見出し画像

久里浜

かつてここは三浦氏の勢力圏だった。
頼朝の再起を誓った三浦一族は、衣笠城の攻防戦ののち、舟で房総半島へと逃れた。

鎌倉時代は北条の支配となり、その立地から忘れられた場所として長く歴史に埋もれていく。
幕末まで。

以来、ペリーという広告塔のもと、
久里浜の名前が大きく注目される。


東京湾を横断する「東京湾フェリー」は、この久里浜と金谷を結ぶ。
戦国時代でいうところの、里見の内房水軍が活躍した航路といってよい。

ペリーからみた三浦半島の姿は、いまと、どう変わっているのでしょうね

毎年7月に開催されている「久里浜ペリー祭」。
クリック ⇒ 久里浜ペリー祭

2024年は、
ペリーが久里浜に上陸してから
171周年目だそうです。

考えてみれば、フェリーの利用ばかりで、久里浜の散策をあまりしたことない事に気付かされます。