいことではないぞ」
「でも、駄目なんだ。いつもしくじり、仲間に横取りされる」
 そうだろうなと、上泉秀綱は笑った。だいたい、どこの世界に、仕掛ける前に大声を張り上げる追剥ぎがいるというのだ。ふたりの供も笑った。
 悔しさがこみ上げた娘の言葉は、意外なものだった。
「旦那、おれを弟子にしておくれ」
「はあ?」
「武芸者なら、弟子くらいいても、おかしくないだろう」
「弟子になって、何をしたいんだ」
「強くなる。おれを捨てたお頭や仲間を見返してやるんだ」
 不純な動機だ。しかし、強くなりたいと叫んだ目の色に、上泉秀綱は理由もなく惹かれた。ちらと、供をみた。ふたりは首を振った。そうだろう、それが自然な反応だ。しかし、上泉秀綱は娘の瞳をじっとみて
「追剥ぎなんか、やめろ」
「なに」
「賊に教える剣はない。真直ぐに精進するなら、教えぬでもない」
 上泉秀綱の意外な言葉に、娘は戸惑った。
「なんのために強くなればいいのか、それでは、困る」
「家来になれ」
「家来?」
「儂は、武士として城務めする者だ。役に立つ者は、多くて困ることはない」
「城務め……」
「嫌なら、去れ」
 そういうと、上泉秀綱は歩き出した。供も慌てて追いかけた。答えがみつけられぬ娘は、結局、そこから動くことは出来なかった。
 
 上総は頼朝以来、千葉氏の支配が強かった。しかし、南北朝の動乱で国は荒れ、享徳の乱からは武田氏が台頭し、いまや群雄割拠であった。久留里は安房の里見氏が支配する土地で、まさに実力で切り取った。そのようにいえば、戦国に相応しい物云いだろうか。
 当主・里見義堯は、風雲児だ。理由もなく宗家から攻められて、父を殺された。その仇を討ち、里見の当主の座に収まっている。それでも人が付いてくるのは、ただの蛮勇を好む者ではない証だ。
 里見家は新田源氏の家系。元を辿れば榛名山麓を根城にしていたという。いま、この榛名山麓にいるのは、長野信濃守業政である。関東管領上杉憲政の口利きで、長野業政の妹・由宇姫が里見義堯へ嫁いだのは、つい昨日のようだ。
「長野信濃守の家臣・上泉武蔵守でござる」
 久留里城の門番に取次ぎを求めた。門から見上げると、山のうえに、旗幟ひしめく様が映える。久留里は平野が少ない場所だが、それだけに守りやすく攻めにくい。しかし、北条勢は幾度も城下まで進軍したことがあるという。
(地の利だな)
 ひと伝手に聞くことより百聞は一見に如かず、久留里城は攻めにくい縄張りなのだ。
 城門より通されたのは、真勝寺という堂だった。ここは上総武田氏の勝真勝という者が開基したという。里見氏に久留里城を明け渡した者だ。寺とはいうものの、ここは館のようにも見える。さながら外交の場とされるのだろう。
(城のなかを見せては貰えぬか)
 用心深いことだ。だからこそ、里見義堯は風雲児なのだ。理に適うことだと、上泉秀綱は頷いた。
 この場で面会に応じたのは、義堯の軍師とも囁かれる正木大膳亮時茂である。関東でも里見の〈槍大膳〉の名を知らぬ者はいない。恐らくは兵法家で名のとおる上泉秀綱と知って、顔を出したのだろう。
「由宇姫様の御子を預かりたく、罷り越した次第」
「あいわかった」
 このやりとりは、実に素っ気ない。
 それよりも……と、切り出したのは、正木時茂だった。真勝寺の庭は大きな池があり、その端はかなり広い場である。正木時茂が立ち上がった。上泉秀綱も立った。
「あの」
 勝手の解からぬ供の者が、失礼ではないかと差し挟んだ。
「わからぬか、誘われているのだ」
 上泉秀綱は薄く笑っていた。
 正木時茂は長槍を持っていた。刃は、ない。上泉秀綱には木剣が用意されていた。
「真剣でなくても、よろしいのか?」
 上泉秀綱は質した。
「そなたは長野家の使い。儂は里見家の者である。お互い大事な身である以上、お役目に障りがあってはならぬこと。無事、ならば」
「なるほど」
「存分に」
「いざ」
 上泉秀綱は木剣の切っ先を後ろへ引いた。〈三学円之太刀〉という勢法だ。相手の先手に対する後の剣である。対する正木時茂は戦場の術だが、我流というわけではない。上泉秀綱は一目で
(これは、富田流槍術)
と見抜いた。後の世に佐分利流として発展する流れの源流だ。
 富田流の開祖・富田勢源は越中の者で、代々中条流の使い手である。この者が考案したのが富田流。上泉秀綱はまだ富田勢源と対峙したことはないが、その流れを汲んだ者とは幾度か戦った。小太刀を得手とする富田流の対局にあたるのが、富田流槍術だ。
「攻めて参らぬのか」
 正木時茂が口を開いた。
「富田流槍術を、どこで」
「通りすがりの旅僧から」
「なるほど」
「槍を相手に、後手でよろしいのか」
 正木時茂が、一歩前に踏み出した。
 その剣気を、上泉秀綱は受け流し、間合いを保った。あっという間もなく、正木時茂は槍を前へ突き出した。槍先は、真直ぐに上泉秀綱の手元を狙った。木刀の柄が弾かれると思う瞬間、上泉秀綱は槍に平行した導線で剣をさばいた。当てるつもりではない木剣は、鋭い風切り音とともに、正木時茂を制した。
 動きが鈍る槍が、瞬間、上へ跳ねた。
 この槍術の重んじるのは、突きではなく、斬ることだ。槍の穂先が上泉秀綱の脇腹へ打たれる瞬間、それを柄で制した。そのまま、動かぬ槍を押し止め、木剣を滑らせて、上泉秀綱は前に出た。
「それまで!」
 両者の動きは止まった。上泉秀綱の木剣が、正木時茂の喉元へ切っ先を向けている。勝負は、あった。
「よきものを見せてもらった」
 そう笑うのは、里見義堯だ。
 上泉秀綱も正木時茂も、その場で控えた。
「噂に違わぬ達人の技、さすがの大膳も冷や汗であったな」
「恐れ入ります」
 上泉秀綱は、ちらと正木時茂をみた。汗など、顔にはない。むしろ涼しい表情だ。木剣や木槍では、こんなものだろうという余裕すら感じた。
「この槍術は武芸に用いるものではございますまい。まさに戦場の技、恐れ入りました」
 上泉秀綱も、物事を洞察し、慇懃に頭を下げた。
 そう、この槍術は複数の敵にも対峙する、戦場で多くの命を奪うための技だ。相対の武芸に用いるものではない、まさに戦場の武芸である。本来、切ることを重んじたこの槍には鎌があるはずだ。
 さきほどの果し合いで、柄を狙われたとき
(もしも鎌があれば)
 その時点で、上泉秀綱は動きを封じられていただろう。無論、正木時茂も相手の技を認めていた。真剣ならば、最初の突きを直線で行った時点で、柄の部分を切り落とされたはず。相手の力量を甘く見た己は、戦場の露になっていたはずだ。
 両者は、互いの力量をみとめていた。
 里見義堯の後ろには、男子がいた。文悟丸、由宇姫の生んだ子である。
「文悟、そなたの母の里から、迎えがきた。そなたは上州で過ごすこととなる」
 少年は、じっと、上泉秀綱をみた。
「若様、御迎えにござる」
 上泉秀綱の声に、文悟丸は大声で
「大義である」
と叫んだ。
 将器の期待できる声だ。
「おそれながら」
 上泉秀綱は、里見義堯をみた。将来の期待できる若を手放してもよいのかと、目で質した。
「よい、ここに置いたら、こいつは殺される」
 里見家だけの事情があるのだと、義堯の言葉が語っていた。ならばと、上泉秀綱は神妙に承るのであった。

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