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北方領土の日

昭和の頃は、「北方領土の日」と声を挙げているだけで、右翼か左翼かわかんない結社チックな悪い印象だったのですが、徐々に時代を経ると、日本にとって大事な国益だということが気付かされます。それでも街宣車に乗って周知広報したいとまでは思いませんが、国民のイデオロギーとして、意識だけは必要だと思う。

北方領土の日とは。
安政元年(1855)2月7日、下田にて『日露通好条約』が結ばれ、択捉島とウルップ島の間に国境を定め択捉島以南の北方四島が我が国の領土として、国際的に明らかにされた歴史的な意義をもつ日。一般的に下田条約と呼ばれるものが、この条約です。
千島樺太交換条約や日露戦争後の割譲などで国境線は都度の変化がありましたが、少なくとも北方四島はずっと日本領です。一度たりともロシア領にはならなかったし、その事実もなかった。

武士と騎士の間で交わされた約束、平和的な外交交渉。
これによって定められた下田条約締結の日が、「北方領土の日」なのです。その領土が、ズルくて悪いロシアの親玉によって、血を贖い奪い取られて、実効支配を恣にされている。昭和20年8月15日以降、北海道は戦争を終えたのに侵略の危機を迎えた。一歩間違えれば満洲と同じ凄惨な出来事になるところであり、かつ、なってしまった島も数多く存在する。
元々あったもの。その返還を求めるのが「北方領土返還要求運動」。

ヤルタ会談とは。
米英ソ、秘密の首脳会談です。そこで、決められたこと。
「ソ連はドイツ敗戦後2~3カ月以内に対日参戦する」
「かつてロシア領だった南樺太と千島列島の領有権を条件とする」
このときイギリスはアメリカに尻尾振るだけの存在。そのアメリカの大統領であるルーズベルトは、側近から何からがソ連のスパイに囲われて共産主義の傀儡状態。つまりソ連の都合だけが生かされる会談だった。アメリカ副大統領トルーマンさえ蚊帳の外で、のちにルーズベルトが急死したとき、合衆国政権がソ連のスパイだらけだったことを記述した程である。

冷静に距離を置き疑いの立場でアメリカが臨む状態だったら、千島列島の内、北方四島は違うことを指摘したことだろう。しかしアメリカ大統領は言いなり同然。そういう外堀を事前に埋めたんですね。

昭和20年4月5日、ソ連は「日ソ中立条約の破棄」を申し出ますが、これは昭和16年4月13日に締結したもので
「有効期間が5年間」
「満了の1年前までにいずれかの国が廃棄を通告しない場合、自動的に次の5年間に延長する」
ことを定められていたため日本側は期間を延長しないという通達、と認識をした。まだ条約の期間内なのです。
「ロスケは泥棒まがいの嘘つきだ」
という昭和の古老の怒りは、この条約を平然と破って、殺戮と侵略と強奪をしながら何ら恥じることのない様を指したものと思われます。南信州新聞で連載している作品の下調べは、どうしても8月8日の悲劇が避けられず、この罵声と悲しみが避けられません。一部の指導者により、嫌々やったのではなく、嬉々と我先に奪い合う様が現代のロシアに重なるのは、日本人ゆえの激しい嫌悪感。これも民族性と思うしかない。

そして北方四島が完全に武力制圧されたのは、昭和20年9月5日。
ポツダム宣言受諾で無条件降伏して半月、一方的な侵略をされた事実を知らない日本人が多すぎるのは悲しい現実です。

知っててやっているんですか?
切腹の意味も分かっていない
でも、なんとなく頼りがいが一切ない

ロシアには騎士なんて、もういない。絶滅したのでしょうか、言動や態度が極めて品性下劣。
とはいうものの、日本の政治指導者だって、連日の答弁だけでも武士の矜持なんかない俗物。
あの日、平和裏に結ばれた『日露通好条約』が、大いに泣く。

誰かの悪口云ったところで
こちらも気分悪いし
人から嫌な目で見られるから、
云いたくなんかない。

でも、忘れたらいけないこと。
① 北方四島は江戸時代から一貫して日本の領土だった。
② ヤルタで主張した千島列島に北方四島は含んでは駄目。
③ 無条件降伏後に北方四島を侵略して奪った。

この三点は事実なのだから、返して欲しいという主張は正当!

どこの専門家だ?解説してくれよ、舛添!

北方領土だけでは足りないという野心を、
1945年以降も持ち続けている表れが
この発言。

外務省HP←(北方領土の日)

過激でなくてもいい。
声に出し難くてもいい。
でも、2月7日は北方四島が還ってくることを、そっと思って欲しい。
私が、君たちが、日本人なら。


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